森のかけら | 大五木材


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20090920 宇治 松島さん3宇治には、お付き合いさせていただいている、おもちゃ作家の松島洋一さんMtoysえむといず)がいらっしゃいます。家内の勉強会の後で、松島さんにお迎えに来ていただき自宅兼工房へお邪魔しました。『木のおもちゃ』については、私の家内が大五木材の事務所2階の【木のもの屋・森羅】にて扱っていて、いつもいろいろなイベントに出品させていただいています。最近では、事務所にまでお客さんがご購入にいらっしゃることも多くなりました。

 木のおもちゃは、家内が独自のネットワークでつながりを広げ、全国から集めていますが、その中に『日本おもちゃ会議』という組織があり、木のおもちゃの啓蒙と普及に活躍されています。松島さんはそちらにも所属されていて、各種木工イベントにもよく参加されてご指導されています。松島さんの工房では、新作のおもちゃにわが子たちは夢中です。松島さんのおもちゃは、こどもたちが自分たちの工夫で自由に遊べるようなコンセプトで作られていて、飽きる事がありません。うちの子供たちは、松島さんが遊び方を示してもらうと先を競って遊んでいました。松島さんの作品にはその実直なお人柄が反映されています。主に使われる素材が『ビーチ(ブナ) 』という事もありますが、柔らかな曲線は子供の小さな手にぴったりです。松島さん、どうもお世話になりました。松島さんに宿まで車で送っていただき、宇治川の川のせせらぎを聞きながら眠りに就き、ようやく長い長い1日目が終わりました。

20090921 奈良・東大寺23翌日は朝から奈良に移動しました。奈良は、長女の名前に奈良の一文字を入れたこともあり、一度は娘に奈良の街を見せてやりたかった場所です。娘は『奈月子(なつこ)』といいますが、古都・奈良のように、日本の伝統的な古き良き物を大切にして伝えていく心と、夜の暗闇をほのかに照らしてくれるお月様のような思いやりのある子どもに育って欲しいという願いから命名しました。まずは、大仏様を参拝に『東大』へ。さすがにこちらも世界遺産、京都以上に人が溢れています!まだ早い時間だったので、何とか駐車場は空いていましたが、どんどん車が増えていきます。参道は人で埋め尽くされています。これがユニバーサルスタジオだったら我慢も出来なかったでしょうが、『観たい』という一心が家族の足を前へと進めます。

 

 

20090921 奈良・東大寺41結構手前の駐車場に車を留めたので歩いて、歩いて、歩いて・・・やっと到着。何十年ぶりかの東大寺です。すっかり記憶が薄れています・・・当時ほとんど関心もありませんでした。材木屋になってからは初めて来ました。少しは建築の知識も身につけての東大寺でしたが、圧倒的な巨大建築物を目の前にすると、子供たちと一緒に口を開けてボーッと見上げる事しか出来ません。当時はきっと凄まじい建築現場だったのでしょう、信仰の力の凄さを再確認です。いい感じに雲が広がっていて、見方によってはまるで鳳凰が飛び立っているような画です。

20090921 奈良・東大寺22

東大寺の大仏殿内では瓦の寄進を受け付けていました。東大寺の南大門の傍に東大寺総合文化センターが建設中で、その瓦に使われるようです。一口1000円で何でも描いて構いませんという事なので、しっかり【森のかけら】のPRと願をかけさせていただきました。行列が出来ていましたが、来年の1月までに5万枚の寄進を募集しているとのことでしたが、どれくらい集まったのでしょうか?屋根に乗ってしまえばもう二度と目にすることもないでしょうがいい思い出になりました。

 

 

20090921 奈良・東大寺27大仏様もいいですが脇に従えた『日光菩薩』と『月光菩薩』も気品があって好きです。更に大仏様の奥に控える四天王のひとり、『廣目天』様、今の子供たちにも通ずる格好良さです!歴史を超越するスタイリッシュなデザイン!美と貫禄が同調してます。『廣目天』は、西を守る守護神で、千里眼が使え、右の手には筆を持ち、左の手には巻物を持ち、世の中の悪事を書き留めているとの事です。

