森のかけら | 大五木材


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20120702 1先日、九州の大宰府で7世紀末頃の『戸籍を記した最古の木簡』が出土して話題になりました。最近よく各地で昔の遺物が発掘され、どんどん太古の歴史が書き直されているようです。長年の研究の成果でしょうか、出やすい所の目星がついているのか、科学的な採掘技術の賜物なのか分かりませんが、私としてはそのプロセスとよりも「出てきてモノ」の方に興味が湧きます。時代的に考えると、硬い広葉樹を切削する技術が確立されていない頃なので、圧倒的に針葉樹が多いようです。

 

20120702 2今回出土した木簡は、『針葉樹』としか記されていませんでしたが、新聞の写真の印象からすると『』か『』のように見受けられます。戸籍を示す文言がはっきりと解読できるほどのコンディションで、とても数百年も土の中に眠っていたとは思えない状態。同一条件で比較するわけにはいきませんが、こういうモノに出会うと「建築における耐久性の時間感覚」がいかにはかないものなのか痛感させられます。木簡とて、数百年の未来に言を残す事を目的に作られた訳ではなくて、それでこの耐朽性!

 

20120702 3写真で見ると『柾目』が使われていましたが、当時から日本人は木の適性について熟知していたんでしょう。身近な暮らしのほとんど(すべて)が自然素材であった時代、周辺には信じられないくらいの巨木の森が広がっていたことでしょう。それを伐採する道具はまだまだ粗末なもので、当然人力に頼るもの。木の生長量から考えれば、良質な木材が無尽蔵に入手できた時代なのかも。端材を無駄なく有効に使えるのは、そういう小さなモノもきちんと加工できる技術や機械があればこそ。

 

20120702 4そう考えると果たして当時、『モッタイナイ』の概念はあったのでしょうか。木を削ったり割ったりする道具的なものが未熟な時代、使いやすい良質な部分だけ(いわばトロにあたる部分)を使ったりしていたのでは?素材そのものも数百年の天然林を使うわけですから、耐久性が高くて当然。得られる状況の中から最大限の特性を引き出す能力(目利き力)は、現在とは比べ物にならなかったのではないでしょうか。それこそ村じゅう至る所に「木を熱く語る、目の利く頑固な材木野郎」が溢れていた事でしょう。




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