森のかけら | 大五木材


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20131221 1さて、その材木関係者の方は、昔アフリカなどから日本へ特殊な木材を輸入される会社に勤められていたそうです。先日弊社に来られたのは、たまたま別の仕事で来られたので、初めてお会いしたのですが、【森のかけら】を挟んで異常に会話が盛り上がり、本来の目的そっちのけでいろいろな話しをさせていただきました。実はその方が、【森のかけら】にひどく惹かれたのにはわけがありまして、それもたまたま偶然の話なのですが世間は狭いと感じる話です。

 

 

20131221 2今でこそアフリカ材の輸入量は激減の一途ですが、かつてはブビンガモアビなどの大径木をはじめ様々な樹種が沢山日本にやって来ていました。私が業界に入った当時の事ですが 、木の知識はなくとも根っからのコレクターであった私は、仕事というよりも趣味として世界の木材図鑑などを幾つも取り寄せ読んで(見て)いました。それら世界の木材の色合いの美しさや表情、名前の面白さや物語にすっかり魅了され、私の頭の中では妄想が増幅されるばかりの日々。

 

 

20131221 3そんな状態で、市場などで実際の「妄想の木」と出会った時にはこれぞ、運命の赤い糸!と自分だけで勝手に盛り上がり後先も考えずに購入したいったのです。売る方も特殊な木が好きのカモが来たと思って、更に特殊材の深みへ深みへ誘い込んでくれるのです。それは私にとっても至福の時!嗚呼、日々夢描いていたあんな木もこんな木までもが今自分の目の前にある〜!これは、「木が私を呼んでいる状態では?!」決して材木屋が陥ってはならない領域に突入です!!

 

 

20131221 4まあ、そのお陰で世界中からいろいろな木が集まって来て、結果的に【森のかけら】が生まれて来るのですから人間万事塞翁が馬とはこの事。それら世界の珍しい木との出会いそれぞれに、私に木の事を手取り足取り教えて下さった師匠や先輩の皆さんがいらっしゃいます。その中でも、アフリカ材については、輸入量こそ今に比べると桁違いに多かったものの、日本に入るルートそのものは限られていて、全国ほぼすべてのルートが1つの川上に集約されていました。

 

 

Exif_JPEG_PICTUREその中でも更に珍しい木(決して高価という意味ではなく、特別人気があるとか、認知度があるというわけでないので通常はあまり輸入されないという珍しさ)については、どこどこ商社の誰々が関わったと限定できるほど、ある意味トレーサビリティが正確に証明できる木もあったそうです。商社の中にも私のような物好きな方がいらしたようです。まあアフリカや中南米などの特殊な木材を好き好んで扱おうという人間は、好奇心の塊、物好きでなければやっていけませんが。更に明日へ・・・

 

 




20131220 1このブログを始めて昨日でちょうど5年が過ぎましたが、先日でブログをご覧いただいた人の数が累積で85万人を超えました。また、総アクセスページビューは、3500万を超えました。これも日々ブログをご覧いただいている皆様のお陰です。本当に感謝致します。この数ヶ月ブログの更新が大幅に遅れておりましたが、先日ようやく「修正」出来ました。考えてみれば、ブログを始めた頃から私も5年の馬齢を重ね、老眼にもなり、深夜の作業にも随分時間がかかるように・・・。

 

 

20131220 2日々いただくコメントを励みに、これからも趣味と実益を兼ねて「木の物語」を語っていければと思っています。このブログを始めたお陰で多くの方ともお知り合いになる事が出来ました。中でも兵庫県の明石住建・Labo渡辺社長との出会いは、私自身の長年の夢でもあった『12ヶ月の誕生木』を実現させていただく契機となり本当に感謝しています。また全国各地の自治体や学校関係者の皆さんからのお問い合わせやご注文も願ってもない僥倖で、新しいご縁に感謝しています。

 

 

20131220 3それぞれの木の特徴を活かした商品アイテムも少しずつ増えてきましたが、『身近なところで使える木製品』の出口はまだまだ沢山ありそうです。ライフワークでもある『今日のかけら』同様に、完成しえない楽しさを、自分自身も満喫したいと考えています。ところで、【森のかけら】ですが、『36』、『100』、『プレミア36』の3種を合わせて累積販売数が先日遂に600セットを越えました。500セットからは県外からのご注文が増えて、全国各地へ旅立たさせていただきました。