南大門の『金剛力士像』は山口県産のが使われたという事が判明しているようですが、ただの桧ではないご神木のような高齢木でしょう。木材もここまでの物に形を変えて生き続けさせてもらえば本望だと思います。

 

 当日は、修学旅行とかでもないのに結構若い人たちがたくさん来ていて少しびっくりしました。若者も日本の文化や伝統に興味があるじゃないかと嬉しく思った矢先に悲しいニュースが。『今月の23日に、東大寺南大門の中央部の敷居を保護する板にペンキのようなピンクの塗料がかけられているのが見つかった』という悲しいニュースが。この保護板は、敷居の破損を防ぐための物で20~30年前に設置された物のようですが・・・情けない話です。恐らく愉快犯の仕業でしょうが、本当の罰当たりです!こういう事も含めて、燃えたり朽ちる物を長らく引き継いでいくという事の難しさを痛感します。




20090920 手塚治虫ワールド4平等院鳳凰堂の後は、家内は『木のおもちゃの勉強会』へ。私と子供三人は、夕方まで自由時間です。とりあえず京都市内へ電車で移動。京都に来るたび立ち寄って子供のお土産を買っていた京都駅の『KYOTO手塚治虫ワールド』へ。今までにもいろいろ買ったのですが、子供たちも大きくなりここに来るのもそろそろ最期かも。長らく楽しませていただきました。少年の頃の私の心には、手塚漫画の古き都のイメージが深く投影されました。漫画『火の鳥』の『ヤマト篇』や『鳳凰篇』でダイナミックに描写された、かつての大和びとの姿にすっかり魅了され、以後の京都・奈良のイメージがすっかり固定されました。

20090922 火の鳥ですから平等院鳳凰堂の鳳凰も、私にとっては『火の鳥』にしか見えませんし、先に手塚漫画ありきなので、その画との合致性を楽しむようなひねくれた見方をしてしまいます。まだビデオやDVDのなかった当時、田舎で暮らす私にとって手塚漫画は最上最大の思考増幅装置でした。擦り切れるほどにページをめくり、『火の鳥』や『ブッダ』を読みました。私の死生観も、その当時に読んだそれらの得たいの知れないような大きな畏れや恐怖、絶望感、孤独感、罪悪感、またかけがえのない命、希望、生きる意味、復活、不死、輪廻転生みたいなものが、ごちゃまぜになって大きな鍋に一度に放り込まれグツグツと煮られて作り上げられたのだと思います。当時はよく、説明も出来のくいのですが抽象的な『大きな闇』に包まれるような夢を見て怖くて飛び起きた事がよくありました。今思えば、自分の理解を超えたイメージが脳に入りすぎて、咀嚼できなくなって溢れ出てきたのだと思います。私にとっての手塚漫画の原体験は、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』の愛くるしさではなく、『火の鳥』や『ブッダ』、『ブラック・ジャック』などの【未知なる大人の世界】への窓でありました。

20090922 悪右衛門その手塚漫画の中には、『陽だまりの樹』など時代劇の傑作もたくさん遺されていますが、中でも京都を舞台にした物といえば、’73年に発表された読み切りの『悪右衛門』という作品が強く印象に残っています。当時リアルタイムで読みましたが、その頃手塚さん本人も『冬の時代』と形容されたほど、ヒット作に恵まれず悩んでおられた時期だったようです。何気なく買った漫画雑誌に、『あの巨匠が描く・・・』などという仰々しいコピーがあったのを鮮明に覚えています。確か巻頭カラーページだったような・・・。

 

