森のかけら | 大五木材


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無塗装だとちょっと分かりづらいですが、クリには節の赤ちゃんのような『葉節』があるのと、『キング・オブ・フォレスト(森の王様)』の異名をもっつ雄々しい表情のナラに比べると、クリは木目の雰囲気がやわらかく年輪幅も大きいです。迫力という意味ではナラに軍配があがるものの、肩の力が抜けたようなクリのゆるい表情は日本人好みではなかろうかと思っています。一方で線路の枕木や家の土台にも使われるなど、縁の下の力持ちでもあって、フローリングとしても通な方には人気があります。


詳しくは後日改めて紹介しますが、現在弊社が加工しているものの中にマッチ箱ぐらいの小さな商品があります。広葉樹の面白さはこれぐらいのサイズになってもその質感、存在感がしっかりあるということ。こんなに小さくしてもクリはクリ。写真は無塗装なので分かりづらいかもしれませんが、オイルを塗ると濡れ色になって、ナラトと混ざっていても識別しやすくなります。ただし注意しないといけないのは、クリにはタンニンが含まれているため、水や鉄に反応して染みになるので塗装前には極力濡らさないよう注意が必要です

そんなクリの木は、10月の誕生木で、木言葉は『公平』です。誕生木の出口として作ったのがこちらの『波栗膳(なみくりぜん)』。クリの板の表面を凹凸に削って『鎌倉彫り』風に仕上げ、凹凸のデザインは海の中でさざ波が起きているイメージを表現しています。サイズは、長さ300mmで幅200mm、厚み22mm。凹凸に削り出すことで、平凡で変化のなかった木目の表情が豊かになっていることが分かると思います。クリには数寄屋造りの床柱や茶室などにも重宝される『ナグリ』という独特の技法があります。

それにインスパイアされて作ったのが『波栗膳』です。東北あたりに行くと、童謡の『大きなクリの木の下で』で、歌われたような信じられないぐらい大きなクリの巨木に出会うこともありますが、この近隣ではそんな巨木に出会えることは望み薄。しかし小さなクリでも活かせる出口はあるはず。しかも凹凸をつければクリは驚くほど表現が広がる木でもあるので、その技法の力を借りて作り上げました。誕生木の出口のひとつとしてオンラインショップでも販売をしています。¥4,000(税・送料別)




決して救荒植物として植えているわけではないのですが、倉庫の裏の敷地に植えているの木に今年も沢山実がつきました。クリと人間の関わりは深く、古来より用材としても、食料としても人間の暮らしを支えてくれた大変有用な材ですが、実が食べられる木というのは何だか得した気分になったりするもの。しかしその分、栄養は実にとられてしまうのか、クリの木の隣には同時に植えたものの、樹高はおよそ倍以上もあろうかという槐(エンジュ)が天に向かってすくすく伸びています。今日はそんなクリの話です。

先日ナラの幅広のフローリングの塗装をしていた時のことです。弊社では基本的には無塗装のフローリングを購入して、自社で塗装して納品しています。塗装賃でも儲けたいのかと思われるかもしれませんが、実際には自社で塗装するよりもメーカーで機械塗装したものを仕入れる方が安いのです。ただそうなると箱を開封することもなく右左で商品を動かすことになってしまうため、何だか『関わりしろ』がなくて寂しいというかモッタイナイ。勿論塗装賃(人件費)で少しでも利益を出すという狙いもあります。

材木屋としてそれで少しでも関わりたくて塗装をしているのですが、塗装する前に梱包を開けてまずは検品をします。一枚ずつばらして、節やジョイント部分などに問題がないかを目視で確認します。何か問題があれば塗装前に補修して、それから塗装するのですが、その工程で女性スタッフが発見したのが、ナラのフローリングの中に混入していたクリのフローリング。通常ではまず考えられないことですが、確かにそこにはクリのフローリングが!しかも1枚や2枚ではなく、数えると20数枚も混入していました。


