森のかけら | 大五木材


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ツガ(栂)の学名は、Tsuga sieboldii(ツガ シーボルディ)シーボルトがその種を登録したことからその名が刻まれています。宇和島とは直接関係はないものの、伊達宗城が庇護した高野長英の師匠がシーボルトという事で、私の中ではそれらすべてが流れの中で繋がっています。学生時代あれほど覚えるのに苦労した歴史上の人物や出来事が、今は面白いように頭に入って来るのですが、考えてみれば学生の頃はその表層だけをみてすべてを記号としてしかみていなかったのですが、今はすべてが興味の対象となっています。

好奇心とは偉大なり!さて話を戻しますが、伊達宗城は、テレビの大河ドラマで注目を浴びている薩摩藩主・島津斉彬山内容堂(土佐藩主)、松平春嶽(福井藩主)らと交流を持ち『四賢侯』と呼ばれ、老中・阿部正弘に意見を求められるほどの存在となります。しかし阿部正弘死後、井伊直弼が大老に就任すると、13代将軍徳川家定の後継者問題で、一橋慶喜を推す四賢侯と、徳川家茂を推す直弼の間で対立起こり、安政の大獄によって宗城は一橋派もろとも排除され隠居謹慎を命じられることとなります。

まったくの余談ながら宗城と交流のあった島津斉彬公が御祭神として祀られているのが、鹿児島市の照国神社で、それが私の名前のルーツ。その後、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺され、宗城の謹慎も解かれるのですが、後継者に恵まれなかった宗城は謹慎期間中に養子を迎え、藩主の座を譲り75歳まで生きて明治15年に亡くなります。そんな宇和島伊達家の心の癒し場所であった天赦園は、伊達家の家紋「竹に雀」にちなんで、20種もの竹や笹が植えられています。唐竹、黒竹、淡竹(はちく)、蘇芳竹(スホウチク)などなど。

竹といえば銘木の世界では、アクセントを加えられる素材として広く使われています。弊社でも以前はよく使っていました。床の間の装飾としてだけでなく、商業店舗などでも見切りや意匠的に使っていたのですが、こういうものって身近に実物があってこそ。実物を見て、サイズや触感を確認してイメージを膨らませるもの。またどうしてもなければならないというわけでもないので、最近は疎遠になっていましたが、こうして様々な形状の竹を見ていると使いたい衝動に。何気なく訪ねた天赦園ですが、木との関わりも感じながら歴史を振り返られ大満足。




ある日曜日、早朝から息子の部活の試合の送迎で宇和島市へ。朝からの試合という事で朝の8時前に到着。試合後にまた迎えに来ることになったので、それまで時間をつぶすことになり、今まで行ってみようと思いながら機会がなかった『天赦園(てんしゃえん)』に向かいました。ちょうど8時から開園だったので、そのまま中へ。天赦園は、宇和島藩七代藩主、伊達宗紀(むねただ)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。伊達宗紀は、かの独眼竜・伊達政宗の血を継いでいます。

愛媛以外の方だと、なぜあの独眼竜の子孫が愛媛に?と思われるかもしれませんが、伊達政宗の長男・伊達秀宗は側室の子供であったため、家督を継ぐことが出来ませんでした。かの大坂冬の陣の際に、父の政宗と共に参戦し、その武功に対して徳川家康から伊達10万石を与えられ、秀宗が初代藩主となりました。その七代目の藩主が伊達宗紀です。それが今からおよそ400年前の1615年のこと(元和元年)。幼少の頃から豊臣や徳川の人質として過ごし、長男として生まれながら宇和島10万石に転じられた宗紀の心情いかばかりか。

その秀宗から数えて七代目の藩主が伊達宗紀で、宗紀は長寿で「百歳長寿の大名」と知られていますが、その晩年の隠居場所として建造したのが天赦園です。名前の由来は伊達政宗が晩年に詠んだ漢詩の「馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん
」の一節「天の赦(ゆる)所」から命名。ここからは余談ですが、その宗紀は後継者に恵まれなかったので、養子を迎えたのですが、それが後の八代目藩主、伊達宗城(むねなり。この宗城が進取気鋭の人物!

