森のかけら | 大五木材


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20160726 2しつこいですが本日も「才の木トークカフェ」の話。高部先生はその日のうちに京都に戻られたのですが、後は地元側の段取りあれこれ。愛媛大学農学部の多目的ホールという、一般の方には馴染みの薄い会場ということもあって、メディアを使ってイベントを告知してもらおうということになり、日頃から仕事の関係でFM愛媛さんと付き合いのある井部健太郎君を通じて依頼。快諾していただき、話題提供者の一人である愛媛大学の伊藤和貴先生が後日番組内でPRすることに決定。

 

20160726 1その事とは別に健太郎君に依頼していたあるモノが出来たので引き取りに行こうとしたら、健太郎君も丁度用事があってFM愛媛に行くので、なんなら高橋さんもそこに合流しませんかということになって急遽ラジオ局に集合。健太郎君にお願いしていたのは、松山俳句甲子園で使うための『ことばの森』の木!2枚の木の図形に切り込みを入れておいて、レーザーで切り出して切り込みを交錯させて立たせるという、ペーパークラフトなどでよくあるもの。交錯させると自立する木が出来上がり。

 

今回は時間もないので、いろいろな木で試してみる時間もないのと、ある程度の大きさが必要だったこともあり合板で作ってみましたが、かなりいい出来栄えだったので、これをもう少し小さくして、バージョンも増やして商品化してみることに。できれば針葉樹とか広葉樹、あるいはサクラやマツとか個別の種類まで特定できるようになったら面白いかも、しかもサクラならサクラの木で、とか妄想が広がる~。まあレーザーという技術が身近になってから

 

20160726 3この受け取りが本来の目的ではあったのですが、折角なのでトークカフェの告知の件もあるので打ち合わせにも加わらせていただきました。健太郎君の方でも木を使った商品開発をいろいろしていて、その中のあるモノについての話し合いだったのですが、勝手にテーブルに加わらせていただき、出来上がったばかりのホヤホヤの『ことばの森』をテーブル中央にデンと置かせていただき、とことどころで隙を見ては勝手に口を挟ましていただきました。歳をとると図々しさも倍増~!

 

20160726 4ところで最近、ごく自然な流れの中で異業種、異業界、異世代と関わることが増えてきています。あら?気が付けば木材業界とは普段は無縁なこの人たちと今話しているって感覚。ひと昔前はこちらからかなり決意と覚悟を持って、そういう世界に飛び込んだいたものですが、馬齢を重ね感性が鈍感になってきたのか、やっぱりただ図々しいだけかなのか分かりません。10数年前無理してこじ開けようとした『出口』が、今は目の前に無数にしかも自動ドアで並んでいる感覚なのです~♪




20160725 1本日も才の木10周年記念事業・松山トークカフェの話ですが、高部先生伊藤先生健太郎君の山の現場をご覧いただいた後には、カフェに戻って、その山から出材される丸太の具体的でちょっと新しい『出口』についてご覧いただきました。本来、日本においては古来より生活のほとんどのモノを木で作ってきたといっても過言ではないほどに、木のモノが暮らしに密接に関わってきました。それが木以外の素材に取って代わられたため、若い方には木という素材が新鮮に見えることも。

 

日頃から木に囲まれた仕事をしていると、木があることが当たり前のように思えてしまいます。なので、弊社に家や家具の素材選びに来られたお客さんが、倉庫に入ると「うわ~、木がいっぱいあって、木の匂いが凄い~!」なんて言わて改めて、材木屋という仕事が特殊な環境の仕事なんだと実感します。私自身も(家や家具以外の)異業種の方と付き合おうようになってから、木という素材がいかにウェルカムで迎えていただいているのかを思い知らされました。そんな古くて新しい出口がこちら。

 

以前にもこのブログでご紹介させていただきましたが、世界のトップ10に入るドラムメーカー・㈱サカエリズム楽器中田栄蔵社長が、こだわりにこだわって作りあげられた愛媛県の木を使ったスネアドラム。試行錯誤を経て商品化されました。わずかながらでもその制作の一端に関わらせていただけたことは感激でした。楽器も需要な木の出口のひとつなのですが、そのままでは楽器としての特性が得られないような木も、熱や圧締、圧縮などの加工を施すことで特性を引き出せることも。