もともとはナラが入っていて、ほおっておいたらいつの間にかクリに変身していましたなんて話はないわけで単純な仕分けミスだと思います。たまたま在庫量と納期に余裕があったので事なきをえましたが、あってはならないミス。納期がタイトな現場ならメーカーに怒りの電話のひとつでも入れるところですが、120幅の無節のクリのフローリングってナラの節ありよりもある意味貴重だったりするので、まあよしとするか・・・で結局出番がなかったりするのですが、これもご縁。

恐らくその工場ではナラやクリなど多くの広葉樹のフローリングを作っているので、本来あってはならないことですが、選別する工程で混ざってしまい気が付かなっかのだと思われます。選別されていると思い込んでいると、無塗装なので色目は似ているため見過ごしてしまったのかもしれませんが、困惑よりも女性スタッフがめざとく見つけてくれた事に感心。【森のかけら】などの商品の塗装や検品にも関わってくれているので、知らず知らず目が肥えてきたのだと思うのですが、これも日々の地道な作業の成果!




今更の話で恐縮ですが・・・先日、『和牛甲子園』の事に触れましたが、愛媛においてはもっと親しみのあるもうひとつの甲子園が、今年で20回目の開催となる『俳句甲子園』です。以前にその裏方の状況についてはこのブログでの紹介させていただきました。文学の町ともいわれる愛媛の象徴でもある正岡子規と、自身の松山赴任をモチーフに名作『坊ちゃん』を書いた夏目漱石の「子規・漱石生誕150年」でもある今年は、例年以上の盛り上がりだったそうですが、残念ながら今年は会場に行くことができなかったので様子はテレビで拝見。

今年も出場高校に大会前日のウェルカムパーティの場で、それぞれ明日に賭ける思いを言葉にして綴ってもらおうという『ことばの森』は昨年評判がよかったので、今年も甲斐明香先生にお願いして持ち込んでいただきました。そこには全国から集った高校生たちの熱い覚悟と力強いメッセージが刻まれています。私は直接高校生たちと話す機会はありませんが、『ことばの森』に茂った言葉を見るだけで俳句甲子園の熱気が伝わってくるようで、一枚一枚の言葉を読ませていただくのも密かな楽しみ!

昨年は大会会場で生の熱気に触れて、来年の20回記念大会では何か新しいものを打ち出せたらなどと考えてはいたものの、のど元過ぎれば熱さを忘れる雑な性格が災いして、結局実行できた新たな取り組みは、携帯電話から申し込みが出来る登録方法のみ。それでも申し込みフォームによる方法に切り替えたことで、誤字や旧字づかい、名前や住所などの書き文字の確認などの作業が大幅に軽減され、昨年に比べると短期間で申し込みいただいた方に発送させていただく事が出来たことはなによりでした。

会場で販売全般を受け持っていただいた甲斐先生と大学生たちにはただただ感謝なのですが、甲斐先生からは昨年ご購入いただいた方が今年もお求めいただいたとのお話も伺いました。そういうことがものづくりの推進力になったりするもの、ありがたいことです。まだ2年目ですが続けていくことで、一人でも多くの『俳句甲子園ファン』が増えるお手伝いが出来ればと思っています。歴代最優秀句については、弊社のHPのオンラインショップでも販売していくつもりですので、ご興味のある方は是非どうぞ!




私が大五木材に入社した当時にも、バンドソーやプレーナー加工機ぐらいはありましたが、それらはもっぱら弊社に刻みに来られた大工さんが使うものであって、自ら積極的に使うものではありませんでした。その後、プレカットの台頭とともに、現場での加工作業が激減。材木屋でもガンガン加工するようになり、現場に届けるのは加工された木材ばかりになってきました。そういう流れで弊社でもプレーナー加工やサンダー仕上げ作業が日常のこととなり、現在ではベルトサンダーを使わない日はないほど

それだけ加工するにも関わらず集塵装置を取り付けていないので、日々木粉が倉庫の中に積もっていくのです。作業場が狭いこともあって集塵装置を取り付けずにきたので、いちいちおが屑を救い集める作業にも体が慣れてしまいました。その加工場の奥にもいくらかの長尺の耳付き板を積み上げているので、久し振りに表に引っ張り出したりすると、長い期間にわたり堆積した木粉がまるで地層のよう!その上を小さな虫が這いずりまわっているので、こういう『デスバレーの動く石』のような軌跡が現れるのです。

