森のかけら | 大五木材


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ここ数日間いろいろ慌しかったのですっかり報告が遅れてしまいましたが、遂に【森のかけら240+】の新解説書が完成しました。思えば随分長い道のりでした。新しい解説書を作ろうという思いは、かなり以前からありました。【森のかけら100】の販売を始めた当時は、日本と世界合わせて120種の木を用意していました。しかし生来の凝り性で、すぐにそれでは自分自身が物足らなくなりました。もっと多くの木を見てみたい、もっと多くの木を触ってみたい、もっと多くの木の事が知りたい、という材木屋の好奇心はとどまることを知らず、エスカレートしてついに240種の高みにまで辿り着きました。

20090527日本120種と世界120種の計240種ですが、詳細については当ホームページの【商品紹介】の項をご覧下さい。ただし、気をつけていただきたいのは、常時240種類がフルに揃っている訳ではありません(くれぐれもご注意下さい!)。120種類の時もそうでしたが、100個入りの専用の桐箱に入りきらなくてもいいから全種類欲しいという奇特な方が結構いらっしゃいました。本当に木の好きな方だと思います。大変ありがたいことです。しかし、基本的には『端材』の活用という所に立脚していますので、欠品すればすぐに作れるというものでもありません。ところどころ歯抜けになってしまうことも間々あります。そのために、20種類の含みをつけて商品化しました。今回の【森のかけら240+】は、なおの事レアな領域にまで手を広げたので、欠品も増えてくるかもしれません。なるべくは欠品が出ないように補充していくつもりなのですが・・・

多くの種類の中でも、人気によってかなりの差が出ます。これは一度改めて、【森のかけら・人気ランキング】を発表してみたいと思っているのですが、ついでに予想もしていただいて。『日本だけで100』というのが1番人気があるので、どうしても日本の木でしかも馴染みのある木が人気となります。そういう木は作ってみ作ってもすぐになくなります。逆に、『世界』の方で、特に東南アジアやアフリカなどであまり馴染みのないマニアックな木はなかなか選ばれません(悲しい・・・)。ストックボックスの中でいつも満杯に残っているのは、可愛そうになってしまいます。

また、あまり建築などには使われなくても、その木の持つエピソードが面白い木や、漢字が変わっているものなどは結構選ばれることも多いです。そういう事もあるので、本当はホームページの【今日のかけら】コーナーに全ての種類をアップしておいて、それを参考に選んでいただけるようにしたいのですが、きちんと内容を書こうと思うと資料集めやら写真やらと妙に凝ってしまい、なかなか思うように進んでいなくて申しわけありません。もう少しペースを上げて【今日のかけら】コーナーも充実させていきたいと思っています。

20090527-2話は冒頭の話題に戻ります。今回は240種全てを、イメージ写真付の解説書をオールカラーで仕上ました。当初の思惑は、【日本100+世界100】が出来るように200種類を目指したのですが、前述したように欠品が発生してしまうのでいくらかの予備幅が必要です。そこで210か220ぐらいにしようと、種類を集めていたらそれ以上に集まってしまい、集まったら出番がないのは可哀想ということでそれも加えました。そしたら日本と世界の数のバランスがいびつになり、それでは整理しにくいので揃えようと・・・そんな事をしていたら240種になっていました。実はまだ集まる可能性もあったのですが、もうそれではキリがないので、印刷物の事も考慮して240種類に落ち着きました。

しかし、『他にも種類ありませんか?』などと声を掛けていたものですから、全国の仲間や先輩達が『まだ見ぬつわもの』どもを紹介いただいています。なのでそれはまた数がまとまれば、別の形で【新商品】として、いずれ販売するつもりです(いずれ!)。最終的にどこまでいってしまうのか自分でも見当がつきません。まあ、本当の森のようにエンドレスで、気楽にいこうと思います!

20090527-3外は箱もリニューアルして、飾りのスリープも作りました。愛媛県の【デザイン活用売れるものづくり支援事業】の成果です!エス・デザインスタジオの佐野勝久さんとパルスデザインの大内智樹さんにデザインしていただきました。以前のものよりもかなり洗練されて、【ギフト】としても恥ずかしくない物になったと思います。【森のかけら36】についても同様のスタイルにするのですが、まだ以前のものが少々残っています。『ケチ根性』から生まれた【森のかけら】としては、『ある物は無駄にせず使う』という姿勢ですので、セットで購入される方は、しばらくの間は箱の形状が違ってしまいますが、それも運命だとあきらめて下さい!旧タイプの箱がなくなり次第、新しいものに切り替えていきます。

森のかけら240+】の【】は何?と思われる方は、是非ご購入下さい。なお、新解説書付の【森のかけら100】の発送は、今週末からとなりますのでご了承下さい。【森のかけらファン】の皆様、大変長い間お待たせいたしました。しいステージの幕が開きます!ショウ・マスト・ゴー・オン~幕を降ろすな!




