森のかけら | 大五木材


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弊社は交通量の多い県道に面していることもあって、長年お付き合いしている工務店さんや大工さんの他にもさまざまな方がご来店されます。「一般の方歓迎」などの看板などを掲げていないためか、「一般の者にも売ってもらえますか?」とおそるおそる訪ねて来られる方もいらっしゃいます。看板でも掲げたらもっと一般の方も来るのに、と仰っていただく方もいらっしゃいますが、なにせ少人数でやっていますのであまり沢山お客さんが来られても対応できなくなるので、ほどほど忙しいぐらいでちょうどいい感じ。

初めて来られる方にしてみれば、卸しかしたないのでは?ある程度まとめて購入しないと、少量は無理なのでは?などと不安もあると思いますが、『業界』という見えざる結界を勇気を出して乗り越えてこられた方は、それ以後は気軽にご来店され、常連さんとなっていただいています。更にその方が木工に興味のある友人を誘って連れてきていただくなど、ありがたい連鎖も出ていますが、そんな木工ファンたちの職業もさまざま。定年退職後好きだった木工をしたいという銀行マン、趣味で木工をしたい主婦、学生、外国の方等々。

その中には、その技術がプロの域に達していらっしゃる方も多く、木材の嗜好もプロ級という人もいます。こちらの神主さんは倉庫の中にある忌まわしい過去のある木材にお祓いをしてもらっているわけではありません。倉庫の中でお好みの木を探されているところ(ポーズにはやらせ感も漂いますが)。好きな木を選ぶのに 精進潔斎して、白装束でご来店された・・・わけではありません。たまたま弊社のすぐ裏手で地鎮祭が行われていたので、お勤めが終わった後に「仕事着」のままご来店されたというわけです。

こちらの神主さんの正体は、出雲大社松山分祠の神主さんであり、木工作家(ヤマドリ工房)の西嶋孝仁さん。独自のテイストで緻密な造りの木工品を作られています。お求めになる木材もこだわりがあって、その選択眼もプロ並み!当日は数枚の板材をご購入いただいたのですが、是非この機会にと、以前にブログでアップしましたが、200年生のホルトノキから出てきた五寸釘をお祓いしていただくことに。呪い釘だったか定かではありませんが、ずっと気になっていてこれで安堵しました。これも結界を超えた連鎖なのかも?!




しかしそれはウェンジには何も罪もないわけで、私の中で勝手にウェンジの評価を落としたのはお門違いも甚だしい事なのでした。その数年後にたまたまウェンジの原木を買うことになってウェンジに対する誤った認識は一掃されました。それまで唐木の製品となった「タガヤサンもどきのウェンジ」しか見たことがなかったので、本来のウェンジがそういうものなのかということを知りませんでした。それがウェンジの丸太を買って、板に挽いて在庫として持つようになって、初めてウェンジの素晴らしさに気づいたのです。

それがどれだけ重たい木なのかという事(気乾比重0.8~0.95)、どれほど色が黒いのかという事、乾燥するのにどれほど時間がかかるのかという事、はたまたどれほど「そげら」が手に刺さると痛いのかという事、そしてどれほど縞柄が美しいのかという事。木に関して言えば、どれほどその木の専門書や辞典を読み漁ろうが、どれほど人からその木の説明や情報を得ようが、実際にその木に触れてみなければ本当の事は分からないことばかり。まだ『出口』を確立出来ていなかった当時の私にとって大きな買い物は重荷でしたが、多くを学びました。

周囲にアフリカ材や中南米材などの異国の木や広葉樹について見識のある方がいなかったため、それらの木を識るためには、自分で買ってみるしかなかったのです。幸いまだバブルの余韻があったのと、大きな貸し倒れが無く(その後取引先がバタバタと倒産し、痛い目を見ることになるのですがそれはまた後日)、倉庫にもスペースの余裕があった事から、さまざまな国のいろいろな木に手を出していくのです。それが後々の【森のかけら】を生み出す契機となるのですが、それはまだまだ先の話。当時はとにかく好奇心先行でした。