これは『ダリナ(アンゲリン)』の幅広の一枚板の上に積もった木粉。ブロワーで少し飛ばしてみれば、赤身を帯びたダリナの姿が見えてきました。材木屋と木を食す虫は切り離せれない関係で、樹皮に潜む幼虫から、倉庫を飛び回る成虫、海外からのバンドルに交じって密航してきた異国の虫などさまざまな虫が入り込んでいます。木は決して人間だけのものではありません。そこをねぐらとしたり、生きるための糧としている虫たちにとっては、根こそぎそれを奪う人間のほうこそが侵略者や破壊者なのでしょう

とはいえ、こちらもその『木』で飯を食っていかねばならない身。どこかで折り合いをつけねばなりません。立派な材をボリボリと齧られてしまうと、そんな悠長なことも言ってられませんが、幸いにもというか恥ずかしながらも弊社にはそんな立派な銘木は無いので、在庫品が喰われてしまったら、それはそれで出口を切り替えるのみ。端材の活用に関してはちょいとノウハウもありますので、虫食いの木とてそれなりに使えます。それよりもそういう時に気になるのは、虫たちが喰った穿孔の軌跡、こっれてアート!?

木粉の上に描かれた軌跡は消えゆく運命にありますが、樹皮を食った軌跡は残そうと思えば残せます。それでそこにどんな価値があるのかと尋ねられますが、価値を見出しているわけではなく、面白いと思っているだけ。面白いなんて言うと、自分が生きるために必死にもがいた虫に対して失礼な話かもしれません。樹皮に産み落とされ、生きるためにがむしゃらにそこにある「食料」を必死に食っただけのこと。ここまで食うかと思うほどに食い尽くし薄っぺらくなった樹皮、そこに打算はなく真摯な生があるのみ。




世界のミステリーのひとつに、アメリカはカリフォルニア州の国立公園にある『デスバレーの動く石』というのがあって、この手の話が大好きな私は昔から興味津々でした。ご存じない方のために説明しますと、かつてはゴールドラッシュで賑わったのですが、その後衰退し住む人もいなくなった荒地です。長野県に匹敵する面積を持つアメリカ最大規模を誇る国立公園内にある、通称『死の谷』とも呼ばれる荒涼として乾燥地帯でその謎の現象は起こります。重さ200㎏を超える巨石が独りで勝手に数百メートルも動き回るというもの

といっても石が動いている姿を見た人は誰もいなくて、石が動いた軌跡が発見され、すわ宇宙人の仕業か、嵐の仕業かな、いや意思を持つ石からのメッセージなのではなどと様々な推測され子供心にワクワクしていたものです。原因が分からないところにロマンがあるのですが、残念ながら近年この謎も解明されてしまいました。ご存知の方も多いと思いますが、巨石が動く理由は「地表の泥に浮いている薄い氷が割れ、風によって割れた氷が何層にも重なり、大きくなった氷が石を押し進めている」というもの。つまり自然現象

かなり限定された条件が幾つも揃わないと発生しない特異な自然現象ということのようですが、そうやって昔からまことしやかに語り継がれてきたミステリーが解明されていくのって、私は複雑な心境。かつては人間の英知が及ばない未知の現象と考えられていた事が次々と科学的に解明されていくことで、自然に対する畏怖や畏敬の念って薄れていくのではないでしょうか。私としては謎が解明される数よりも謎が生まれる数が多いほうが嬉しいのですが・・・。ところでこれが何の前フリだったのかというと、これ。

この写真は、「デスバレーの動く石」をかなり俯瞰で捉えたものではありません、という言葉をいいたかったためだけに持ち出した前フリだったのです。実はこの石が動いたような軌跡(そう見えるか見えないかは問題ではありません、自分が楽しんでいるだけなので)は、倉庫の中から長年眠っていた材を引っ張り出した際に現れたものです。正体を明かすと、厚みにして実に10㎜以上もの微細な木粉が積み重なった上を小さな虫が這いずりまわった跡。さっさと掃除をすればいいものを、ここにデスレバーの動く石が重なって見えたのです。続く・・・




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