森のかけら | 大五木材


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20140326 1先日、子供たちの卒業式が続けてありました。長女は中学校を卒業して、どうにか希望の高校へ進学することが出来ました。下の双子も元気に揃って無事小学校を卒業して、春からは同じ中学校へ進むことに。今年は小学校と中学校で同時に区切りの年となったこともあり、いつも以上に「卒業」という言葉が身近に感じられました。子育てや学校関係の行事はほとんど家内に任せっきりですので、言えた義理ではないのですが・・・ひとつの大きな区切りがついた気分。

 

 

Exif_JPEG_PICTURE小学校の卒業式の朝、制服に身を包んだランドセル姿の双子をカメラに収めたかったのですが、次女はそれを察して友達とさっさと行ってしまいました。うちは自宅と会社が歩いて数十秒の距離なので、出社後に子供たちの背中をこうして見送ることも多かったのですが、中学生になると通学路の関係で朝はここを通らなくなるので、朝のこの姿もこれで見納め。まだまだ背は低いものの、『ランドセルに背負われていた』小さな背中も随分と大きくなりました。

 

 

Exif_JPEG_PICTURE毎年退職者や新入社員を迎えるような大企業でもないと、新年度という実感が希薄で、今は子供たちの学校行事で季節感を感じているといってもいいほど。折り目折り目のこういうセレモニーの大切さを年々痛感します。滅多に卒業式などに顔を出すこともないので、今の流れなのかどうかは分かりませんが、校長先生や来賓の挨拶、送辞や答辞も挨拶も、昔のような紋切型ではなく自分の言葉を織り込んだオリジナリティのあるものが多かったように感じました。

 

 

Exif_JPEG_PICTURE小学校の卒業式は、中学や高校と違って、友達もほぼ全員同じ中学に進学するため涙の無い笑顔の卒業式でした。それが中学になると、人生の最初の大きな岐路に立つという事もあって、かなり感情も揺さぶられます。わずか三年でひとはいかに成長するものかを実感。さて、双子は別々のクラスという事もあり、家内が娘のクラスへ、私が息子のクラスへと分かれて卒業式後の教室へ。そこでも子供たちには涙は無く、皆笑顔で同級生たちともしばしのお別れを満喫。

 

Exif_JPEG_PICTURE最後は卒業生と親が手をつないで正門までの道を歩き、在校生と先生方が両側に立って送り迎えをしていただくというセレモニー。これでいよいよ小学校ともお別れ、小学生の保護者という役割も終わりです。校長先生の挨拶の中に、「人生に別れはつきものですが、別れにはその後の人生を変えるほどの感動はない。しかしこれから沢山経験するであろう新しい出会いは、その後の人生を大きく変えるほどの大きな感動がある。多くの新たな出会いを経験して下さい。」との趣旨の言葉がありました。子供たちよ、人生至る所に青山あり

 




20140325  1昨日に続いてモザイクボード2連発!本日紹介させていただくのは、パナホーム愛媛支社さんで使っていただいた事例ですが、こちらはモザイクボードの王道・カウンターとしてご利用いただきました。自分のところの商品でありながら惚れ惚れしてしまうのは、別の人の手が加わりモザイクボードに晴れの舞台をご用意していただいたから。弊社にいる時よりも、出荷前に私が念を入れて磨き上げた時よりも数倍も光り輝いて見えるのは、決して身贔屓だからだけではないはず!

 

20140325  2しかも嬉しいのは、現場サイズに合わせるためにカットした残りも無駄にすることなくきっちり小棚に使っていただいている事!昨日も言いましたが、「ちいさいモッタイナイ」から「大きなモッタイナイ商品」を作っている者としては、こういう事が非常に嬉しくありがたいのです。モザイクの端材であれば、それはそれで皆さん捨てることなく何かに活かして使おうとしていただけます。それは、そこに何らかの意図や意思を感じ取っていただくからではないかと思うのです。

 

20140325  3

それがもしただの無垢であれば、そのまま捨てられたかもしれません。しかし、そこに「ものづくりの痕跡」が見えた時、ひとは本能的にモッタイナイスイッチがONになるのだと思います。最近こうして、モザイクボードの施工写真などをわざわざお持ちいただいたり、メールで送ってくださる方が増えて、非常にありがたく感じています。それが嬉しいのは、わが子たちの晴れ舞台が拝めるのと同時に、沢山の方がモザイクボードという商品を認知して愛していただいていると実感出来るからです。もう、開発当時にサンプルを持って回った時の罵詈雑言(いや、そこまではひどくないか・・・汗)はすっかり忘れました(笑)。お陰様で500幅、600幅の2サイズ合わせて、もう少しで製作開始以来の累積枚数が100枚に届きます。

 

 