 

高部先生にはその愛媛県産ヒノキのドラムを実際に叩いていただき、愛媛の音色を感じていただきました。音楽にも造詣の深い高部先生の耳には、森にいた頃のヒノキが聞いていた鳥のさえずりや森を渡る風の音が聞こえたのではないかと思います。楽器という出口は新しいものではありませんが、ただ単に素材として供給するという流れから、末端の出口との人とのつながり方まで含めて、物語性などを付加した新しい形での連携の事などをお話しさせていただければと考えています。




20160724 1才の木(さいのき)の設立10周年の記念事業の松山でのトークカフェの打ち合わせの続編。京都大学の高部先生㊨と愛媛大学の伊藤先生㊧と、久万造林井部健太郎君と私たち夫婦の5人で、健太郎君の『Waiwaiwaiカフェ』で、内容などを詰めます。最終的には、伊藤先生と健太郎君と私の3人が、地元・愛媛側からそれぞれの立場で、お話をさせていただくことになりました。トークカフェの大枠は決まっていたので、この日は会場に設営やら備品の準備やらの細かな話をまじめに話し合い。

 

20160724 2打ち合わせが終わったら、久万の山の実情を見ていただくべく健太郎君の山へ。本当は森の奥までお連れしたかったのですが、その日のうちに帰られるという事で、時間の関係もあって、山登りは断念して、健太郎君の案内で道路から見ることの出来る久万林業を象徴するような伐採現場へ。急な傾斜地に生えるヒノキを伐採した直後の現場でしたが、いろいろな山を訪ね歩かれた高部先生をして、「こんな急峻な伐採現場を今まで見たことがない」とまで言わしめたほど厳しい環境。

 

20160724 3材木屋というと、一般の方は山の伐採現場まで行って、伐採された木を見ながら買うか買わないかを決めていたりするのではなんて想像される方もいるかもしれませんが、基本的に弊社では直接木を伐採する事はありませんし、伐採現場に立ち会うってこともありません。ここで伐採された木は原木市場に運ばれ、そこで競りにかけられ、購入したそれぞれの製材所が自社の工場に持ち帰って製材して柱などの角材や板材などに挽きます。それを弊社は仕入れさせていただくという流れです。

 

20160724 3なので、高部先生をお誘いしておいて言うのも何なのですが、こうして改めて久万の急峻な現場での伐採の様子を見ると、いかに林業が危険と背中合わせの仕事であるのかということを思い知らされます。愛媛でも毎年何人もの方が山での作業中に命を落とされていますが、そういう危険な作業を経て材が私の手元にあるということは常に考えておかねばならない事。山の作業も機械化が進んだとはいえ、人の手があってこそ。こういう所に来ると、虫食いとか傷なんて話がちっぽけに感じます。

 

20160724 5だからそんな事はどうでもいいというわけではないのですが、子細にこだわりすぎると文字通り「木を見て森を見てない」状態に陥って、今そこにあるものが大型プラントで作り出されたアルミやプラスティックのような工業製品であるかのごとき錯覚をしてしまいそうになりますが、それは紛れもなく虫や昆虫たちが命を育んでいた巨大なる生き物です。そういう自覚は常に持っておかないと大事なことを勘違いしてしまいます。世の中にはいろいろな考えの材木屋がいます、材木屋万流!




20160723 17月の某日、京都大学高部圭司教授が松山にお越しになられました。高部先生と私と家内の3人で向かった先は、愛媛を代表する林産地・久万高原町。そこで待ち受けるは、盟友・井部健太郎君。高部先生ご来県の目的は、今秋に松山市で開催を予定されている、特定非営利活動法人・才の木(さいのきトークカフェの打ち合わせです。才の木の設立10周年の記念事業として、今年地方でのトークカフェの開催が検討され岩手(盛岡)愛媛(松山)の二か所が選ばれました。

 