20090922 安倍晴明悪右衛門』は、平安時代中期に実在した学者・安倍晴明(平安時代の最も有名な陰陽師)の出生のまつわる葛の葉伝説が原型となっています。主人公は、画像右上の髭面の武士・本名を石川右衛門尉恒平(いしかわうえもんのじょうつねひら)といいますが、粗暴で悪行を尽くす事から、皆に『悪右衛門』と呼ばれています。彼は、手塚さんの創作したキャラクターで、主君の命ずるままに1000匹の狐狩りを続けます。ある日殺される寸前で、学者加茂保憲も門人・安倍保名(あえのやすな)に命を助けられた女狐は、彼に恩返しをしようと、悪右衛門の妻に化けて、捉えられた安部保名を牢から逃がします。その後、女狐・リズは実は悪右衛門が大変な愛妻家で子煩悩だと知ります。そして主君に命じられる狐狩りにも鎮魂の念を抱いている事を知り、いつの間にかそんな悪右衛門に好意を抱いていくのですが・・・

最期は今までの自分のしたことの愚かさを悟り、壮絶な最期を遂げます。悪右衛門の死に様が壮烈で、その怒りの表情をよく覚えています。しかし年代を考えれば、当時私は小学校の低学年という事ですから(今の息子達と同じくらい)、随分ませた子供だったのかしら・・・昔は今のように漫画雑誌もそれほど子供向けではなかったような気もしますが。とにかくこの作品はよく覚えていて、先日の『伏見稲荷大社』でもこの作品の事を思い出しました。安倍晴明は、京都ゆかりの『宇治拾遺物語』にも登場しますので、無縁な話でもないですが、どんどん話がずれていきますが、いつもの事なので気にしないでください!

20090920 京都太秦映画村7さて、自分たちが探し足らないだけだとは思うのですが、京都で小学校低学年の子供たちが楽しめるスポットが見つからず・・・この後は、定番の『東映太秦映画村』へ行く事にしました。平等院鳳凰堂など世界遺産は別格で、ここはそれほど観光客もいないのではと思っていましたが、なめていました!大混雑です・・・人混みは大の苦手だったのに・・・さすが京都、外国の方も多いですね。

材木屋のセットの前で1枚!松山にもこういう江戸時代の材木問屋のセットのような事務所があっても面白いですね、井部健太郎君!久万に作っちゃいますか?

明日は大阪でユニーバーサル・スタジオにでも連れて行ってやろうかと思っていましたが、朝から奈良に移動して寺めぐりに変更!以外にも子供たちもそれで納得。親のDNAはしっかり子供たちにも受け継がれています。まだ1日目が終わらない・・・




20090920 平等院鳳凰堂4今回の京都の旅は、家内が『木のおもちゃの勉強会』に参加している間(10:00~16:30)、私は子供三人と適当に京都で遊ぶという『時間と目的に追われない旅』です。とは言いながらも、既に【森のかけら】を生み出した好奇心の芽がムクムクと・・・。朝一の『伏見稲荷大社』の後は、開始前の時間を使って『平等院鳳凰堂』へ!さすがに『世界遺産』だけあって、すでにこの時間から長蛇の列が・・・!子供達にははっきりどういう場所かを伝えていなかったため、「えぇ~、またお寺?」という大ブーイングの中、10円玉の画という事で無理やり引っ張ります!

20090921 平等院雲中供養菩薩自分も子供の頃は、こういう物を観ても全部同じに観えて面白くなかった事を思い出します。しかし、この機会を逃すわけにはいきません。更に「こっちに面白い物あるよ」と『平等院ミュージアム・鳳翔館』に誘い込みます。ここには初めて入りましたが、さすがに世界を冠する歴史の遺産だけあって子どもをも黙らせます!どれもこれも今更恐れ多くてどうこう言うようなものではありませんが、私は楽器を演奏しながら舞い踊る『雲中供養菩薩』がお気に入り!不謹慎かもしれませんが、こういう同一テーマのシリーズものといえば、コレクター魂の炎に油が注がれます。これなんか今風のCI、キャラクターデザインですね!平安のデザイナーも粋で遊び心があります。これのピンズバッチとかあれば売れるのに・・・と思っていたら売店にありました!菩薩さんが演奏されている楽器のミニチュアまでありました。恐るべし京商人、何でも商売にしますね~。とりあえず私はポストカードとファイルケースを購入してしまいました。すっかり時空を超えた平安+平成のデザイナーズ・コラボの術中にはまってしまいました。