20140325  4まだまだわずか100枚ではありますが、考えようによっては焼却炉に向かうはずだったそれだけの端材の命を救った事になるのかも。おお〜、これはまさに「シンドラーのリスト」状態! ただ映画と違うのは、うちの場合は焼却炉に向かう運命を作ってしまったのも私自身の責任(木取りの甘さや管理怠慢等)であるという事。それでもこうして端材たちが協力して一体となり、ひと様に喜んでいただける仕掛けを作れたことは私にとってのささやかな幸せなのです。

 

※ モザイクボードをご使用いただいたこちらの物件は、パナホーム愛媛支社さんが新居浜市東田「美しが丘にいはま」に建築されたモデルハウスです。近隣の方ぜひご覧下さい。




20140324 1今まで顧みることのなかった端材を集めて作ったモザイクボード。要するに「小さなモッタイナイ」が沢山集まってできた「大きなモッタイナイ商品」ですから、当然その商品を無駄にすることなど出来ません!なのでモザイクボードからテーブルやベンチ、椅子などを作る場合、デザイナーさんや職人さんにお願いするのにも「なるべく無駄なく使えるようなデザインを〜」という条件を出していました。それに固執するがあまり、いつもスクエアなデザインばかりでした。

 

Exif_JPEG_PICTURE丸く削りたいという欲求は凄く強くあったのです!なにせこういうモザイク柄ですから、きっとRなんて面白くなるだろうなんて思ってはいたのですが、倉庫の端材を集めた作った残像があまりに強く残っていて、Rにカットしてより大きな端材が出ることにためらいがありました。そんな私の激しい葛藤をいとも簡単に打ち破っていただいたのは、お客様からのご注文。自分からは進んで出来ないことも注文とあらばためらいはありません!毅然とRに加工した姿がこちら。

 

Exif_JPEG_PICTUREやっぱりモザイクにはR加工が似合う~!今までの葛藤は何だったのと思うほどに、私の中の「モザイクはなるべくスクエア信仰」が音を立てて崩れ落ち、新たな信仰の柱が立ちあがった瞬間でした。『モザイクは丸く削れ!』いやまあ、まだそこまで吹っ切れてはいませんが、この仕上がりを見ると、モザイクの色彩と曲線の柔らかさとの相性が想像以上にいいのです。まあそう思って悦に入っているのは私だけかもしれませんが・・・。早速モザイクの円形テーブルに着手!

 

Exif_JPEG_PICTURE今回、私の中に潜むモザイク=スクエアの呪縛を解いてくれたのは、コラボハウス(今治オープンスタジオ)の福岡 美穂さん。今治市内のK様邸のテーブルとしてご注文いただきました。実はこのK様ご家族は木が大好きで、弊社にも2度ほどご家族でお越しになって、いろいろな木を使った家具のご注文をいただきました。それらについては改めてご紹介させていただきますが、無垢材の素材感を全面に押し出されたものばかりです。そんな中で2階に使うテーブルには遊び心のあるものを・・・

 

Exif_JPEG_PICTUREという事で、まだお子さんも小さい事からコラボハウスさんとのお話し合いで、全面を曲線加工したこのデザインになりました。 実は私もモザイクボードでこういう家具を作ってみたかったのですが、どうしてもスクエアの呪縛から逃れられずその勇気がありませんでした・・・。それが実際に作ってみると、やっぱり面白い~!脚もコラボさんのデザインでシャープなアイアンなのですが、そのシャープさが一層モザイクの曲線を引き立たせます。長さは1700㎜で、最大幅は940㎜あります。モザイクボードの規格は、2000×500×27㎜3000×600×27㎜の2種類ですので、今回は500㎜幅を2枚幅剥ぎして製作しました。加工はいつものZEN FURNITURE善家雅智君。またひとつモザイクボードの新たな出口が見つかりました!後は切り落としの有効活用を考えねば・・・。

 

※ モザイクボード 2000×500×27㎜・・・¥35,000/枚 3000×600×27㎜・・・¥50,000/枚(いずれも税別・無塗装品・松山市周辺以外は別途送料が必要です) 大量生産出来ません。在庫状況は必ずご確認下さい。




20140322 1話がプラタナスから逸れてしまいましたので話を戻します。そのプラタナスですが、市場で流通することはほとんど無いので、入手するには特別なネットワークが必要になります。手に入らないときは相当探し回っても縁遠かったのに、手に入りだすと数か所から同時に話が舞い込んできたりと、ご縁は不思議なものですが、やはり常に手を挙げてアピールしておくことが大切だと感じます。このプラタナス、材として活用されることは決して多くはないと思われます。

 

