森のかけら | 大五木材


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センダン科の広葉樹『ボセ(BOSSE)』は、アフリカのシエラレオネからコートジボアール、ナイジェリア、カメルーン、ガブン、コンゴ共和国などの西アフリカ及びウガンダに分布しています(あくまで私が調べて分かった範囲ですが)。業界では一般的には『ボセ』で名前が通っていると思っていましたが、地域によっては『ボス』、『ボッセ』あるいは、学名のGuareaから『グアレア』の名前で呼ばれることもあるようです。アフリカでBOSSEと呼ぶのは主にコートジボアール

英語では、シーダー(スギ)のような香りを持つことから、香りを意味するScentが頭に付けられ、Scented Guarea(センテッド・グレリア)とも呼ばれています。恐らく製材した時の芳香だと思うのですが、私が【森のかけら】用にとボセを挽いたのは何年も前の事で、その時にそんな匂いがしたかどうか覚えていません。その後は残念ながら、知名度が低いためか『森のかけら』でチョイスされる機会も少なく、大きなボセの一枚板を割るような事は無いため、香りを確かめることは出来ていません。

現地では、家具や装飾材、フローリング、ろくろ細工や、耐久性があってヒラタキクイムシやシロアリ対しても耐性があることからボート用材として利用されているそうですが、それ以外にもシガーボックス(葉巻煙草箱)としても重用されているようです。それはセドロと同様に広葉樹でありながらシーダーの香りがするという特性を活かした用途だと思われます。残念ながら煙草を吸わないため、ボセがどれほどシガーボックスに適しているのか検証は出来ませんが、好奇心の強い愛煙家の方いましたら是非お試し下さい。

しかし【森のかけら】サイズでボセを見てみると、ここにネームの無いサペリタリシポなんか並べられたら当てる自信は全くありません。それでも【森のかけら】用のボセを加工している時は、それなりに特徴も見えたりするんですが、他の樹種が混ざったらもう無理!外道材木屋としては本当はこういう樹種こそ『強く』、『詳しく』あるべきなのですが・・・。材木屋としての『臨床』は、その木を実際にどれだけ多く扱い、どれだけ深く関わったかといことだと思っているので、ボセにはまだまだ臨床経験不足。続く・・・




★今日のかけら #211【ボセBosse   センダン科・広葉樹・アフリカ産   

順番が前後しますが、ミセスホーム㈱さんの業者会・ミスター会の研修旅行で向かったのは神戸の竹中大工道具館。実は6,7年前にも個人的に行ったことがあったのですが、入館するまで移転していたことを知らなかったので、入口がふたつあったのかしら?増築でもしたのかしら?と思っていたら、移転してかなり大規模にスケールアップしていてビックリ!2014竹中年に開館30周年を記念して、新神戸駅そばの竹中工務店本社跡地に移転し、2014年10月から一般に公開されることになったそうです。

入館して目に飛び込んでくるのは耳付きの巨大な一枚板のパーテーション。果たしてこれが何の木なのかという事で、業者会の中でもざわついていたのですが、見たことはあるような気はするものの断定できず・・・無節で国産材ではありえないサイズ。とりあえず館内の案内順路に沿って動き出したものの、どうしても何の木なのかが気になって仕方が無いので、ひとり受付に戻ってスタッフの方に何の木なのか尋ねてみると、『ボセ』という返事。まさかこんなところでボセと出会おうとは?!

聞き慣れない名前かもしれませんが、熱帯アフリカ産のセンダン科の広葉樹ボセ』あるいは、『ボッセ』は丸太の直径が1mにもなる大木です。『森のかけら』にも含まれているものの、それまでは弊社でも取り扱ったことがありませんでした。アフリカ産のあまりメジャーでない木(メジャーかどうかはあくまでも愛媛に住む私の感覚)の場合、強く意識して仕入れるつもりでもないと、出会う機会すらないのが現状。材木屋でも扱った事が無い人が多い木ではないかと思います。

