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昨晩は、日頃からお世話になっている㈱エス・ピー・シーの早田洋一さんに、早田さんも所属される異業種交流会の『平成会』(藤岡明会長)の1月例会に講師としてお招きいただきました。事前に、錚々たるメンバーの皆様の名簿をいただいても、恥をかいて死ぬわけではありませんので一切動揺はありません。これは自信がついたとかいう話ではなく、相手が誰であろうと出来る事に変わりはない、ならばベストプレイを尽くすのみというような一種の諦観の悟りの境地なのです。
早田さんとは長いお付き合いなので、こちらの能力を分かっての人選です。あまり上手に喋れても、ある意味「期待はずれ」(!)に終わってしまうので、そういう意味では「それなりの期待に応えなければなりません」。しどろもどろになりながら、脱線を繰り返し、話が飛躍・暴走しながらも、奇跡的に死人・怪我人が出ることなく、最後は片輪でギリギリ着地する!というあたりが、私を講師に招こうという無謀な方々のお望みなのでしょう、きっと。頑張れば頑張るほどに同じような結末になりますが、いずれにしても自分なりにベスト・パフォーマンスをするのみ!
会場は松山ワシントンホテル。平成会のメンバーにも当ホテルの立石雅章・総支配人もいらっしゃいましたが、今年の新年会でもよくお世話になりました。木青協の例会などでもお馴染みです。早田さんから、話すテーマを決めて下さいという事でしたので、『森のかけら、世界を目指す!』という勢いだけの壮大なテーマを掲げて、後はその場の雰囲気で好き勝手に話そうと思っていました。自己紹介のプロフィールもいつもの調子で、このブログのようなノリの文章を書かせていただきました。お話をさせていただくのであれば、あれもこれも喋りたいので時間が足りなくなります。事前に読んでいただけるものは読んでいただいておいて、核心だけを喋りたいので、箇条書きのプロフィールでなく、その1枚で私の正体を知っていただくようにしています。すると、そのテーマをご覧になっていたにも関わらず(?)、30数名近くの紳士淑女の皆さんが集まっていただきました。なんて奇特な皆さんなんだろうか!
とりあえずレジュメとか原稿は作らない主義なので、言い忘れたくないキーワードだけ書き出しておきました。席もご用意いただきましたが、座って話すのは性に合いませんので、立ったままで地声で喋らせていただきました。ゆっくり落ち着いて喋る事、という思いはいつも心がけています・・・話す前までは!もう始まってしまえば、その場の雰囲気や温度間に従うのみです。早速講演開始となりましたが皆さん一切私語もなく、こちらを直視して真剣にご清聴いただきました。始まって30分経ってもほとんど笑いもなく、目が怒っているのではと疑心暗鬼になるほどの静まり具合・・・。
これはヤバイのでは!頼みの早田さんも急用が出来、途中退席されていたので孤立無援。しかし、途中からこの静寂は熱心に聴いていただいている証拠なのだと勝手に思い込み(!)、そこからはギア・チェンジでフルスロットル!1時間一気にお話させていただきました。講演後、一緒にお食事もさせていただき、個々にお話を伺うと、面白かったと持ち上げていただきましたが(嘘でもありがたい)、私にとってこそありがたいご縁です。後から気がつきましたが、お知り合いの方がいらしたり、数少ない丙午生まれの同級生がいたり、近くの会社の方がいらしたり、ご縁のある方々がたくさん!母校の松山商科大学の石川正一郎教授をはじめ、OBの先輩方もたくさんいらっしゃいました。その方々ともこういう席がなければ巡り合わないものです。人のご縁の不思議を感じずにはいられません。去年もこんな感じの出会いから、キッズデザイン、APECなんて信じられない流れになったのです。
いろいろな異業種交流の場でお話を伺っていると、職種に関係なくどんな仕事でも、(強引につなげようと思えばいくらでも)つながらない仕事なんてないという事を再認識。すべての仕事が誰かのためにある以上、立場は違ってもどこかでつながらないはずなんてないのでしょう。我々が森から生まれた生き物で、そのDNAを共有する限り、「木」に抱く感情はほぼ共通です。勢いだけでまくし立てて、さぞお聞き苦しい話だったと思いますが、喋った私は妙にスッキリ。いつもの事ですが、好き勝手に自分の思いをまとめて喋らせていただくのは快感でもあります。疲弊する木材業界の中に、こんな生き物もいると知っていただければ充分です。目に見えない時運の龍はさりげなくそのあたりに寝転がっていて、こちらがその姿に気づいてその背に乗れるかどうかだけなんでしょう、きっと。今宵、しっかりと一匹の龍の尾を踏みました!さあ、次は乗るぞ~!