『縁』に生きる

今日、法事に法事が終わり、一連の儀式が滞りなく終わりました。先程数日振りに松山の自宅に帰ってきました。思えば先週の21日の昼過ぎに連絡があってから5日間、通夜から告別式、法事と慌しく感傷に浸る間もないほどでした。わずか5日前の出来事でしたが、父が亡くなったのがもう随分前のような気がするほどです。松山の自宅から、野村町の実家まで約1時間半ぐらいの距離ですが、この数日何往復もして、車中でいろいろな事を考えました。いつもは結構長く感じられる距離感も、あっという間でした。父の事だけではなく、自分の健康の事、家族や親戚の事、今後の仕事の事などいろいろな事をじっくり考えました。ちょうど父が倒れる前あたりは、いろいろな事が重なり結構ストレスもたまっていたのですが、この5日間が丁度良い冷却期間となりました。

20090521-e79fb3e98e9ae7a59ee7a4be20090521-e79fb3e98e9ae7a59ee7a4beefbc92告別式の後にも兄弟家族で集まり話をしましたが、父が倒れる少し前に、普段ではないような事が身内に幾つも重なっていたようで、今思えば「虫の知らせ」のような気がします。母は昔から信仰心に熱い人で、父と一緒に『四国八十八箇所のお遍路』にも行っていました。また日本七霊山の一つ霊峰石鎚山を神体山(神しずまります山)とする御社『石鎚神社』にもよく行っていました。恥ずかしながら私は信仰心が薄く行ったこともなかったのですが、1週間ほど前にたまたま『石槌神社』の近くの現場があり、それでもいつもは素通りするのですが、何だかその日はちょっと寄ってみようよいう気になり、仕事の帰りに少しだけ寄ってみました。あまり時間がなかったのでゆっくりはしませんでしたが、不思議な因縁を感じます。

告別式には父の古い友人の方も多く来ていただきましたが、地元の方とは普段あまりお付き合いがないので、中には数十年ぶりにお会いした方々もいらっしゃいました。昔、それもまだ子どもの頃お会いしたっきりの方は、当時の記憶のままの姿でインプットされていて、タイムマシンに乗ったような感覚に襲われました。バタバタしていて参列者の方の名簿も整理するには時間もかかり、実際にお会い出来た方の方が少ないのですが、かつての私の同級生達も来てもらっていました。こういう形で再開するのも『縁』だと思います。法事の席で和尚さんからも、人の縁の大切さを教えていただきましたが、改めて人の『縁』のありがたさを身をもって感じました。これも偶然ですが、私はこの数年前から新しくお会いした方への挨拶などには、【このご縁に感謝して】という言葉を結びに使わせていただいおりましたが、それもこれも何か不思議な力で繋がっていたのではないかと思います。世の中、すべての事が不思議な『縁』で繋がっている因縁を感じます。

両親とも兄弟が多く、親戚も多いのですが、今回の事では多くの『縁』ある方にお世話になりました。私達兄弟もそれぞれに伴侶と子どもがおり、皆が仲良くしています。これからは兄夫婦を中心に更に皆で仲良く頑張っていこうと思っています。まだ幼い子どももいて、この事を覚えているかどうかも分かりませんが、大人になった時にも『従兄弟連中で仲良く遊んだ日々』の事はしっかり覚えていることと思います。

私は男3人(兄・弟)と妹の4人兄弟妹です。どこもだいたいそうだと思いますが、男兄弟は大きくなるとあまり会話はしなくなりがちです。私達も仲が悪いわけではありませんが、必要最低限ぐらいしか話すことがありませんでした。この数日間は、何年分も話をしました。そういう意味でも父の死は、多くの事を教え与えてくれました。今日の法事でとりあえず落ち着きました。本当にいろいろとご心配とお世話をおかけしました。多くの皆様にご縁に感謝して、今日でこの件に関してのブログは終わらせていただきます。明日からは通常通りの仕事を再開させてただきます。本当にありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します。




祭壇の笑顔

本日無事告別式を終えることが出来ました。天気予報では、降水確率10%でしたが、雨が降ることもなく参列者の方の足元を汚すこともなく、大勢の方が弔問にお越しいただき故人もさぞ喜んでいることと思います。若い頃から派手で賑やかな事が大好きでしたので、祭壇も華やかに飾り付けさせていただきました。多くの皆様のお陰で無事に父を送り出すことが出来ました。ありがとうございました。

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昨夜は兄弟で古いアルバムを引っ張り出し、告別式で使う写真を選んでいました。母の時もそうでしたが、古い白黒の写真からつい最近のものまで、その1枚1枚の写真の背景を懐かしく語り合いました。途中から親戚も加わりいろいろな秘話も披露していただき、一層盛り上がり故人を偲びました。父は若い頃から派手好きだったようで、赤面するような格好でビシッと決めた写真も多く発見されました。海外旅行の写真も多く、そういえば子どもの頃は訳の分からないお土産もよく買ってきてくれました。若い頃から恰幅もよく、今の私と同じ歳の頃にはもうかなりの貫禄がありました。しかし、これでは糖尿にもなるはず・・・やはり健康には気をつかわねばと改めて思いました。

