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我々が建築材や家具で使う『ヤマザクラ』とは別物ですが、その妖しげではかない桜の姿を見ていると、その端材といえどもとても粗末に扱う気にはなれません。最近何かとサクラの問い合わせが多いのですが、用材として使えるサクラの入手はますます困難を極めています。弊社のように極めて少量をモッタイナイ、モッタイナイと念仏を唱えながら売るような零細材木屋にとってすらもその影響はありますので、サクラで大量に商品を生産する企業にとっては死活問題でしょう。 |
サクラに限らず多くの樹種がこの数年で供給困難な状況に陥るのは確実で、根本的な樹種変換、あるいはそれが適わなければ木材以外の素材そのものの見直しが進むことになると思われます。今までにも『台湾桧』や『ラワン』など、瞬間的に隆盛を極めては過剰伐採で衰退していった樹種はいくつもあります。もはや『木が永続的に供給可能な自然素材』というフレーズが使えるのも特定の樹種、特定の職種に限定される事になってしまうかもしれません。 |
ミスター会研修旅行1日目の行程が終了。宿泊は玉造温泉です。木材の仕入れなどで県外に泊まりの出張がある時は、ホテルの個室ですので、1室に家族以外の数人で泊まることは2年に1度のこの研修旅行のみの経験。まあ若い頃とは違って、懇親会でたっぷりお酒を飲ませていただき、早い時間から静かにお部屋で眠るだけですが・・・。新興工務店では業者の入れ替わりが頻繁なのですが、ミセスホームさんの業社会はメンバーの連帯が尋常ではなくがっちり一枚岩。
職種が違えども気心の知れたメンバーと一緒に気兼ねなく飲めるのはありがたいものです。宿泊地の玉造温泉「白石家」さんでは、「白石家」名物の「美人女将の安来節ショー」をご披露いただきました。 毎日披露されているそうですが、素晴らしい演技でした。鮮やかな太鼓さばきでしたが、日々の鍛錬の賜物でしょう。こういう伝統芸能が素直に心地よく受け入れるような歳になってきました。そしてこの後は、島根の民謡安来節!間近で本場の「どじょうすくい」を観るのは初めてでしたが、まさか自分も踊ろうとは・・・!
ガイドさんの粋な計らいで昨年の会長としてご指名を受けました。本場でご指導いただける折角のチャンスです。喜んで登壇。舞台裏で衣装と小道具を身につけ、師匠からレクチャーを受けていざ本番!さすがに鼻に割り箸ではなく、ゴム付きの五円玉でひと安心。こういう時は照れずに真剣にやらなければなりません。師匠の見よう見まねですっかり楽しませていただきました。ちなみに私は右端。「安来節」は正しくは「やすぎぶし」だそうで、「どじょうすくい」はその中の代表的なお座敷芸だそうです。
最後に修了書までいただき、ありがたき計らい!こういうサービスが心に響くのです。折角躍らせていただいたので「安来節」のルーツを探ってみると、その起源は今から三百年ほど前の江戸時代。折りしも全国各地で大衆文化が開花した頃、当地出雲は日本海の豊かな漁場に恵まれ独自の文化を形成し、奥出雲で採れた米や砂鉄などを運び出す集散地として繁栄を極めたとか。中でも良質の鋼の生産地であった当地では、「たたら製鉄」の原料としての砂鉄採集の所作が、踊りに転じたものなのだそうです。
恥ずかしながら「安来節」や「どじょうすくい」に対してまったく無知だったものですから、砂鉄採集が起源と知って驚きでした。ですので一説には、「どじょうすくい」は「土壌」だとも言われるそうです。あ~踊る前に知っていればもっと目の色変えて踊ったのですが・・・。かの西岡常一棟梁も「木を知るには土から」と仰っていましたが、やはり基本は「土」にあることを実感。豊かな土壌は豊かな文化を育む、その土壌を生み出す森の役割、安来節を通していろいろなものが見えてきます。伝統芸能、息づくには理由がある。