このブログを始めるにあたって幾つかの誓いを立てました。1つ、必ず毎日アップする(遅れ遅れになる事がありながらも何とか2年は継続中)。1つ、材木屋のブログとして木や森、緑、自然またはそれから生まれたものや関連したもの・人・団体・活動について書く(数あるお酒の項目もただの酔いどれ日記にはしていないつもりですが誤解されてるかも・・・)。1つ、人を中傷・誹謗するような事、人の悪口は書かない(書いていないつもりですが、そう捉えられる事があったかも)。1つ、読んでいただいて気分が滅入るような後ろ向きな内容は書かない。必ず前向きな内容にする(反省は数あれど前を向いて書いたつもり)。この4つの誓いを自らに科して今まで書いてきましたが、長い人生山あり谷あり。本日はその禁を破ってしまいそうになる辛い話です。わざわざ触れなくてもとも考えましたが、木青協などを通じて関わりのある方も多く経過を案じていらっしゃる方も多いと思うので敢えて書かせてもらいます。
私がこの大五木材に入社して22年になり、44年の人生の丁度半分が木材に関わったものとなりました。その木材人生のほぼ大半に関わり最大の友人であった井部勇治君が代表を務める久万銘木㈱が40有余年にわたる長い歴史の幕を閉じることとなったのです。昨日破産申請をして業務が停止しました。井部勇治君は私の1つ年下で、この木材業界に入った時期がお互いほぼ同じという事もあり、その頃から古いお付き合いがありました。その後、先に入会していた私が愛媛木材青年協議会に誘った事で、更に公私にわたり深く関わるようになりました。共に酌み交わした杯は数知れず、お互い仕事の愚痴や夢も含め、もっとも腹を割って話せる友であります。仕事上も取引があり、銘木や床の間材、集成材、フリー板などを分けていただき、弊社からも耳付材などを少し買ってもらっていました。
友情の上に出来た仕事は長続きしにくいが、仕事の上に出来た友情は長く続くと言いますが、まさに彼とはそういう関係であったように思います。年齢の事もあり、私が相談を受けることも多かったですが、私にとっては彼とは合わせ鏡。相談に答えながらも、その言葉で自分自身が抱える悩みも告白、解決していたように思います。他人から見ればつたない二人が集まって何の解決になるかと思われていたかもしれませんが、私にとってはもっとも自分を曝け出せる真の親友です。
その彼の会社が昨日、破産宣告をして会社が無くなるという道を選択しなければならなくなったという事は、私にとっても突然の衝撃的な悲しい結末です。詳しい経営内容までは知り及ぶものではないのですが、この業界に身を置くものとしては決して他人事ではありません。この選択をするにあたって本人なりに相当悩みもあった事で、今更ああすればよかった云々の話をしても仕方ありませんが、その事実は厳然としています。仕入先、販売先にも多大な迷惑を与え、これから贖罪の日々となることでしょうが、人生が終わったわけではありません。そういう事態になれば消息を絶つ経営者が多い中にあって、誠心誠意謝罪したいという彼の気持ちを酌んでくれる債権者も多いのはないかと思います。
