森のかけら | 大五木材


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宝の眠る処

DSC00948お盆で実家に帰省しています。帰ってくるなり早速、うちの子供達から甥や姪たちを引き連れて隣町の町営プールに行きましたが、これがこの数年のこの時期の恒例行事となっています。私や家内は生まれた時から見慣れた光景で、それが「普通」の光景でしたが、彼らが初めて見た時には「山の中に急にプールが出た!」と少々興奮していました。確かに四方を山に囲まれた場所に突然、むき出しのようにプールが現れるので、町の中のコンクリート造りの立派な施設の中にある温水プールやなにがしを見慣れた子どもの目には、全然違った光景に写るのかもしれません。

DSC00960ちょうど、雲ひとつない絶好の天気で、子供達はみんな大はしゃぎ!絵葉書にでもありそうなぐらいの真っ青な空と常緑樹の緑と、太陽の光りを浴びてキラキラ輝く水面が彼らを優しく包み込みます。子供の頃から、当然のようにそこにある風景で、特別な感情もありませんでしたが、カメラのファインダーで切り取って見てみれば、これはかなり贅沢なシチュエーションです。空を見上げると、視界の隅っこに山の頂きが連なり、視界をさえぎる看板も電線の一本も何一つありません。どこにカメラを向けても、それなりに画になります。そういう風景を追い求める年代になったのかもしれませんし、材木屋という仕事柄そう思うのかもしれません。

 

 

 

今年は初盆ですが、父の死の前後からひとりで田舎に帰ることも多く、車中でいろいろ考える事もありました。そういう状況で見ても風景は特別変わりません。こちらの感情が風景に色をつけるばかりですが、改めて地元の山や風景の事を見直す契機にはなったと思います。みずみずしい青葉の新緑や新鮮な山菜など山のめぐみ、賑やかにさえずる鳥や昆虫、そして一方で土砂崩れの現場や大量の流木、手入れのされない死の森、渇水したダム・・・田舎の暮らしは決して『桃源郷』ではありません。厳しさとも不便さとも背中合わせです。単なる美辞麗句では語ることのできない山の実情も知っておかねばなりません。

たまに帰って来る人間が偉そうな事を言うつもりはありませんが、近くにいると見慣れすぎて分からなくなってしまう事もあると思います。わが故郷の良さを見直そうと奮闘されている『久万郷』のメンバーは、皆一度はこきょうを離れ、県外で別の仕事をされていました。さらにそれぞれの奥さん方も全員県外出身者です。外から見るからこそ見えてくる、地元の良さがあるのかもしれません。あるいは慣れすぎて、その良さに麻痺してしまっているケースもあると思います。当然そこには地元の伝統的な文化や、人のつながりがあるのでいろいろ複雑な問題はあるでしょう。しかし、久万高原町ほど分かりやすくはありませんが、ここにも眠っているたくさんの宝の片鱗はおぼろげながら見えてきた気がします。

すでに松山で暮らす年月の方が長くなりましたが、それでもなお田舎はいつまでも『帰る場所』であります。




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