入口に一枚板でパーテーションに使われているぐらいですから、木目も整っていてほれぼれするような美しさ。近づいて見ると美しい虎斑が入っていて、私の知るボセとはまるで別物のように見えます。35㎜角の『森のかけら』になってしまうと、他のアフリカ産の広葉樹と見比べても分かりづらく、元のある程度の大きさの時の表情を知っていないと、正直35㎜のキューブの中で個体差を見出すのは容易ではありません。特にボセなんて切り取り方次第では、元の樹種すら想像できず・・・明日に続く




自分とは何も関係ないと思われていた昔の、遠くの物事が、わずかな事でも自分や自分の住む地域とつながりが見えてくると妙に嬉しくなってくるものです。もしもそれが歴史の大きな転機に繋がっていたりすると、途端にそれが身近に感じられたり、因縁を感じたりするもの。ということで、照国の始祖・島津斉彬公日の丸の国旗の制定に深く関わり、それがもともとは船舶に使われたいたことから、欧州航路に打って出る大型船舶の船名に冠せられ、その模型を今の時代に生きる私(照国)が観ているという、私の中だけの歴史浪漫。

その照国丸は、ロンドン、アントワープ、ロッテルダム、ハンブルグなどの欧州の各国を巡ったことから、船の内装にも日本風なしつらえがされたそうです。生憎カラーの写真は見つかりませんでしたが、後に人間国宝となる松田権六氏による蒔絵が施された内装などの船内装飾は当時かなり話題になったとの事。ちなみにこの松田権六氏は、石川県金沢市生まれで、「うるしの鬼」と呼ばれた漆芸の第一人者。そのエピソードもいろいろと興味深いのですが、最近お世話になることの多い石川県金沢市出身というのも距離感が縮まります。

その松田権六の有名な言葉、「今日科学は進んだといいながら漆を溶かす薬はまだでてこない。この溶けないものを剥げないように塗ればそれでいい。」含蓄のある言葉です。『能登ヒバ』で今までに何度も石川県にはお邪魔していましたが、有名な輪島塗はヒバやケヤキなどに漆を塗ったもので、木とも深い関わりがあります。お土産として輪島塗の箸は買ったりしていたものの、『うるしの鬼』が私の名前のルーツ『照国』とも関わっていたとなると、今後はただの土産感覚で漆器を見ることなど出来ますまい。

そうやって自分勝手にドンドンと因縁の深みにはまってしまっているわけですが、そういう興味が『森の5かけら』に通じています。日本人は木を単なる用材としてだけではなく、愛でたり人生を重ねて愛情を注いだりと特別な感情で木と向かい合ってきました。そのため暮らしの中の大部分の要素に木が使われてきました。なのでどういう切り口からでも木と暮らしが繋がるのです。これはもう照国つながりで『照国の5かけら』を作るしかないのか!

もし作ってみるとしたら・・・照国の始祖・島津斉彬公の島津藩(鹿児島)の県木・クスノキ、鹿児島産のセンダン(栴檀)/(薩摩欅)、昭和の大横綱・照国万蔵のリズミカルな取り口から「桜色の音楽」と評されたヤマザクラ、照国丸の船内装飾をした松田権六の漆芸の礎・石川県木の能登ヒバ・・・う~ん、あとひとつ。こういうところで何をひねり出せるかがこの5かけらを作る醍醐味!ところで、この照国丸は第二次世界大戦において日本が喪失した最初の商船であり、日本が参戦する前に唯一沈没した日本商船でもあります。嗚呼、哀しみの照国丸。




その神戸海洋博物館の館内にはさまざまな時代のさまざまな国の船のミニチュアが展示してありましたが、その中で私の目に飛び込んできたのは、私と同じ名を持つ一隻の船。1930年に竣工し、日本郵船が欧州航路で運航していた客船照国丸、その船です。『照国』のルーツは、薩摩藩第11代藩にして島津家第28代当主にあたる島津斉彬を祖とするという話はこのブログでも何度か触れてきました。 島津斉彬が50歳で急逝した後に、勅令により島津斉彬に対して『照国大明神』の神号が授けられたというものです。