メーカーと小売店をつなぐ卸売り業として久万銘木という会社が果たしてきた役割はとても大きなものがありました。破産後は粛々と事務手続きが進められていくことになりますが、その影響は大きく、当分の間市内では相当な流通の混乱が生じるものと思われます。弊社自体もわずかながら債権はあり、その後の仕入れにも問題は起きているのですが、翻(ひるがえ)ればそれだけ大きな役割に担ってきたともいえるのです。会社が無くなっても誰も困らない会社ではつまらない。かといって本当につぶれてしまっては身も蓋もないのですが、雇用、『銘木まつり』などを通じての銘木文化の伝承等を含め、今まで果たしてきた社会的使命は大変大きく立派なものがあったと思います。それゆえに今後、何らかの形で復活を望む声が多く挙がってくるのではないかと思います。その道は果てしなく険しく困難で辛いものだと思いますが、住宅というものがこの世にある限り、最低限必要とされる仕事は求められます。
こういう形になっても応援してくれる仲間がたくさんいるというのも、彼の人望であり、久万銘木という会社の存在意義であったと思います。昨日も木青協はじめ多くの方から弊社にも数多くの問い合わせがありましたが、いずこも彼への温かい励ましばかりでした。人の情けが身に沁みます・・・。天に向かって志さえ捨てなければ、必ずまたチャンスはあるはずです。今は混乱していることだろうがここが正念場、がんばれ勇治!陽はまた昇るものだから。
★なお、久万銘木敷地内で営業されている絵本の店『コッコ・サン』におかれましては、通常通り営業されております。今月の22日からは、『こびとづかん・絵本原画展』も開催されており、たくさんのお客様で賑わっております。是非、ご家族でお出かけ下さい!
昨日何気なくテレビを見ていたら、「お江戸ミステリー!家康が最も怖れた仕掛け人」という番組のCMが流れていて、その日の15時から放送とありましたので、これは観ておかねば!と気合を入れて視聴しました。私、こういう掘り下げ方とキャッチコピーに弱いのです。内容は、江戸時代に活躍した天才的クリエイターたちのダイナミックな人生にスポットを当てたもので、中井正清という大工、松尾芭蕉の別の姿、栗山膳四郎という料理人などを取り上げ再現ドラマ仕立てで紹介したものです。
以前に、わずか3年で灰燼に帰した幻の名城・安土城を築城した棟梁・岡部又右衛門の事を描いた山本兼一作の『火天の城』の小説と、それを原作とした映画の事を取り上げさせていただきましたが、その安土城を遥かに凌ぐ規模の白亜の江戸城が実在した!などと聞いては観ないわけにはいかないでしょう。この幻の江戸城の事は、歴史的な事実だったのかどうか知りませんが、私としては驚き。なぜ今まで表に出てこなかったのでしょうか?新発見という訳ではなく「切り口」の巧さなんでしょうね、きっと。
城には膨大な数の瓦が使われ荷重の関係で、それまでの工法では不可能とされた超巨大城の築城をどうやって建てたのか?結論を大層に膨らませていくあおり過剰の演出も嫌いでなないのです、私。結論から言うと、木片に鉛を塗って仕上げることで、従来の瓦の1/4以下の重量の瓦を作り上げ、それを屋根全体に葺いたのです。白い瓦は時を経て銀色に輝き、峰に雪をいだいた富士の姿を連想させる事から「白亜の城」の異名を得たとか。この鉛瓦はあまりにコストがかかるため、現存している城としては唯一、石川県の金沢城に一部現存しているだけとか。瓦が軽量化できた事で、安土城の倍にもなる超大型城を可能とし、江戸の市井の町民が見えあげた江戸城の高さは実に80mにもならんとするものであったとか!全国から集まった巧みの数25万人にして、施工期間は驚異の1年間!