さあ、お次は出雲の定番(私にとっての)『三瓶小豆原埋没林』。今回5度目となります。初めて来た時は、巨大埋没林のイメージと、芝生の中にポツンと佇む屋上緑化した平屋の施設のほんわかした雰囲気にあまりにも違和感があり過ぎて、違う意味で驚いたものです。今は、それが初めて訪れる同行者への「フリ」となっております。ほとんどの方が初めてだったようで、入り口の階段を降りて「巨大な歴史の生き証人」が現れると、あちことで感嘆の声が!あ~私、すっかり埋没林の虜であります。
ただ今日商品を買っていただくだけの「お客さん」を増やすのではなく、今日は何もお買い求めいただかなくとも、また次、さらに次と何度も来て頂くリピーターになっていただき、更には友人・知人を「我が聖地」に連れて来てくださるような「ファン」を作る事、それこそが商売の真に目指すべき道、私の望む道だという事が私の商売人身上でありますが、ここではそれがすっかり逆の立場になってしまったようです。「いいから、とにかく一度行ってみよう~!」と・・・。
木材の場合、その存在をいくら言葉で説明しても「百聞は一見にしかず」。間近でその巨大さ、佇まい、質感などに触れ対峙せねば伝わらないものが沢山あります。特に長きにわたり地球上の空気を吸い込んできた高齢木などはその典型。松山から5時間かかろうとも、彼らがまだ森の住人だった頃の記憶を、映像や言葉などの情報だけで知った気になる愚を犯してはいけません。相応の時間を費やしてここまで足を運んでこそ、この巨木の凄さが五感に染みて感じ取れるというもの。
そして、初めて来られた方は必ず園のスタッフの方の説明を聞く事。知ったかぶりはいけません。書いてある説明だけではモッタイナイ!多くの巨木が、誰も立ち入らない森の奥でひっそりと佇み、偶然遭遇したわずかな人の口を通じて伝説となるように、人の口から語られる「物語」にはしかと耳を傾けましょう。これこそが聖地・三瓶小豆原埋没林の正しい木の鑑賞方法です。デジタル情報で何もかもが伝わる時代だからこそ、生の体験はますます重みを増してきます。
私は『埋没林ファンクラブ』の会員ですが、またしてもスタンプを押していただくカードを持参し忘れ!残念ながらこの訪問は記憶にとどめる事になりました。しかしこう短期間に何度もこの地を訪れることになろうとは、神代木のお導きとしか思えません。事務所の壁に、日本三大埋没林の富山県の『魚津埋没林博物館』のポスターが貼ってありました。橋本利氏によるポスターが素晴らしく、歴代のポスターがわざわざ展示してあるほどです。埋没林への愛情が感じ取られるデザイン惚れ惚れして、ポストカードいくつも購入しました。
魚津の埋没林は、大変珍しい海中埋没林でその造形は、海の中で苦しみのた打ち回るエイリアンのごとき形相でした。ついつい高齢木に対して200年、300年という数字で表現してしまいがちなのですが、決して人類が生きながらえることの出来ない時間を生き抜いた木々に対してもっと畏敬の念を持って接しなければならないと、ここに来る度思います。そういう意味でも材木ならば年に1回ぐらいは訪れて禊をせねばならない聖地でしょう。嗚呼、今回も埋没林をたっぷり満喫!すっかり虜です。
出雲大社の次は、島根県立古代出雲歴史博物館。こちらも3回目になります。壁面に「祝!来館140万人達成」の幕が掲げてありましが、やはり出雲大社のご威光、ご利益でしょうか。この後、三瓶小豆原埋没林への観光も組まれていますので、巨木の前フリとしては実に良くできた流れです。こういう連帯が大切ですね~。地域おこしといいながらも各地域、各施設ごとのぶつ切り感が否めませんが、「次の予告」みたいな感じのつながりが見えると期待も膨らむというもの。
展示物の質量とも圧巻なのですが、さすがに3回目(もしかしたら4回目?)ともなると、やや過食気味。展示物そのものよりも、売店で売っている商品の方が気になります。他人の芝は青く見えるとも、自分のことは自分がいちばん分かるとも言いますが、立場はそれぞれ違えども、沢山のモノを見ることで目が利くようになるのは確か。室内には出雲の歴史と暮らしの軌跡が展示されていますが、その中で「木」という素材がいかに重要な位置を占めていたかを再認識させられます。