20090920 宇治9この後は、宇治川を渡って宿泊先に移動。車を置いて家内は『キッズいわき・ぱふ』さんへ。私達は4人は自由時間となります。私的にはまだ寺廻りをしたかったのですが、さすがに子供達はバテバテ。ジュースやクリームを餌に引っ張ってきましたがもはや限界か!それでもひたすら歩きます。知らない街に来て、車でビュンと通り過ぎるにはあまりに勿体ないです。車だと、宇治川の幅の広さや、案外早い流れにも目を留めることがなかったかもしれません。さすがに宇治茶の里だけあって、『宇治茶』や『抹茶』などの看板が軒を連ねます。正直、来てみるまでは『宇治』といわれても宇治茶くらいしか浮かびませんでした。『宇治茶』の刷り込みが強すぎて、見るものすべて『宇治茶』に絡んで『抹茶色』に見えます。愛媛に来たら、全てがオレンジ色にデザインしてありました、と印象を語られるのと同じようなものだと思います。お互い意識してそれを武器にしているとはいえ、相当大雑把なイメージですが、それでも県のカラーがはっきりイメージ出来るというのは素晴らしい事です。

20090920 宇治15それにしても世界に名だたる観光地だけあって、仏像から建物まで使われている素材も『本物の木』がほとんどです。着色して耐久性を高めているなど工夫もありますが、時間の流れまで計算に入れると、建物の持つ風格や存在感がもっとも際立ち、歴史的にも評価される素材が『木』ということでしょう。仏像は、桧や欅が多いようですが、尋常ならぬ経年変化で一般的な木材との比較は無意味です。ここまで本物が多くて、子供の頃から親しんでいると、かなり目が利くようになるのではないでしょうか。名作品を支える素材も立派でしょうが、ここまで使いこなせる技があってこその素材です。京都はどこまでも深いです。




20090920 大阪朝日この4連休、我が家は『京都方面へ家族旅行』です。日中の高速道路の渋滞を避けるために、19日の真夜中に出発です。さすがに深夜1時頃は混雑はありませんでした。家族の寝顔を横目にひたすらハンドルを握り、朝日が登る頃には大阪に入りました。ドライブ好きな方には、別になんでもない長距離運転でしょうが、私はそもそも車の運転はあまり好きな方ではなく、すぐに目も疲れるので長距離運転は苦手です・・・しかしそれも家族のため!といっても純粋な家族旅行ではありません。京都の木のおもちゃ屋さん『キッズいわき ぱふ』さんで、『おもちゃの学校』という勉強会が開かれるので、それに家内が参加するついでの旅行といった方が正しいかも。まあ、何かきっかけでもないと遠出しない家族なので、それはそれでいいのです。私も京都には改めてゆっくり行ってみたかったので、家族5人で出かけることにしました。

20090920 伏見稲荷大社18案外早く京都に着いてしまいましたので、朝一からまずは『伏見稲荷大社』に参拝です。今まで京都には何度も来ていましたが、なかなか縁がなく残念に思っていました。シンボルの『千本鳥居』は、テレビや雑誌でもよく見かけていましたので、かなり期待をして臨みました。全国3万社の稲荷神社の総本山ということだけあって、敷地も広く、早朝にも関わらず結構な参拝者の数です。『千本鳥居』は思ったより小振りでしたが、かなり密集して建てられて、子供たちも最初は元気良く「1本、2本・・・」と数えていましたが、100も過ぎるとあえなく断念。徹夜明けという事もあり頂上まで行くのは断念しましたが、参道に延々と連なっている姿はまさに壮観。裏側には寄進された方の名前や住所、日付が書いてあるのですが、結構最近のもありました。まだまだ、どんどん増え続けているようです。