ウェンジの『名誉回復』後は、タガヤサンの代替材としてではなく、堂々と『ウェンジ』として仕入れ、『ウェンジ』として販売してきました。この木、見かけによらず(失礼)曲げに対して非常に強くて、ベルト織りのための手作りシャトル やスキーの板、運動器具や曲げ椅子などにも利用されています。弊社でも『モザイクボード』など複数の木が混在する商品の中では貴重な黒色で強いアクセントを放っています。その大鋸屑も十分に魅力的なので、加工するときにはきっちり収集して『森の砂』にも彩りを添えてもらうつもり。




人が動けば我も動かんという流れが、旅行ブームや温泉ブームなど現在にも続く産業の基盤を作ったといっても過言ではないと思います。情報過多で選択肢が増えすぎた現代では日本国民がこぞって熱狂するような過剰ブーム望んでもなかなか叶わないですが、それはかつて木材業界にも大きな恩恵をもたらしてくれたのです。何千万もする屋久杉の家具や、何百万もする彫刻欄間、数十万もする床柱などが飛ぶように売れた時代が、この愛媛にだってあったのです。弊社ですら50万を超える欄間が月に数台売れた時代がありました。

弊社の倉庫の中にも「その頃の名残り」がいくつかあります。例えばこちらの鉄刀木のヒョウタン。これは20数年前に徳島の唐木専門の材木屋から買い求めたもの。営業でこちらまで来ることもあれば、徳島に買い付けに出向くこともありました。今はもう廃業しましたが、仏壇や家具だけでなく、こういう小さなモノも沢山製作して展示してありました。海外で作らせたものや国内で作ったもの、本当の銘木から眉唾物の出所不明のいかがわしいものまであれこれ。少々高く仕入れてもそれより高い値段でバンバン売れて、楽しい時代でした。

こちらのタガヤサンの木製グラスもその当時の売れ残り。三大唐木の中でも特にこのウェンジが私のお気入りでしたが、ある時期からその興味が一気に失われていきました。それは若い頃に銘木の関係者と徳島に買付に行った際タガヤサンの木工品に惹かれていた私に対して、先方の唐木屋が(若いだろうけどあなたも材木屋だから知っているだろうが)と、後から揉め事にならないように予防線を張ったのかもしれませんが、「それはタガヤサンではなく、アフリカ産のウェンジを漂泊して柄を鮮明にしたニセモノだから」と教えてくれてから。

阪神タイガースが好きだからということもあるのか、いやもしかしたら縞柄が好だからタイガースが好きなのかもしれませんが、ともかく生来縞柄が好きだったのでタガヤサンに惹かれていたのですが、それは別にウェンジであってもよかったのです。気持ちが引いたのはそれがウェンジを漂泊したからという事ではなく、その業者が「ニセモノ」と言った事。我々が材木屋と知っていたからそう言っただけで、相手が素人なら堂々と「タガヤサン」として売っていたわけです。そのようにニセモノ扱いされる木としてウェンジに対する興味がトーンダウン。明日に続く・・・




先日、埃をかぶって樹種が分からないほど汚れた木が『ウェンジ』だっという事でしたが、そのウェンジについてはかつてこのブログで『黒い縞を持つブラックビューティー』としてご紹介しました。かつて『適材適所』でも取り上げたのですが(右)、ブログで5回に分けて書いたのは、その原稿に加筆して詳しく解説したものでした。褐色の縞柄が美しいアフリカ産の褐色の広葉樹・ウェンジの特徴については『今日のかけら』をご覧いただければと思いますが、本日はそれ以外の事でウェンジに関する話。その際にもこのウェンジが、世界三大唐木と呼ばれる『紫檀・黒檀・鉄刀木(シタン・コクタン・タガヤサン)の鉄刀木(タガヤサン)に材質や色調、雰囲気がよく似ていることから、その鉄刀木の代用品に使われているという事に触れました。