ちなみに政宗公の漢詩の意味ですが、「馬上少年過馬上少年過ぐ…馬に乗って戦場を駆け巡っているうちに少年時代は過ぎ去って行き)世平白髪多(世平らかにして白髪多し…世の中が平和になった今、頭には白髪が目立つようになった)残躯天所赦(残躯天の許すところ…天が許してくれた老い先短いこの身体)楽是如何(楽しまずして如何せん…楽しまなくてどうするのか)。」つまり若い頃は馬に乗って戦場を駆け抜けたが、世の中が平和になって自分にも白髪が増えた。天が与えてくれた余生を楽しまずしてどうしようか、という内容だそうです。伊達で鳴らした独眼竜、粋でございます!

伊達宗城を迎えた宇和島藩は、わずか10万石という小藩ながら、殖産興業と富国強兵策を藩内に実施するなど宇和島の発展に尽くしました。進歩的な考えを持っていた宗城は、当時思想犯として幕府から目を付けられていた有能な人物たちも宇和島に招き入れて庇護していました。そのうちのひとりに、高野長英がいます。高野長英は医者・蘭学者で、かのシーボルトの鳴滝塾で蘭学を学び、その一方で兵書の翻訳や砲台の設計なども行っていました。余談ながらシーボルトといえば、『栂(ツガ)』の学名にその名が冠されています




一時は置き場所に頭を悩ませていた例の『モミジバフウ』ですが、一年の天然乾燥を経ていろいろな所へ旅立っていきました。小さめのカウンターから花台、飲食店のプレート、まな板、木工クラフト等々、いろいろな用途でいろいろな場所で使っていただき、ようやく残りが1/3ぐらいになりました。そうなったらそうなったで、全部売り切ってしまうのが惜しくなるという『モッタイナイ病』が顔を覗かせてきそうになるのが怖いところです。あってもなくても結局心配・・・

ところで、このモミジバフウはたまたま丸太の状態で入手したので、丸太をすべて板に挽いてもらいました。ですので必然的に芯を含んだ板もあるわけです。一般的に芯を含んだ板は、そのままだとねじれたり暴れたり芯から大きく割れてしまうので使い物になりません。しかし必ず木には芯があるので、どうしても芯が含まれます。柱の場合は強度のある芯を生かして使いますが、その際には背割りを入れるなど割れにくい工夫が施されています。

板ものの場合は、芯を外して木取りしたり、最初から芯部分のロスを計算して製材するなどそれぞれに対応されていますが、小さなモノも作っている弊社としては、ねじれ曲がろうが大きく割れてしまおうが、割り返して小さくすれば使える『小さきモノのための出口』が揃っていますので、芯持ちの板材でも問題ありません。例えばこれぐらい反っていたら、通常は「使えない木」の烙印を押されてしまいますが、弊社では許容範囲内。

昔であれば「使えない木」が山のように溜まっていましたが、今はこれらの木も数日後には小さく加工され、商品としてパッケージに入れられてパリッとした姿で商品棚に並んでいたりします。今はほとんど捨てる部分が無くなっているわけですが、もしそういう出口がなかったらと思うとゾッとします。しかしそれならこういう丸太も仕入れていないわけで、必要は発明の母というか因果因縁。世の中に「使えない木」なんて1本も無い




昨日、子供たちの通う高校の校庭で『アコウ』との出会いの話をしましたが、今日はそのアコウに関する少し怖い話。アコウの英語名は、『Banyan Tree』(バニヤンツリー)と言いますが、そのBanuyan(バニヤン)はインドが原産で、当地では『ベンガル菩提樹』などとも呼ばれるように宗教上の聖木として東南アジアに広く植えられています。しかしその一方でこの木にはもうひとつの『絞め殺しの木』という恐ろしい俗名があります。その名前の由来は、この奇妙な姿の木の成り立ちに関わっているのです。

バニヤンの果実を食べたサルやコウモリ、トリなどの動物たちによって、森の中に育つ他の木の上に運ばれ、そこで糞とともに排泄され発芽します。そしてまずは宿り木として生活を始めます。樹上から気根を垂らして成長し、気根が地面に届くと本格的に成長し、幹が太くなり、宿主である木に巻きついて養分を得るのです。やがて宿主の木を覆いつくし、自分の方が大きくなると、その姿が木を絞め殺しているように見えることから『絞め殺しの木』の名前がつきました。遂には無数に伸びた気根が、「1本が林に見える」ほどに成長。