 

 

Exif_JPEG_PICTURE5年で600セットですので、ザックリした計算で1年に120セットほどが売れたという計算になります。飽きっぽい私がよくも続いたものだと我ながら呆れ、いや感心したりなどして。先日ある木材関係の方がご来店され、展示してあった【森のかけら】を見られて、県外の材木屋でも何度か見ていたらしく、ここで作っていたのか〜と、感慨深気に仰っていました。最近そういうサプライズ的な出会いをされる方も少しずつ増えてきて、その場にいる私としては嬉しい限りなのです。その材木屋の方が、「あなたがこれを作り続けなければもうこれらの木を見ることも出来なくなるので、、頑張って作り続けて下さいね」と意味深な言葉を発せられました。そこでその真意を伺うと、かけらを通して壮大なドラマが展開され、私のかけら製作意慾にも更に火がつくことになるのですが、その話は明日・・・

 




Exif_JPEG_PICTURE全国に数多ある桧ブランドの最高峰が「木曽桧」と言っても差し支えはないでしょう。愛媛の桧もそうなれば嬉しいものの、そうなるまでには膨大な時間、歴史、背景まで含めた物語性が必要になります。木曽桧が知られているのは、それを取り巻く圧倒的な物語性。特にその名に箔を与えているのが「木曽五木(きそごぼく)」の1つであるという事。木曽五木とは、木曽地方に生育する5種類の木の事で、ヒノキ、サワラ、アスナロ(ヒバ)、コウヤマキ、ネズコがそれにあたります。

 

20131219 2なぜこの5種の木が有名なのかというと、徳川時代にこの地域を所管していた尾張藩が、この5種の木に対して厳格な禁伐政策をとっていたからです。当時この禁を破って伐採するとその代償として命で償うという「木1本首1つ」と言われる厳しさで5種の木を保護してきたのです。その結果、後世木曽には立派な原生林が残り、禁が解けた以後立派に成長した目込みで美しい艶と光沢を備えた木曽桧は、様々な商品(風呂桶やお櫃などに加工され出材され人気を博したのです。

20131219 3ではなぜに徳川幕府はそれほどまでに木曽五木を大切に保護したのでしょうか。そもそも桧は、スサノオノミコトが日本書紀において「宮殿は桧で作るべし」と言ったように、良質の建築材として古来より親しまれ使われてきた歴史があります。以前にこのブログでも触れましたが、かの織田信長が安土城を築いた際にも、良質の桧を求めた記述が残っているほどです(詳しくは是非、映画火天の城をご覧いただきたい)。桧は城造りに欠かせぬ素材だったのです。

 

20131219 4相次ぐ築城ラッシュで、次第に良質で大きな桧は資源不足になってきます。「時の権力者は大木を伐る」事で威厳を保とうとしたのです。そして秀吉、家康、その後の徳川幕府は良質な桧を木曽に求め続けていたのですが、さすがに無計画に伐採していたのでは豊富な資源も底をついてしまうことから、自分たちが使うために厳しい禁伐政策をとったのです。つまり木や環境の事を考えてといわけではなかったのですが、結果的にそれが桧の文化を残すことになっていったのです。

 

Exif_JPEG_PICTURE木を語るうえでそういう物語性は大切です。それで森のかけらには「木曽桧」を採用しました。全国に多数ブランド材が存在するのはスギも同じなのですが、桧は杉ほどに特徴に差異がみられません。特にかけらのように小さな断片になってしまうと。それで匂いに特徴のある「屋久桧」と「木曽桧」の2種のみをかけらに取り入れました。桧についてはまだまだエピソードがあるので、今後も随時アップさせていただきたいと思います。これにて「木曽桧」の項、ひとまず完了。




20131218 1しかし、古来より日本の建築材の主役として親しまれてきた桧の新たな出口を見つけるのはそう簡単なことではありません。今はまだ『森のしる』など、1つ1つは極めて小さく単価も低くとも、とにかく1本のヒノキからなるべく沢山の商品を作り出す「小型商品を量産できる価値」程度しか仕上がっていませんが、それとてもうすぐ累計で2万個を越えます。小さな小さな取組でも続けていくことで、雨水石をも穿つ結果を出せるものと確信を得ているとこころです。+