鳥居を奉納する習わしは江戸時代頃に始まったということで、実に1万基にも及ぶという事です。実数は千本どころではないでしょう。中には鳥居の根元が朽ちて、取り外されている物もありました。朱色に塗られてありますが、『』が使われているそうです。外部で雨風に晒されているので当然ではありますが、実際にみると結構傷みもみられました。CMや写真では、つい最近建てたかのごとくピカピカ輝いて見えますが・・・撮り方、ライティングかなあ。まだ上の方には綺麗な鳥居があったのかもしれませんが、なにせ信仰薄き者どもですので・・・。

20090920 伏見稲荷大社9先日、久万銘木㈱の社長の井部勇治君(井部健太郎君の従兄弟)と何気なく話していた時、彼の会社の主要な取り扱い品目であり、かつての銘木の花形であった絞り丸太(床柱に使う)が売れないという話題になりました。住宅の建築単価が下がり、嗜好的要素の強い銘木からどんどん予算が削られ、値段の張る絞り丸太は急速に姿を消しつつあるというのが現状です。井部君の会社の出身母体である久万林業も、かつてはその良質な絞り丸太で一時代を築いただけに、昨今の現状は歯がゆい思いでしょう。千本鳥居を見ながら、ふと絞り丸太の事が浮かびました。

 

 

 

20090920 伏見稲荷大社3朱色に塗られ、こういう場所に鎮座ましましていると実感が湧きませんが、この鳥居は絞りのない磨き丸太のようですが、1万基あるという事は少なくとも2万本もの天然の丸太が使われているという事です。神様に奉納される格式あるような物をそういう目で見るのは罰当たりかもしれませんが、ここに丸太利用の一筋の光明を見た思いがします。 まあ、話が話だけにあとは本人と個別に話してみますが、これは大きなヒントになりそうです。

 

20090920 伏見稲荷大社10稲荷大社の由来通り、境内の至る所にが居ます。狛犬の代わりに狐が!そういえば、ここには狐の顔をかたどった絵馬(ん?この表現は変ですが・・・)がありました。多分『』だったと思いましたが。それぞれが思い思いに狐の顔を描いて、裏に願い事を書いて奉納してありました。遊び心に溢れた面白いアイデアだと思います。ちょうど私も、馬以外の動物で絵馬を考えていたので大いに参考になります!決して神頼みというつもりで参拝したわけではありませんが、ここではたくさんのヒントをいただきました。世の中至る所にヒントはあるという事ですね!『衣食を足りて礼節を知る』というように、商人にとって生きる事は商う事、すなわち銭儲けです。神仏を金儲けの道具にするというのではなく、神仏のお力を借りると考えれば、決して不謹慎ではないと思うのですが。それにそもそも、ここは商売繁盛の神様でもありました。そうか、これも神の思し召しか!

明日に続きます、この段階でまだ時間は朝の8時過ぎ!この先どうなる!




