森のかけら | 大五木材


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それは2013年11月に始動しました。当時のブログを読み返してみると、「秋晴れの空のもと、波光きらめく肱川沿いの某所で「清須会議」ならぬ現代版の『肱川会議』が開催された」とありますが、それがモンスターたちとの最初の出会いでした。松山から同行した初代・猛獣使い/藤田雅彦氏から、大洲に向かう道中こんこんと女傑・帽子千秋の伝説を聞かされて、このあと煮られるのか焼かれるのか、我が身に訪れるであろう事態に恐怖し、ハンドルが汗でジトッと濡れた懐かしい思い出はもう5年も前の事。

帽子千秋は噂通り、いやそれ以上の女傑でありましたが、また違った異能の持ち主・『無茶々園』から柑橘類ベースのコスメブランド『yaetoco(ヤエトコ)』を立ち上げた高瀬英明君を加えた3人でスタート。『おとなの部活動』という名前や参加メンバーの個性ばかりが目立って、そもそもの活動母体が分かりにくくなっているようですが、主体えひめ産業振興財団のライフサポート産業支援事業、正式な名称は「愛媛の宝の育て方!磨き方!届け方!研究部会」というものでした(というか、今も)。

集めて異能なる暴れ馬たちのぶつかり合い、化学反応を楽しもうともくろんだ藤田氏の思惑は、その後アメーバ的な増殖を遂げて最終的には日本を飛び出して海外(台湾)まで行ってしまうのですから、大成功だったと言っていいのではないでしょうか。2期(2年+3年)にわたって展開されたこおとなの部活動もいよいよこの3月で終了ということになります。2期ではメンバーも増えてイベントも沢山開催できていろいろ刺激を受けました。振り返りは最後にまた改めてさせていただきますが、なにはともあれ新年会。

杉浦夫妻のB家に開催された新年会には参加企業全社が集まるという貴重な瞬間であったにも関わらず、集合写真を撮ろうなどと言い出す者は皆無で、場の雰囲気に流されていくただ飲みたいだけのおとなたち・・・。ひとより少しでも大きな声を出して、いかに話を盛るか、いかにひとの話にかぶせられるか、そうでなければこの饗宴では生き残れません。貴重な20代の恋バナに異常なほどにくらいつき燃えあがる30~50代の紳士淑女。何度も何度も繰り返されほぼ原形は無くなったイベントの失敗話、痛快無比。

楽しくて楽しくてたまらないおとなの部活動。それは、まったく違う仕事に生きるその道のプロフェッショナルが集まり、「真剣に遊んだ」からこそ味わえる成果でもあります。しかし何事にも必ず終わりはやって来るもの。その最後の「真剣なる遊びの時間」は、愛媛の四国中央市で開催されることとなりました。3/10(土)~3/11(日)の2日間、場所は四国のおいしいものセレクトショッピングの『まなべ商店』さん。モンスターたちが勢揃いする最後の機会となります。怖いもの見たさの皆さんのご来店を待つ!


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戦後の名横綱、名大関たちの足跡を網羅したDVDマガジン『大相撲 名力士風雲録』がベースボールマガジン社から創刊され、書店本棚でその姿を見たのは2016年の1月のこと。このブログでも何度も書いてきましたが私・高橋照国の名前「照国」は、全国で唯一プロとアマが対戦できる「乙亥大相撲」が160年以上も続く相撲好きな土地柄に生まれた祖父・国松が、当時人気のあった名横綱・照国にちなんで命名してくれたものです。なので自分の名前のルーツである横綱・照国の文字には敏感に反応してしまいます。

それで、その名横綱・名大関を特集した『大相撲 名力士風雲禄』の存在を知った時には、とりあえあず横綱・照国が掲載された号は買っておかねばという使命感にも似た感情が湧き起り、まずは掲載号一覧を確認。ずると、第1号の北の湖から千代の富士、大鵬、貴乃花と歴史に名を刻んだ名横綱が連なります。照国はいずこ?と探してみれば、随分後ろの方。全30巻中25巻目でした。まあそれも致し方ありません。というのも照国が生まれたのは大正8年、当時の最年少記録の23歳で横綱に昇進したのが昭和17年