生憎の雨でしたが、古代の出雲大社の階段の長さに合わせたエントランスのアプローチの桂並木が雨に濡れて何ともい雰囲気です。本当はもっと近づいて、ハート形の葉をアップで写したかったのですが・・・。鉄の神“金屋子神(かなやごのかみ)”が出雲の地に製鉄を伝えに白鷺に乗って舞い降りたのが桂の木であったことから桂の並木道になったという事ですが、ハートの形はそのまま「ご縁結び」に直結します。こういうディティールの積み重ねが、物語に深みを与えるのだと思います。
全国各地の観光地でさまざまな地元の名物やノベルティグッズが作られています。そのいずこもが、『ここにしかないもの』をキーワードに商品開発されていますが、正直『そこにしかないもの』が全国どこにもあるというのは過剰な妄想。どこにでもありがちな日本の風景やモノ、人がちょっとずつ違った組み合わせで微妙な関わり方をする事で地域の個性や表情が出てきているのだと思うのです。だからこそ、そのわずかな差を紡ぎ出すディティールにこだわらなければ「違い」なんて見えないんじゃないかと。
そんな先人たちの小さなこだわりが積み重なって、澱(おり)のようになってやがて『地域文化』とか『地元ならでは』なんてものになるんじゃないかと思ったりするのです。だから急に色気を出して、流行のパーツを拾い集めてパッチワークのようにつなぎ合せたって、所詮拒否反応を引き起こして根付かないんだと思います。奇しくも「しめ縄に硬貨」の俗説が否定・禁止され網が付けられていました。俗説が作法を凌駕した例ですが、ディティールが重なればそうなる事もあるわけです。翻って「観光地松山」の根っこはちゃんと幹につながっているのだろうか・・・。
蒜山のオオサンショウウオに別れを告げてバスは一路出雲へ。こちらも5度目か6度目の出雲大社。前回訪れた時は、工事中の本殿の特別拝観でしたが、あれから半年でまたこの地を訪れようとは・・・もしや御祭神・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)様のお導きでしょうか?自分の勝手な思い込みなのですが、我が名に「照」や「国」の文字を持つ身としましては、不遜にも大国主大神や天照大御神(あまてらすおおみかみ)すらも特別な親近感を覚えてしまうのです。こちらは幸魂・奇魂である「大物主命」と遭遇する大国主。
当日はあいにくの雨でしかも平日という事もありましたので観光客の姿はまばら。行列や混雑が苦手な私としては歓迎ですが、人影が少ないとご利益が少なそう・・・なんて仰る方もいらっしゃいます。神聖かつ厳粛な神殿と、地域の経済を支える大観光地という両面を併せ持つ出雲大社の立位置の難しさもありますね。「ノベルティグッズ」という言葉は不謹慎かもしれませんが、お札やお守りこそその先駆け的なものではないでしょうか。原義としては違和感はあるでしょうが、そのPR効果は絶大でしょう。
「灯台下暗し」の言葉通り、身近なものはその価値が見えにくいのに、遠くのものは良さも悪さもよく見えるものです。こんなコラボが出来る、あんな物語が使えるなんて思うのも、責任感のない気楽さです。殿改修工事はまだ完了してなくて、いまだお姿は仮説の大屋根の間からわずかに垣間見える程度。前回間近でその神々しいお姿はたっぷりと謁見させていただきましたので今回は後ろ髪を引かれる思いでサラリとスルーさせていただきました。基本は大人の集団行動ですから我を貫いてはいけません!
参道の松並木にも水滴が落ち新芽が瑞々しい。松竹梅や門松にも使われ、長寿・繁栄の象徴として縁起の良い『マツ』ですが、建築材・家具材以外での、物語と特性を生かした『新しい出口』がないものかずっと探しております。島根県の県木は『クロマツ』であり、ここには銘木『隠岐の黒松』があります。そこまでの銘木になれば何をしなくとも、華やかな出口が扉を開けて待っています。私が目指すのは名も無きそこらの多くのマツの出口。早く出口を見つけねばマツもそろそろ待ちかねた(マツ枯れた)なんてなる前に・・・。
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