普通の木に反して上から下に向かって成長する性質や、気根が宿主にまとわりついた異様な姿から、バニヤンの木には夜叉神が宿るという古代信仰があり、その果実は怪しげな呪術、妖術などにも使われたそうです。同じクワ科のガジュマルも『絞め殺しの木』と呼ばれ、宿り木も種類は多いものの、宿主そのものを本当に絞め殺してしまう例は他にないとか。奄美大島でも、アコウの木には赤毛の妖怪が棲んでいるという伝説があるなど、洋の東西を問わず妖しげな伝承には事欠かないのですが、その姿を見ればそれも納得。

同じ絞め殺しの木の仲間でも大きなものになると、樹どころか建物までも飲み込んでしまうほどに巨大化するものもあって、アンコールワットの遺跡群を押しつぶさんばかりに成長したガジュマルは畏怖すら超えてもはや映画のセットのような造りもの感が漂うほど。いずれこれらの貴重なクメール王朝の遺跡もガジュマルによって破壊されていくのでしょうが、もしこれが日本だったら遺跡を守るためにガジュマルを伐ろうなんて言い出す愚かな輩も出てきそうで怖い。絞め殺しの木に絞め殺されるのも自然の摂理で、そこに良いも悪いもない。

そんな絞め殺しの木ですが、四国や九州ではアコウの大木が国の天然記念物にも指定されています。四国だと、愛媛の伊方町佐田岬の『三崎のアコウ』、高知の土佐清水市の松尾神社松尾のアコウ』、いずれも自生のアコウがあります。ちなみに愛媛の佐田岬と佐賀県の唐津市が自生するアコウの北限だそうです。その異形から『タコの足』とも呼ばれていますが、文字通り宿主に巻きつく姿は、獲物に吸盤で吸い付き圧死させるタコのようでもあります。こうなると『毒りんご』の上をいく『キラーツリー』としてまた別の魅力が見えてくる!




★今日のかけら番外篇・E037アコウ/赤榕、赤秀、雀榕Banyan Tree   クワ科・イチジク属  広葉樹・愛媛産

木材辞典や木材図鑑を読んでいると、いつもア行の最初あたりに登場する木で気になっていたのが『アコウ』。クワ科イチジク科の高木で、その分布域には四国も入っているものの、愛媛でその姿を見たことが無くて、友人が沖縄や九州に旅行に行ったりしてアコウの写真をSNSなどにアップしているのを見ると歯がゆい気持ちなっていました。実際に生でその姿を見たことも触ったこともないのすが、モノの本によれば材質は軽軟で強度が無いため用材としては使われないとあり、木材市場でもご縁が無いだろうと諦めていました。

適した出口があるというわけではないのですが、手に入ることなら『新・森のかけら(仮称)』に加えたいと考えていましたし、出口があろうがなかろうが一度は触ってみたいと思っていたら、思いがけない場所で突然アコウと出会うことになりました。ある日曜日に高校生の息子の部活の遠征で、息子の通う高校に車で送った時の事。息子と友達が部室に道具などを取りに行ったので少しの間、一人で待っていたのですが、学校って結構いろいろな種類の木が植えてあったりするので、ちょっと見てみようかしらと校内を歩いてみると・・・

今まで何度も学校には送迎に来ていたものの(双子の娘も同じ高校なので)、いつも時間が遅くて暗かったり、時間に追われていたので気が付きませんでしたが、正門を入ったすぐのところに『アコウ』の木がさり気なく植えられているではないですか!成長すると高さは20m、直径は10mを超すこともあるという情報や、こぶ状の突起が出来て根が張り出した異様な姿の沖縄のアコウの巨木をテレビで見ていたりしたので、すっかりアコウ=大木のイメージが刷り込まれていて、ちょっと意外でしたが灯台下暗しとはまさにこういうこと。

材が手に入ったわけではないものの、とりあえあず生でその姿を見れただけでも嬉しい!木は小さいものの、大木に現れるといわれるこぶ状の複雑怪奇な姿の面影はあります。なるほどこれでは建築材はおろかクラフト細工に使うにも難しそうですが、そういう木の方が『かけら職人』としては燃えるものです。突然の出会いに感激してバシャバシャと写真を撮っていたら、息子たちが戻って来たので、名残惜しかったもののの、その日はそれでアコウと別れました。しかしこれで子供たちを送迎するのにも、父には密かな楽しみが出来たのです。




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