その陣頭指揮を執ったのが、法隆寺の門前で生まれ、名古屋城や伏見城ほか数々の世界遺産の建築に携わってきた名棟梁・中井正清。家康の信頼を得、大工でありながら大和守(やまとのかみ)の位を授けられ、家康の前で大酒を飲み大言壮語を許されたとか。家康はその後数年で亡くなり、中井正清は久能山東照宮を造り家康を祀ったのですが、荘厳にして重厚なその建物は昨年国宝の指定を受けています。その後、江戸城は幾度も厄災に見舞われ、秀忠、家光によって建て替えられます。
太平の世となり城造りは急速に衰えていくのです。権力と威厳の象徴でもあった城が姿を消し、庶民の文化が花開き、今で言うところのグラフィック・デザイナーである葛飾北斎などが登場し、うどん一杯の値段で(今では国宝級の浮世絵が)買えたという展開で番組は続いていくのですが、大工だけでなくこちらの方にも興味津々。 今までであれば無関係に思えて見過ごしてきたものが、ヒントを帯びて見えてくるようになりました。ああ、これも木でいける!ああ、これも木で作れる!ちなみに浮世絵の版木は【桜】が使われてきました。
桜は磨耗性にも優れ耐久性もある事から、何百回と版を重ねる浮世絵の版木に用いられたのです。他にも和菓子の型木にも使われたりしています。江戸城の瓦から、浮世絵の版木まで、番組では木というキーワードのくくりはありませんでしたが、日本の文化は木材が支えてきたのは間違いありません。先日の「四國村」にも古い和船が展示してありましたが、『森の出口』は歴史を紐解けば、用途の原点も含めてもっと見つかりそうに思います。是非次回は「家康が最も愛した木材」とかいう切り口の番組を期待したいところです。
昨日の『四國村』での研修会の話の続きです。広大な敷地にはたくさんの樹木が植えられていました。残念ながら今の季節でしたので、花や葉やほとんど楽しめませんでしたが、カメラにはたくさん収めさせていただきました。高知県の牧野植物園ほどではありませんでしたが、私にとっては建物とは別の楽しみを満喫させていただきました。ネームプレートもあるので、しっかり樹木名が認識できる「樹木の画像収集」の貴重な場なのです。以前途中でバッテリーがなくなるという失態にも準備万端で臨みました。
こちらは【桂】の木です。季節柄、桂の特徴であるメルヘンチックなハートの葉が落ちてしまっているのは残念ですが、枝垂れた姿に独特の妖しい雰囲気が感じられます。桂の別名である「コウノキ」は、黄葉した葉にほのかな甘い香りがすることに由来しており、漢字で書くと「香の木」です。桂は日本固有の樹種で、その生育には潤沢な水を必要とする樹です。しかも水溜りなどではなく、流れている水が望ましいということで、沢沿いなどによく自生しています。この桂も小川の傍に植えられていました。
駄洒落ではありませんが、こちらはカツラならぬ徳島県祖谷のかずら橋。高さこそ低いもののその質感そのままに再現されています。ここが『四國村』入村の入り口となります(橋を渡らずにも進めますが)。最大大人20名ぐらいは大丈夫ですよという学芸員さんの言葉を信じて、続々と橋を渡るのですが、自分がオーバーウエイトだと自覚している者がほとんどですので、体重何キロ設定のX20人なのかと不安を感じまくるメンバー。見た目以上に足元の床板のピッチが広く結構スリリングでした!