20090524-e78caae4bd90e794b7efbc93病を患ってからは、写真を写されるのも好みませんでしたが、孫達に囲まれた時はにこやかな笑顔を浮かべた写真が幾つもありました。式の冒頭で流していただく思い出の写真と祭壇に飾る遺影は、どれも笑顔の写真を選びましたが、思えばそういう笑顔を見たのもいつ以来だったでしょうか。病床にある時にも、「仕事は大丈夫か」とか「決算はどうだったとか」、仕事の心配ばかりさせていましたが、父も仕事以外の普通の会話が苦手だったので、それが私にとってはまだ元気な証と思ったりもしていました。最後の最後まで心配をさせてしまいました。母とは再会できたでしょうか、元気な体に戻って早くもゴルフに行きたくなっているのではないでしょうか、そんな事ばかりを考えます。祭壇の父はにこやかに笑っており、これからはこの笑顔の父と過ごすことになります。この顔を見ていると、もう怒った顔や病床で苦しんでいた顔が思い出せなくなります。父の思いもこの笑顔の中に閉じ込めておきたいと思います。

遠方より多数の方にご参列いただき心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。




葬式を前に

実家に戻っているのですが、インターネット環境が十分でないため慌しくすみません。少し時間が経ったら整理していろいろお話できると思います。明日が葬式で準備が慌しく、感傷にふける暇もないほどです。思えば10数年前に母を亡くした時の事が走馬灯のように浮かびます。あの時一番悲しみ落ち込んでいた人が今はいません。母という最も身近で大切な存在を亡くした時、回復しがたいような衝撃を受けました。あの時、相当に心が鍛えられました。今回の父の死は、糖尿病や心臓病などたくさんの持病を持っていただけに、多少覚悟はあったものの、まさかこういう形で最後になるとは思ってもみなかったので、別の意味で衝撃がありました。母の時もきちんと別れの言葉が言えませんでした。今回も、いままでの感謝の言葉も掛けられなかったのはとても後悔しています。せめて明日、立派に送り出せたらと思っています。




丙午の男

日曜日に父の告別式を控え、しばらく田舎に戻りいろいろと準備に追われています。両親とも兄弟が多かったので、こういう時には親戚筋が多く集まっていただき大変助かります。また私は、男・男・男・女の4人兄弟の二番目ですが、それぞれに結婚もして子どももいます。兄のところが3人、私が3人、弟が2人・妹が2人と総勢10人です。私の家内のところの姉弟のところも10人(私のところ3人含めて)子どもがいて、私の関係で言うと総勢17人にもなります。それぞれの結婚もそう離れていなかったので、子どもたちの年齢も割合近いので、全員が揃うと田舎の小学校並みの賑やかさになります。

ちなみに私は昭和41年生まれの、いわゆる『丙午』なので、極端に同級生が少なく小さな頃からほとのど競争らしい競争はありませんでした。田舎なのでそもそもが少ないのですが、それでも小学校の同級生は16人でしたから、今の自分の兄弟たちの子どもの数より少ないです。もう子ども達も一番上の子が中学生なので、みんな揃うとかなりのモノです!でも今回のような事があると兄弟、従兄弟が多いのはいいことだとつくづく感じます。

以前はよく『丙午』の話をすると、「あー、やっぱり少ないんだ」と得心されていましたが、さすがに60年に一度の『貴重』な年なので、最近の若い方には馴染みがないようで、「丙午って何ですか?」とか言われます。『丙午』の年に生まれた女子は男を食い殺すとか、小さな頃から相当聞かされました。そもそも、その年回りに大火が多かったことから、「丙午の年は大火が多い」とか「この年に生まれた女性は気性が激しい」などという迷信が生まれたようで、別にしっかりした根拠があるわけでもなく当事者としてはえらい迷惑な話です。昔はこの迷信が強く信じられ、女の子が生まれると間引きされたとか、結婚できなかったとかいう悲しい実話もあったようです。私達の頃は、既に「遠い昔の言い伝え」のようなある種の昔話的は感覚がありましたが、でも実際にもその年は全国的にも出生数が極端に少ないので、当時の親達は密かに信じていた部分があったのかもしれません。同じ歳の女子はまた違った感覚だったかもしれませんが、「丙午の男」というのはどちらかというと同情的に見られ、何か「特別の」という意識があり別に嫌でもありませんでしたし、大学、社会人となり『丙午』世代に会うと妙な連帯感が持てたものです。

結構前ですが、青島幸雄氏が『人間万事塞翁が丙午』という小説を書かれ、『丙午』がひと時脚光を浴びましたが、今は話題になることも少なくなりました。人口統計のグラフで、ある1年だけが極端に少ないのが『丙午』でしたが、最近は出生率の低下から、『丙午』世代と変わらないような少子化現象が進んでいます。その中にあって、こどもが兄弟身内で17人もいるということは、大変ありがたい幸せだと思います。

同じくらいの世代のこどもが次々に生まれ、あまりの子どもの多さに、父も最期のほうは名前も覚えきれないほどでした。過日のゴールデンウイークの際には、子どもたちも全員が揃いました。父はパーキンソン病の影響で話すのが少々不自由でしたが、屈託のない孫達の笑顔に囲まれて楽しかったのではないかと思います。




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