記録も写真も少なく、当時ライバル関係にあった前田山、羽黒山、安藝ノ海との4力士が1冊にまとめられています。ちなみに前田山は、照国の次の第39代横綱で、この人は何と愛媛県西宇和郡喜須来村(現:愛媛県八幡浜市)出身で、愛媛県出身の唯一の横綱なのです。前田山は戦後初の横綱ということで、恐らく愛媛でも相当人気があったことと思われます。照国とは同時代に活躍された人なので、もしかしたら私の名前も照国ではなく、英五郎(前田山 英五郎)になっていた可能性もゼロではなかったかも・・・


こういうルーツ探しなどには異常に執着するタイプなのですが、それが高じて『今日のかけら』のような木の名前のルーツ探しにのめり込んでいるのかもしれません。そうやって若い頃からむやみやたらに蒔いてきた好奇心の種が、最近になって意外なところで繋がる事が多くて、何事も考え方ひとつで無駄になることなんて何も無いと感じているところです。木がキーワードで繋がるというよりも結局は「ひと」で繋がっているのですが、私の場合はそれを無理矢理木に関連付けようとさせているのでややこしいのですが・・・

以前から横綱・照国の事は気になっていて、いろいろな資料なども集めていたので、あまり新しい情報はなかったものの、貴重な取り組みの映像が見れたのは収穫。ところで、照国引退後、その四股名を受け継ぐ力士は現れていません。四股名は、部屋で継承されていくのですが、照国がいた伊勢ヶ浜部屋は無くなってしまった(現在の伊勢ヶ浜部屋とは系統が違う)ため、なかなか継承しにくいという事情もあります。照国襲名の可能性のあった日馬富士もいろいろあって引退しましたし、照国から一文字取った照ノ富士も体調不良で休場と、ルーツに関連のある力士に元気が無いのは寂しい。最近何かと不祥事続きの相撲界ですが、そんな土俵外の雑音を吹っ飛ばす播磨灘のような日下開山よ、現れよ!

※「横綱照国物語」無明舎出版  簗瀬 均 /

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道後温泉の話ですが、昨年は愛媛国体などの影響もあって、道後温泉の利用者数は久しぶりに100万人に届くのではないかと思います。近年は90万人台で推移しているようですが、ピークだった昭和36年は400万人に迫る勢いだったということで、それから比べると1/4まで減っています。全国的な温泉ブームが起きたり、国内旅行そのものが盛んだった時代ですから、それが過熱していたと思います。誤解を恐れず言ってしまえば温泉なのですから90~100万というだけでも凄い数字だと思います。

それで気になるのが100万という数字。道後温泉にとっては、100万人再びということで目標達成の希望の数字だと思われますが、住宅・木材業界ではこの100万という数字は別の意味を含んで「神話化」されています。それは新設住宅着工数、つまり新しく建った家の数です。現在は確か70~80万戸で推移していると思われますが、私がこの業界に入った30年前、バブル真っ盛りの頃は170万などというとんでもない数字をはじき出していて、バブルが崩壊してもなお120万戸などを維持していました。

その頃は、何の根拠もないのに日本では絶対に100万戸を割ることがないと信じられていました。今にして思えば盲信だったのですが、そう信じることが心の拠り所であったし、バブル景気で何が基準なのか分からなくなっていたのだと思います。信じられていた住宅の着工数100万戸の神話は、金融危機とともにあっさり崩壊しました。もはや100万などというのは夢まぼろし。ある調査機関などは2025年には60万戸になるという予測を出していますが、きっとそれは現実になるであろうと思います。

住宅産業と観光産業で100万という数字へのモチベーションは大きく異なりますが、思い起こせばバブル時代の業界の新年会などの挨拶では、その数字が誇らしげに語られて、道後での忘新年会の数も競われたものでした。それがいつの間にかその数字は「絶望へのカウントダウン」のような意味合いを持って語られるようになり、数字の持つ意味合いは大きく異なってきました。これから先、その絶望に怯えながら何もせず生きていくのか、勇気を持って新たな出口へ踏み出すのか。道後の風は冷たい。




この行事が来ないと新しい年が動き出してきた気分にならないほど新年の仕事始めとして恒常化しているミセスホーム㈱さんの協力業者会・ミスター会の総会&新年会。毎年、道後の老舗ホテル・古湧園で開催されてきましたが、今年はホテルの建て替え工事の最中ということもあって、天皇陛下はじめ皇室御用達のホテル・ふなやに場所を移しての開催となりました。ここでかつて卒業式を開いていただき、無事に愛媛木材青年協議会を卒業させていただきました。早いものであれからもう6年、時は確実に流れています。