その由緒正しき名は、その後歴史のいろいろな場面で登場することになります。この照国丸もそのひとつで、船の性能や大きさで欧米に大きく水をあけられていた日本の海運会社は、総トン数1万トン超えの大型船舶の造船に乗り出します。それで造られたのが、総トン数11,931トンを誇るこの照国丸です。姉妹船といわれる靖国丸と共に欧州航路で活躍しました。詳しい命名の由来までは分かりませんが、島津斉彬公と船についても興味深い繋がりがあるので、もしかしたらそのあたりに照国丸命名の由来があるのかもしれません。

私自身も自分の名前のルーツを訪ねていて知ったのですが、日本の国旗の制定にも斉彬公は大きく関わられていました。日本国旗の制定日は1870年2月27日(明治3年)となっていますが、それまでにも「白地に赤丸」のデザインは、意匠のひとつとして普及していたそうです。それを島津斉彬公や時の幕府海防参与であった水戸藩の徳川斉昭(徳川家最後の将軍・徳川慶喜の父)らが、日の丸を日本国惣船印に用いるべきだという建白書を老中・阿部正弘に提出しました。そして1854年8月2日に日本の船には日の丸の幟が使われることになりました。

つまり国旗としての日の丸は、先に船舶の国籍標識(惣船印)として導入され、その後に国籍を示す旗として広く一般化したという事なのです。それは海洋国・日本が、世界へ飛び出していくのに必要不可欠な『しるし』でもありました。斉彬が日の丸を国旗とするよう進言するにあたり、徳川斉昭以外にも四賢侯と呼ばれたわが愛媛の伊達宗城(宇和島藩)や鍋島閑叟(佐賀藩)といった有力大名たちにも同意を得るなど根回しもしていたそうです。嗚呼、照国丸深し!続く・・・

 




お取引先のミセスホーム㈱さんの協力業者会・ミスター会の研修旅行があり、今回は神戸・姫路方面に。行程では前後しますが、まずは神戸の『神戸海洋博物館・カワサキワールド』を見学。工務店さんの業者会ということで、職種は違えどもモノ造りのプロフェッショナル集団ですので、船やバイクにも興味のある方が多数いらっしゃいます。まあ建築関係では無くとも、男の子ならば船や車は大好物のはずなのですが、生憎私はなぜだかそちら方面への関心が信じられないくらいに希薄・・・。

車の免許が取れる歳になって同級生が車やバイクの話で盛り上がっている輪にも入れず(興味が無さ過ぎて輪に入る気もないのですが)。ということで船の構造やらバイクのデザインにも興味はないものの、その歴史や素材にはいささか興味があります。神戸海洋博物館に入ると、まず目に飛び込んでくるのはイギリス軍艦ロドニー号!縮尺1/8スケールの巨大模型という事ですが大迫力。船の構造の知識はなくとも、木造船のそのボディラインの美しさぐらいは分かります。

以前にこれと同じようなシチュエーションで巨大な船に圧倒された覚えがあると思っていたら、広島の呉の大和ミュージアムで観た全長26mの縮尺1/10スケールの戦艦大和以来。船に限らず、巨大構造物に対峙するとわけもなく気分が高揚するのは万国共通。戦艦大和の甲板には、水や腐朽にもよく耐え、優れた耐候性を持つチークが使われていたのは有名な話ですが、ネルソン級戦艦であるロドニー号には、軽量化させるためにチークよりも軽いモミ(樅)が使われていたという記述もありました。

奥には、日本の木造船の模型も展示してありました。その中には江戸時代から明治期にかけて日本海の海運の主役として活躍した『北前船』がありました。学校の授業で北前船の名前は教わっていたものの、その後北前船で胸がときめくことがあろうとは夢にも思いませんでした。今でこそ『能登の至宝』とも呼ばれる『能登ヒバ』が隠密の手によって青森から運んだのも北前船(諸説あり)。過去にもその模型は何度か見たものの、ここで見たのが最大。続く・・・




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