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その作品のタイトルは、『俺は、園子温だ!』。園子温(その しおん)とは監督の本名で、作者本人がカメラの前で淡々と喋り暴走する映画ですが、既に当時からその珍しい名前とともに作風の面白さは、私達地方都市の大学生ですら知るところであり、将来が嘱望されていました。近年の活躍は凄まじく、『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』、『ヒミズ』は国内外で数多くの受賞暦があります。また最新作『希望の国』では、近い未来に起る原発事故という設定で、福島原発事故を語られています。
常に刺激的な作品を作り続けられる園監督、1061年生まれの51歳。前述の小松隆志監督は1962年生まれの50歳。私より3、4歳先輩ですが、お二人がまだ8㎜を撮っていた頃の作品をほぼリアルタイム生きた世代の人間としては、おふたりの今のご活躍がなんだかとっても誇りに、そして励みに感じてしまうのです。当然面識もありませんが、その新作発表などを見るたびに、あの頃完全燃焼できなかった自分の情熱を今こそ燃やすのだと、新作作りに精が出るのです。
残念ながら映画という仕事を職業にすることは叶いませんでしたが、今の私をたきつけるのはその思いです。【森のかけら】は、文字通り森のめぐみから生まれた木材の端材を原材料にした商品ですが、その『かけら』とは情熱のかけらという意味でもあります。誰もが思い描いたステージで、望みどおりの仕事、パフォーマンスが発揮できるわけではありません。いろいろな事情で悔し涙を流したり、唇を噛み締めることもあるでしょう。それでも心折ることなく熱い思いを抱き続ける。
やがてそれは違うものとなって現われ自分を奮い立たせてくれる。私の場合、それが『木』という仕事でした。人生が決して思い通りにはいかないように、木だって、伐られて製品になりたいわけではないでしょう。しかし原料の材木としてではなく、木としてその生を終える事が幸福なのか?家や家具として行き続けることが幸福なのか?そもそも幸福感など木にあるのか?人間に木を伐る資格などあるのか?そんな考え方そのものがナンセンスなのかもしれません。しかし自らの仕事に何の疑問も抱かずに、ただ漫然と業務をこなす機械一生を終えたくはないのです。小さくとも1個の考える脳として、あの頃燃やしきれなかった情熱のかけらを今こそ完全燃焼させたいと思うのです。
少し年上の先輩が、よくお酒の席でよく、「映画『いちご白書』をリアルタイムで観てない者には、その温度や空気感は絶対に伝わらない」という話(リアルタイム体験絶対主義!)をされていて、ホゾを噛んだものですが、今こうして私が書く内容も20代、30代の方には同じように伝わっている事でしょう。映画に限らず、過去の思い出話に浸ってしまう昔はよかった的なネガティブ思考は嫌いなので、避けてきたつもりですが、現在との対比で触れざるを得ない部分もあります。
それが懐かしさだけの懐古主義にならにように注意しているつもりですが、どうしても記憶は美化されがちですから、現在とのバランスをほどほどに保たねばと思っています。昔はよかったという人の多くが、今その歩みを止めて立ち止まり、思い出の中だけに生きている場合が多いですが、それはとっても残念な事。その年代、年代に合わせて現れる舞台の上でどれだけ戦えるかが勝負だと思います。ときどき過去を振り返りつつも前を向いて、常に感性を磨いていたいものです。
『ぴあフィルムフェスティバル』受賞作品の上映会で、映画製作にかける情熱のレベルの桁違いさをまざまざと見せつけられ、作る方ではなく観る方だと、自分の座る場所を教えられましたが、形は違えども青春時代の一時期に仲間と『ものづくり』に関われたというのは幸せな事だったと思います。その燃焼し切れなかった情熱のかけらが、20数年後に場所を変えて「材木屋」というステージで火がついた、というのが今の私かもしれません。ものづくりの原点は、そこにあったのだと思うのです。
現在の応募数は知りませんが、当時の『ぴあフィルムフェスティバル』では700本近い応募数があったと記憶しています。さすがにそれだけの激戦を勝ち抜いてくる作品には、ある種のオーラが漂っています。8㎜フィルムに刻み込まれたメッセージも半端ではありません。同じ時に観たもう1本の作品にも強い感銘を受けました。1人称の静かな語り口で始まり後半暴走する、圧倒的な自己表現に当時はかなり引いたものですが、その揺るぎの無いエネルギーにはねたみすら覚えました。
マスクを被った二人の男がわけのわけのわけの分からない言葉を叫びながら全力疾走する姿と、その圧倒的な台詞量に鳥肌が立ち、心を打ち抜かれたような衝撃を受けました。嗚呼、世の中には次元の違うゴールを目指している人もいるのだと・・・。監督は小松隆志さん。当時はまだメジャーデビューされてはいませんでしたが(1991年に商業映画デビュー)、小さな8㎜フイルムから溢れ出る才気からは、こういう人がプロの映画監督になっていくんだろうと納得させられたものです。
作者の溢れるプロレス愛がたっぷりと詰まっていて、私にとって「はまる要素」が2つ合った事も幸運でした。小松監督は、その後に第3回PFFスカラシップとして16ミリ作品「バス」㊧を撮り、91年に商業映画デビューを果たします。当時映像以上に心に突き刺さったのがそのタイトル。パンフレットでは日本語のタイトルの英訳もあったのですが、『いそげブライアン』の英訳は『GO GO BRYAN』。懐かしくて資料をネットを探したら、『BRYAN GO GO』となっていましたので、私の記憶違いだったのか・・・。