80数名の新年会はいつものように賑やかに盛り上がり、会終了後は町に繰り出す者、そそくさと家路に向かう者と三々五々夜の道後に消えていかれました。今週、来週お酒を飲む機会も多いのと、翌日の仕事もあったので、私も大人しく家に帰ることにしていました。皆さんホテルのフロントでタクシーを呼んでもらっていますが、折角の新年の雰囲気の残る道後の夜を素通りしてしまうなんて勿体なくて、私はいつもホテルからトコトコ歩いて道後の商店街を潜り抜けて、道後駅まで歩くのも恒例行事です。

とても寒い夜で、県内各地で大雪となり混乱もありましたが、松山では雪が舞った程度。きっと星空も綺麗だったことでしょうが、ほろ酔い気分でそこまで気が回らず。遅い時間ではなかったものの、さすがに正月明けで観光客の姿も少なく、道後温泉本館周辺も人影まばら。愛媛国体も終わり、いよいよ今年の秋からは、7~9年もかかるといわれている道後温泉本館の大規模な耐震改修工事が始まります。そのこともあり、昨年は県外から弊社を訪ねて来られた方々の多くが道後温泉へ立ち寄られました。

国体なども重なり、昨年は道後温泉の利用者数も増えたようですが、工事中の客足が落ちることが心配されています。その対策として昨年の秋に、飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋をコンセプトとした道後温泉の別館『飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)』が造られましたが、関係者の不安や心配は尽きないと思われます。今年も工事開始までの間に駆け込みで行かれる方のご案内が増えそうなので、早めに飛鳥乃湯泉にも行ってみて、情報をお伝えせねばと考えています。この話、明日に続きます。




くどいですが今日もホルトノキの話。とりあえずこの話は今日で最後の予定です。ホルトノキは伐採してすぐに製材してもらったものの、もともと内部に腐食もあったので、板にしてみるとその痕跡があちらこちらに現れています。長い時間かけて朽ちかけていたようで、木材が朽ちる時のちょっと酸いようなツンした匂いも漂っています。他の材木屋に行っていたら間違いなくゴミ扱いされていただろう(そもそも引き取らないか・・・)板も沢山採れましたが、そこにだって何らかの出口はあるはずと桟積み。

今回、こちらの不手際で雨に濡らしてもう少しで完全に腐らせて使い物にならなくなってしまうだったはずのモミジバフウと、自然の環境の中で朽ち果てかけていたホルトノキ。たまたま同じタイミングで整理していて感じたのですが、それぞれその工程というか理由は違えども(木としては不本意なのかもしれませんが)、普通ではないような独特の風合いというか「表情」が生まれていて、私としてはありがたく感じています。以前にも『完熟材』として紹介しましたが、モミジバフウにはスポルテッド柄が、ホルトノキには赤身に沿って帯状の筋などが出てきて、またひとつ宝物が増えたような気分!

ホルトノキの中には、一瞬「これってオリーブ?!」なんて見まがうような美しい黒い縞柄模様が(もはや親バカの境地!)出ているものもあって、残りの丸太も大いに楽しみです。まあ欲を言えば、200年生ということと、腐食があったということで、独特の変化を遂げていて、本来のホルトノキと比べると別の木のようになっているので、ホルトノキとしては基準にはなりそうにないので、本当は標準的なホルトノキ(別名シラキとも呼ばれ杓子に使われる)が欲しかったところですが、それは大先輩に失礼な話。

これからしっかり乾かして、その存在を忘れた数年後にようやく、鎮守の木から「材」に転身して世に出ることになります。弊社の土場にはそのような、わけアリの履歴を持つ木がゴロゴロしているのですが、最近そういうご縁が増えていて、通常の「建築材」という出口だけではどうにもこうにも間に合わなくなっています。ホルトノキすらまだすべて挽き終えてもいないのに、また次の新たなご縁で変わった木がやって来ることに。出口どころか入口さえも通り抜けらなくなりそうで嬉しい悲鳴・・・大丈夫?!




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