Exif_JPEG_PICTUREところが、削ってみて分かったのですが、このプラタナスという木材は実に精緻で滑らかなのです。かなり細かなレース柄のような雰囲気があります。同じスズカケノキ科の仲間には『ホワイトシカモア』があります。決して通直とは言えない木なので、長さのあるものや大きなものは取れないので、出来るものは限られてはおりますが、この妙味の存在を知ってしまって使わないなんてモッタイナイ!弊社では今のところ『森のりんご』と『森のたまご』を製作。

 

 

Exif_JPEG_PICTUREただし用材として市場に流通しているわけではないので、材の保管状況には注意しなければなりません。青染みが入りやすいので、乾燥にも気を配らねばなりません。しかしその伐採の理由が、老木になったから邪魔になるので伐採するとか、虫害の被害を受けたからとか、病気になったからという事も多く、そもそもがベストコンディションというわけではないことが多いのですが、街路樹の二次利用という点を考えれば贅沢は言えません。あるものを活かす、です!

 

Exif_JPEG_PICTUREそれにしてもよく見ると、板目と柾目の特徴がレースウッドのような木柄で大胆にして繊細!【森のかけら】については植物性オイルを塗布しているのですが、腐朽菌の影響を受けている部分も多く、オイルを塗ると濡れ色になって杢目は鮮明になるものの、同時に青染みもより顕著になるので個人的には無塗装の時の表情の方が好きです。『森のたまご』に関しては、『北信越地区〔森のかけら〕特命大使』である村本さんから分けていただいたものです

 

 

Exif_JPEG_PICTUREこのプラタナス、安定的に供給があるようであればかなり面白い素材だとは思うのです。全国的にみても街路樹としてかなりの量の植えられていて、年間相当数の大掛かりな剪定・伐採によって、「産業廃棄物」という名前に変わり灰となっていることと思われます。こういうものこそ、ある意味『眠れる地域資源』と呼ぶべきものではないいでしょうか。排気ガスに耐えた次の舞台は、焼却炉の中ではなく、ひとの手に包まれるものになれればいいなと思うのです

 

 

※ プラタナスの「森のりんご」は、1個¥4,000 プラタナスの「森のたまご」は、1個¥2,000(いずれも税別)ネットでも販売しております。     ご注文ははこちら→注文ボタン




20140321 1さて本日もプラタナスの木についてですが、この名前の方に馴染みがあるためここではあえて『スズカケノキ』ではなく、プラタナスで通したいと思います。プラタナスにも幾つかの種類があって、アメリカスズカケノキ、モミジバスズカケノキなどもあるようで、日本の街路樹でもっとも多いのはモミジバスズカケノキらしいのですが、ここではザックリとプラタナスとしてひとくくりにさせていただきます。街路樹って案外手に入りそうで入らないものです。

 

 

20140321 2たまたま庭にプラタナスを植えられている方が伐採された木を譲り受けた事もありますが、私の出会うほとんどが街路樹としての存在です。街路樹を勝手に伐採するわけにはいきませんので、道路工事などで伐採された街路樹を業者の方から分けていただく事が主な入手ルートになるわけなので、あまり細かく分類していては材が揃わないので大まかに1つにまとめてプラタナスとさせていただいております。海外ではかなり巨大に成長した街路樹もあるとか・・・。

 

 

20140321 3このプラタナスですが、いろいろ別名も多いのですが、その1つに『ヒポクラテスの木』というのがあります。ヒポクラテスというのは、医療の祖として有名ですが、彼がこの木の下で弟子たちに医学の道を説いた事に由来しているそうです。私がその名前を覚えたのは、1980年に公開されたATGの映画『ヒポクラテスたち』。大森一樹監督の作品の中で、今でも一番好きな映画です。医大に通う医大生たちの青春群像を少し後年になってビデオで観ました。

 

 

20140321 4見るからに神経質が服を着ているような主人公の古尾谷雅人、同じ医大生の柄本明、伊藤蘭、寮仲間の小倉一郎、阿藤海、本作が映画デビューの内藤剛志、 斉藤洋介などなど実に個性的な面々が揃っていて、しかも皆さん若い。初めて観たのが高校生の頃だったのですが、医大生の実態というよりも、桶持って銭湯に行き、殴り合うほどに熱く議論する「古き昭和」の大学生活に何だか憧れのようなものを感じていました。いつか自分もそんな青春を送るのかと・・・

 

20140321 5まあ実際の大学生活は映画のそれとは随分違うものでしたが、70年代のフォークソング、例えばかぐや姫などの歌のシチュエーションや学生運動などに対して非常にシンパシーを感じる部分があって(もう少し早く生まれていたらどっぷりと染まっていたかもしれないと思うとゾッとしますが・・・)こういう70年から80年代の青春群像劇が大好きなのです。プラタナスの皮が剥げ落ちていくように、青春時代も傍から見るとどこか痛々しいものかもしれません。




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