 

 

20131218 2今後は更に新しい出口を模索していくつもりです。ところで、今さらですが『木曽桧』についての説明。ヒノキはヒノキ科ヒノキ属の日本固有の木です。ヒノキ属としては他に国内ではサワラ( 椹)、台湾ではタイワンヒノキベニヒ(紅桧)、北米にはローソンヒノキ(米桧)、アラスカヒノキ(米ヒバ)、ヌマヒノキがあります。他にも園芸品種としてはいくつかの種類があります。日本人で木に詳しくない人でもヒノキという名前を知らない人はいないでしょう。

 

 

Exif_JPEG_PICTUREその桧は、全国に広く分布していて、各地域ごとに地名を冠したブランド桧が確立されています。植林も熱心に行われていることから、天然林としての桧の産地と植林としての桧の産地にも分けられていて、様々な日本三大OOなどにも欠かすことの出来ない木となっています。例えば「木曽桧」は、立派な天然林に対する称号「日本の天然三大美林」の一角(後の2つは青森ヒバと秋田杉)であり、「日本の人工三大美林」にも「尾鷲桧」が登場する(他は天竜杉と吉野杉)。

 

 

GE DIGITAL CAMERA他にも和歌山や静岡、岡山、宮崎、大分、高知など有名な産地は沢山あります。【森のかけら】にも当然桧は加えるつもりだったのですが、迷ったのはどこの産地の桧を加えるかという事。わが愛媛県は昨年まで生産量日本一を誇っていた桧王国でした(昨年残念ながら首位陥落!)ので、本当は愛媛産の桧を選びたかったのですが、その当時から愛媛の桧は全国的なブランド名で呼ばれるだけの確固たる地位を築いてはいませんでした。そこで広く浸透していた「木曽桧」を選択。




Exif_JPEG_PICTUREこの話は、本来『今日のかけら・桧篇』として書くつもりだったのですが、そのために私と桧の出会いの事について少し触れようと思っていたらついつい話が感情的になり横道に逸れてしまいました。まあそれぐらい桧は私にとっても特別な存在だったという事です。あえて過去形にしたのは、今私にとっての桧は、建築材、化粧材としてではなく、全国有数の生産量を誇る豊富なクラフト資源として見えているからです。当然建築材としても利用させてもらっているのですが、

 

 

Exif_JPEG_PICTUREそれよりももっと高い価値のあるものに変えることが出来るのではないかというのが私の桧に対するスタンスです。よく学校などで、30年生のヒノキの木1本いくらすれでしょうか?という質問をします。こういう質問をすると木材関係者の中には、手入れの状況は?生育環境は?などと突っ込みを入れてくる方もいますが、あくまでザックリしたイメージで捉えて下さい。その問いに対して純粋な子供たちは思い思いの価格を言います。10万円、50万円、100万円

 

 

20131217 3そうです、子供たちの脳裏には、天を衝くほど通直に伸びた木の姿がイメージされ、自分の身の丈の十数倍もある「生き物」に対して、本能的な価値観としてそういう値段が口から出てくるのです。私はそれこそが木に対する本質的な揺るがざる『生命価値』だと思っています。実際にはわずか数百円から数千円の価値として取引されるわけですが、私はそれを『経済価値』と呼んでいます。本来人として感じる100万円の価値を100分の1以下の価値に貶める事が材木屋の仕事なのか?

 

 

Exif_JPEG_PICTUREこの考え方には大いに反論もあろうと想いますが、あくまでも私の考えかた。材木屋が100軒あれば100通りの考え方があっていいというのが私の考えなので、それぞれ自分の思うべき道を進めばいいのだと思います。その道を明確にもせずに他人の考え方に異を唱えることこそ不遜。実践してこその理屈。私は私なりに、今の桧に建築材とは違う価値を見出したいと考えています。ならば立つべきステージを変えるしかない!そこで新たな桧の出口を求めようというのが結論。まだ続きます!




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