20090905 中四国呉会員大会4今月の5日に広島県呉市で、所属する日本木材青壮年団体連合会中四国地区呉会員大会が開催されました。今年度は、弘中京一郎さん(中国木材)が中四国地区会長を務められていて(画面中央の大きな方)、地区大会も地元・呉での開催となりました。わが愛媛木材青年協議会からも精鋭(?)部隊が参加しました。しかし、役員会の開始時間に行き違いがあり、いきなりの遅刻!皆さん、ご迷惑をおかけしました。着座すると、隣の席の安東真吾さん(銘建工業)は真剣な眼差しで書類に目を通されていて、相手にしてくれません(画面手前)・・・冷たい人のように(失礼!)見えますが、実はとてもチャーミングな人でもあります。仕事の顔とは違う、別の顔を愛媛の会員は知りすぎています!この二社、中四国どころか日本を代表する木材業界のビッグ2です!そのお隣で、恐縮ですが・・・こういう方々と同世代で活動できるという事はありがたく、勉強になります。企業の規模の垣根を越えれるというところが、この会の最大の魅力です。お二人とも私より一つ年上ですが、今年は〔心も体も大らかな〕弘中さん、来年は〔負けず嫌いの熱い〕安東さんが地区会長として、中四国を引っ張っていかれます。私も影ながら応援させていただきます。

20090905 中四国呉会員大会3大会は、呉会団の皆さんのご尽力で格式高く行われました。前回この呉で会員大会が行われ時から考えると会員数は激減しています。日本全国でもピーク時の1/3程度まで減っているようです。それでも、そういう時代の中でまだこの職種に執着してやっていこうというメンバーですから、むしろ会員個々の意識は昔より高まってきていると思います。前向きな意識のある仲間と行動するほうが、話もまとまり結束も固くなります。次第に、名前だけ席を置くような方は辞めていかれるので、かえってこういう時代の方が本気で団結して事をなそうと思えばやりやすいのではないかとも思います。捉え方次第でどのようにもなります。能天気に良いように考えるに限ります!行き着いたら最期も前のめりの倒れたいものです。

垂れ幕にもあるように、今回で38回、つまり38年も続いている由緒ある大会ということです。さらに他の地区会団においては50周年を迎えるところもあり、先人たちがつなげてこられた歴史を感じます。かつて製材屋や木材屋といえば、地元の名士とも呼ばれた黄金期があった・・・という伝説を、我々は『歴史の昔話』として先輩方からお聞きするばかりですが、40年とか50年という数字を目の当たりにすると感慨深いものがあります。

20090905 中四国呉会員大会7式典の後の講演会では、㈱ハウジング ラボ松尾社長が『材木屋の生き残る道』という内容のお話を、実に論理的に分かりやすくお話しいただきました。いつになく会員も真剣に耳を傾け集中して聞いていたようですが、それだけ切実な問題という事です。私としては、自分たちがしている活動が間違っていないよというお墨付きをいただいたようで、勇気が出てきました。あんまり嬉しかったのでその後、一方的に【森のかけら】の資料やら『適材適所』を送り付けさせていただいたところ、ご丁寧に御礼のメールまでいただき感謝です。ほっておいて勝手に話が広がっていくわけではありません。品質の良さそうな、美味しそうな畑には自分で積極的に種を蒔かねば、決して芽は出ません。松雄社長、本当にありがとうございました。大変勉強になりました。

20090918 海軍さんの珈琲その後の懇親会でも美味しいお酒をいただきました。いつもながらですが、良き友や先輩と盃を交わせるこの時ほど楽しいことはありません!乾杯のビールは地ビールです。呉といえばかつて戦艦大和も建造した『軍港』です。『海軍』ゆかりのビールやお土産もたくさん販売されています。しっかりが『海軍さんの珈琲』もあります。日本の海の防人たちが愛した苦味を堪能させていただきました。数年前の映画『男たちの大和』や、『大和ミュージアム』などですっかり観光の街として新たに生まれ変わりつつあるようですが、何が転機になるやら分からないものです。当然、綿密な計画を地道に行われてきた成果だとは思いますが、世間の関心やバイオリズムと合致するのは至難の業でしょう。計画や机上の論理だけではなく、ある種の玉砕覚悟の精神で突き進まねばならない事もあるでしょう。そこに『神風』が吹くかどうかは次第、いや運さえも引き込む次第。縁が人や物を招きいれ、それは結果的に運と呼ばれてしまうのかもしれません。結局自分が本気に取り組むかどうかだけだと思います。やらねば!




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