当時のパンフレットの誤植だったか分かりませんが、私の脳髄には『GO GO BRYAN』と記憶され、その言葉のリズムにも強く感銘を受けました。タイトルや台詞のひと言、ひと文字から浮かび上がるイメージの豊かさ、激しさに涙が出そうになったのです。約1時間ほどの作品ですが、冗長なところが一切無く、走り回り喋り、怒鳴りまくる、その躍動、その怒声、そのエネルギーすべてが、私の胸を激しく揺さぶり、鳥肌ものの映像体験となりました。
あの年代の、あの若さの、ああいう事で頭が一杯の学生だった『私』が観たから感じ取れた空気だったのかもしれません。嗚呼、こういう映画があっていいんだと・・・もともとテクニカルな映像には興味が薄く、シナリオや台詞など『物語』としての映画に惹かれていたのですが、この映画と出会い、言葉で人の心を震わせる事も出来るのだと実感させられた映像体験でした。もしもまた観る事が出来るのならば、もう一度観てみたい魂の大傑作ですが、今観直すと感じるものが随分違うかもしれません。ちなみに小松監督のプロレス愛は、数年のちに、資金難から解散の危機に陥っている弱小女子プロレス団体の悲哀と歓喜を描いた『ワイルドフラワーズ』という映画で結実するのですが、それは和製『カリフォルニア・ドールズ』とも言えるプロレス映画の傑作!信念を貫く渾身の延髄蹴りは、再び私の脳髄を揺らすのです。
このブログを書き始めて5年目になり、延べにして1500日を超えました。さすがに当初からご覧いただいている方ばかりではないので、ある日突然このブログをご覧になった方は、なんで普通の材木屋がやたら映画やプロレスの事に詳しく、本筋を離れたようなことばっかり書いているのかと思われるかもしれません。特に最近、映画の話題が多いのでここで改めて、なぜにそんなに映画が好きなのかと、大学時代に本格的に映画に目覚めた頃のお話をまとめさせていただきました。
あれは昔々・・・大学時代、映画研究部に所属していて8㎜映画を撮っていました。昔から映画が大好きでしたが、故郷の町からはいちばん近い映画館でも電車を使わねばならない距離で、子どもの頃は映画館は遠い存在でした。なのでもっぱらTVで放送される、小さなスクリーンの映画を観るしかなかったのですが、逆にその飢餓感が私を映画に夢中にさせたのです。その反動から、大学に入ると映画館で年に200本以上も映画を観るようになりどっぷりと暗闇の快楽を堪能する事になりました。
さらに8㎜フィルムの映画製作にもはまり、部での活動以外にも自主制作で何本か映画も作りました。当時はまだデジタルは浸透してなく、フィルムが全盛でしたのでバイトで小遣いを貯めてはフィルムを購入していたものです。全国的にも学生による自主制作の8㎜映画は沢山作られていて、その作品を競うコンペティションの最高峰が、『ぴあフィルムフェスティバル』でした。確か大学3年の時に、松山でもその受賞作を集めた映写会が開催されることになりました。
その関係者の方の中に、うちの部ともお付き合いのある方がいらして、私たちもお手伝いに伺い、映写会にも参加しました。そこで初めて、全国レベルの8㎜というものを体感しました。もっとも衝撃を受けたのが、『いそげブライアン』という作品。1986年に入選した作品。最強のタッグチームだったブライアンとチャーリーは、ある日離れ離れになり、別の人生を歩み始める・・・。その生きざまを、喋りっ放しのモノローグと畳み掛けるイメージによって、青春を全力疾走する渾身の映画です。
3月の決算を控えて、倉庫の中の整理に日々汗を流しております。在庫にもいろいろなタイプがありまして、まっとうな製品から、大きな板を割って残った引き落としまでサイズも樹種もいろいろです。この端材の山が、ゴミから宝に変わったのが5年前。昔は年度末の大掃除で、1m以下の身近な材はごっそりと焼却処分していたものです。かつて材であったののが、煙に形を変えて天に召されていく姿を見ては悔しくて悔しくて、心の中で唇を噛み締めて眺めていたものです。
その思いが堆積してやがて【森のかけら】という形で世に出てくるわけですが、そのお陰で随分と端材たちは、倉庫の埃の中から晴れ舞台へと巣立っていくことが出来ました。その後、【森のかけら】になれないサイズや、もっと大きなサイズ、それぞれに『出口』を考えて、なるべく端材を無駄にしない事を心がけてきました。しかし皮肉な事に、そういう出口が確立されると、端材もそれ用に加工してストックするようになりました。
しかも【森のかけら】が順調に売れ始めたことから社員の意識も少しずつ変わり始め、端材も無闇に処分せずになるべく保存するようになってきたのですが・・・どうしても流通量の多い樹種がドンドン溜まっていくようになりました。桧、杉、米松、米栂の主力材はもとより、ブラック・ウォールナット、ブラック・チェリー、ホワイト・オーク、ヨーロッパ・ビーチ、ブビンガ、レッドオーク、ホワイトアッシュ、などの家具材の主力材の端材も油断していると山のように貯まってきます。
同じ樹種の『かけら』ばっかり作っても仕方がないので、新たな出口を探すのですが、そう簡単に新たな出口が見つかるわけではありません。出口に該当しないサイズは、加工して『ちょこっと端材』としてもネット販売しているのですが、それもあまり作ると保管が大変になってきて・・・。売りたい材と買いたい材がうまく噛みあえばいいのですが、そううまくタイミングが合うものではありません。しかし、こういう差し迫った状況が新たな『出口』を生み出すエネルギーとなっていくのです・・・いかねば!・・・汗!
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