祖谷の本物のかずら橋も、実際にはワイヤーが通っているのですが、水面まで結構な高さがありますので恐怖感はこの比ではありません。中四国地区協議会だけではなく愛媛木青協でもこういう木材を利用した施設への研修や木育活動は行っていますが、学校への出前授業などはどうしても校内で行う形になります。自然のものを本当に理解するには、このようなリアル体験が出来る場所で行ってこそ伝わるものだとは思うのですが、時間や場所の制約もあるので仕方ありません。しかし生の体験が伴わなければ、バーチャル感覚で「木」や「森」がどこまで伝わるのか正直懸念もあります。百の言葉も一回の経験には適わない事もあります。以前に竹森ガーデンさんの『どんぐり広場』で木の話をさせていただいた事がありましたが、木育には最高の舞台だったと思います。
そこまで行く時間や経費の事などいろいろクリアしなければならない問題は多々ありますが、それは『四國村』の古民家と同様に、どこに価値や意義を求めるのかという事だと思います。かといってそれをボランティアで継続していけるほど、いずこも経営環境は安穏とはしていません。行った活動が認められ感謝され、内容に伴った対価がいただけるようにならなければ、いつまでたっても健全な活動ともなり得ないのではないかと思います。ひとつの体験から何を感じ、何を考え、何を実行するか。想像力を失った時、森はきっと死んでしまいます。
本日、日木青(日本木材青壮年団体連合会)中四国地区協議会の役員会が香川県で開催され出席してきました。私、今年度の安東真吾会長(銘建工業)より、企画担当理事という役職を拝命しておりまして、役員会の際に研修などを企画する役割です。今年度も残り3ヶ月となろうとしているのに、今までほとんど仕事らしい仕事をしていなくて大変申し訳なかったのですが、今回は開催地の香川木材青年経営者協議会の樋口さん(太洋木材工業)と一緒に研修を企画しました。ここは、香川県高松市屋島にある財団法人・四国民家博物館『四國村』。四国各地で現存していた古民家33棟を、広大な屋島の南山麓の林や花畑の中に移築復原した施設です。中四国協議会では、過去にも歴史ある建築物などを見学してきましたが、古きを訪ねて新しきを知る・温故知新の精神は我々の仕事に通づるものがあります。
実は私も訪れるのは初めての事で、少々不安もあったのですが、想像を越える充実ぶりでした。多くの建物が江戸時代の頃に建てられたもので、中には昭和の50年代頃まで実際に住まわれていたものもあるという事です。当然それらの家の主役は『木と土』です。およそ200年前の木造と土壁の家は、解体移築され、壁に使った土もそのまま移し、練り直し出来る限りそのものを使って塗り直したという事です。その中でも目を引いたのが、こちらの円形の建物。宮崎駿さんの映画に出てきそうな可愛いらしいメルヘンチックなデザインですが、これ実は『砂糖の〆小屋』という事です。香川では江戸時代後から粉モノが特産品として有名だったようですが、中でも砂糖作りは特に盛んだったらしく、各地のこのような砂糖の〆小屋があったようです。讃岐平野にはサトウキビ畑が広がり、搾汁のための牛が腕木を引いて回すために円形に作られたのです。
部材をパッケージ化して、移動しては組み建てられたものもあるという事で、その造りもシンプルで機能的。事前に学芸員の方にご案内をお願いしておりましたが、我々だけで見ただけでは理解できない背景を知ることが出来ました。その風情ある姿を見るだけでも価値はありますが、そのバックグラウンドを理解することで、より多くのものを知ることができます。昔の暮らしに息づいた先人たちの知恵とその思いを受け継いでいくのは、『物語る』事です。やはり語り継いでいかねばなりません。
今年は『国際森林年』という事もありますので、この『四國村』などにもスポットが当たることになるのではないでしょうか。年間4万人ほどの方が訪れられる観光スポットにもなっているようですが、建物が古いがゆえにその維持管理も大変なことであろうと思います。当日も藁葺き屋根の葺き替え作業が行われていましたが、この周辺には職人さんがいないという事で、遠く宮城県の方から来ていただいているという事でした。私が子供の頃、藁葺き屋根の家に住んでいた同級生がいましたが、暮らしを支えていく「家」はノスタルジーと感傷だけで成り立つものではありません。雨漏りや隙間風は当然で、耐震性にも不安はあります。それでもこうして200年間残ってきたわけです。その現実の前には、最新の金物や工法もなんだか小さな事のように感じられてしまうのです。
今立てられている最新住宅が200年持つとは到底考えられません。一方で素材がむき出しのシンプルなこれらの家は200年の風雪に耐え、何世代もの家族の暮らしを育んできました。これらの家々は特別なものではなく、ごく一般的な古民家であったようです。柱や梁の虫喰い跡に、受け継がれてきた200年という時間が確実に刻み込まれていました。こういう場所に来るとどうしても、「住む事」と「見る事」が別次元のように考えてしまいますが、改めて家の在り方を考えさせられます。快適になることで得たものと失ったものの事。現実的に今こういう家に住むことは出来ませんが、かつてそこには厳然として「暮らし」があったわけです。 それを木や土が支えてきました。自分の仕事は何を、誰を支えられるのだろうか・・・。
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