20160723 2才の木については以前にも紹介しましたが日本木材青壮年団体連合会の大先輩である岩手の日當和孝さん(マルヒ製材・専務)が所属していらっしゃる関係で、家内が木の玉プール等の木製玩具の木育の実践(出張木育)でも大変お世話になっています。そちらは保育園や幼稚園の先生などを対象とした木の玩具等を通じて木とふれあおうというものですが、今回のトークカフェは、木や森の事に関心のある大人や学生たちを対象として開催されるもの。松山は9月の10日開催予定。

 

聞くところによると、盛岡では日當さん主導でかなりアカデミックな木の勉強会のような内容で実施されるということでしたが、愛媛においては私に話を持ってこられたのが運の尽きと諦めていただき、郷に入っては郷に従えで、「愛媛流の材木屋のおもてなし」を体感していただかなければなりません。松山では、3人の話題提供者がそれぞれのネタをご披露させていただくことになっていてその3人というのが、愛媛大学農学部伊藤和貴教授と井部健太郎君、そして私の3人。

 

松山でのトークカフェ当日の内容に関しましては後ほどご案内するとして、その日は打ち合わせのために高部先生にはわざわざ京都より足を運んでいただきました。井部君は、適任者と思って私から推薦したのですが、高部先生が一度直接会ってお話をしておきたいということだったので、それなら是非愛媛の山の実像も見ておいてもらおうと久万までお連れしたのです。それに合わせて従来とは少し違った方向に舵を切ろうとしている材木人の姿もみていただきたいという思惑もあり。




 
昨日も書きましたが、金沢城を訪れる前(正確には改修された菱櫓を見るまで)までの私の『能登ヒバ』に対する認識は、津軽から『青森ヒバ』の苗木を持ち込んで移植した(現在では、もともと能登に自生していたという説があるようですが)ものなので、「天然」の青森ヒバに比べると、まだまだ若い「養殖」というようなイメージがありました。それは、それまで弊社で取り扱わせてもらっていた能登ヒバがすべて大きな節のあるフローリングやパネリングだったことに依るものです。

鳳至木材さんの会社を訪ねる前、以前にお世話になっていた能登の製材工場では無節の柱や板が挽けるような大きな原木を挽いていなかったので、菱櫓の中に使われていたような立派な板が挽けるとは夢にも思ってもみなかったので、勝手に自分の中で能登ヒバの可能性を小さくしていました。けれど誤解があるかもしれませんが、決して「養殖」が悪いとか、下に見ていたというわけではなくて、それはそれぞれの地域特性というか「個性」という感覚。それは愛媛の木材が置かれた位置に似ているかも。

かつてヒノキの生産量日本一を誇った森林王国・愛媛ですが、全国レベルの供給が可能という森林資源を背景に持ってはいるものの(平成16年は、岡山・高知に次いで第三位)、他地域のようなエッジの効いた特徴があるわけではなく、業界におけるポジションとしては決して高くはないのが実情。だからといって悲観するつもりはなく、従来と同じ土俵で色分けするのではなく、別の特徴やら使い道(出口)で際立てばいいのだと思います。中途半端に中道を行くよりは、とにかく良くも悪くも振り切れることが肝心かと

城のような、ある意味木材にとって王道ともいうべき用途を見れば見るほどにますます、そっちの思いが強くなる天邪鬼的性格。ところで城といえば、愛媛でもおよそ3年をかけて平成16年に大洲城の天守が復元されましたが、使用された木材の総量は450㎥(ちなみに金沢城は1,000㎥)、木材費用は13億円、延べ床面積は140坪。重層を支える梁は110本に及び、丸太の直径は3尺近いモノを使ったそうですが、さすがにそれだけの巨木となると地元だけでは調達できず、木曽ヒノキが使われました。

何度か大洲城には行ったものの、今回金沢城の雄姿を見て、もっと地元のモノにもきちんと接していかねばと思った次第。近すぎるゆえに気が付かないということもありますが、せめて愛媛に来られたお客さなにある程度は説明できるようになっていねばと、地元金沢の事を誇らしく語られる金沢の方々の話を聞いていて強く思ったところ。さて、これにて金沢城のお話しは終了。この後は、金沢城公園に移動してその後、21世紀近代美術館で長かった石川県篇も最後となり、いよいよ場所は隣の福井県へと移っていくことになります。まだまだ続く・・・




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