四国の徳島県は昔から唐木仏壇の製作が盛んで、江戸時代からの歴史を有する大阪の唐木仏壇の技術が伝わり、元来より家具作りが地場産業であった徳島で更に発展したものだそうです。そのため徳島には唐木が集まっていて、昔から徳島の木材業者が唐木を積んで松山にも営業に来ていました。そのお陰で若い頃から唐木を目にする機会が多く、いろいろな『銘木』と呼ばれる唐木も拝見させていただきました。中でも私が個人的に好きだったのは鉄刀木。「タガヤサン」という不思議な名前とその複雑濃厚な木目に虜になりました。

今から30年、いや40年ほど前には唐木工芸の収集ブームがあって、どこの家にも『紫檀・黒檀・鉄刀木』製の坪やら器やら何かしらのオブジェが鎮座ましましていたものです。今の若い人からすれば、何がいいのか分からないと思われるかもしれませんが、私の父親の世代の嗜好品の選択肢のひとつとして「木のモノ」は確固たる地位を築いていたのです。高度経済成長を猛烈に駆け抜けたきた世代のひとにとって、嗜好品のチョイスすらも「ひとに負けてなるモノか」的な意識が働いて、競って唐木製品を買い求めたのです。

そういう流れを個性が無いとか、横並び意識が強すぎるとか、自分の価値観が無い、なんて批判する人もいますが、自分の父親を見ていてそんな気持ちにはなれません。高度経済成長期に脇目もふらずに働き続けてやっとひと息ついてみたら、趣味も無く、遊びの仕方も分からず、同世代の間で話題になったモノ、嗜好品、遊びに飛びついたのかもしれませんが、それの何が悪い。個性よりも強調性を求められる時代に生き、他社と同調することでマンパワーを生み出し、奇跡の発展を遂げた父の世代にとって必然的な選択肢だったと思います。明日に続く・・・




本日は久し振りに久万高原町へ。仕事を終わらせた後で、明日が原木市という久万木材市場にお邪魔しました。久万木材市場も役員さんが入れ替わり新たな体制でスタートしています。盟友・井部健太郎も加わり、代表取締役に長田昇二さん、取締役専務に健太郎君、取締役常務に成川尚志君のトロイカ体制となりました。全員愛媛木材青年協議会のOBで、日頃から仕事のお付き合いもある人ばかりなので、途端に原木市場も距離が縮まり早速調子に乗って市の様子を見にお邪魔させていただきました。

原木市場で札入れしてまで原木を買うことはないのですが、製材所にお願いして広葉樹の原木を買ってもらっていて、この数年は原木を挽く機会が増えています。弊社には原木を挽くような設備はありませんので、製材で賃挽きしてもらっています。愛媛では木材市場に広葉樹の丸太が出ることは少なく、出てきたとしてもせいぜいケヤキ程度。愛媛は圧倒的にスギ・ヒノキの針葉樹王国で、広葉樹の利用が圧倒的に少ない広葉樹後進県なので、原木市場ルートで変わった広葉樹を手に入れるのはほとんど望みなし。

それで直接山元にお願いして広葉樹を出してもらっていますが、長田・井部・成川体制になって事で今後は愛媛の広葉樹の活用も進む可能性が出てきました。そういうこともあって原木市場の様子も覗きに行ったのですが、新しい久万木材市場の方向性を示すかのように大きなケヤキの原木が出品されていました。新体制になってから交流が進んでいる愛知の服部産業()さんとの情報交換や原木の販売も活発になっているそうで、今後は愛媛ではお目にかからないようなこういう巨大な丸太や広葉樹にも出会えそう。

フォークリフト2台でようやく動かせる重さだそうで、愛媛ではありえない大きさ。さすがにこれだけの大物になると出口(販売)見込みが無ければ買うのは難しそうですが、社寺建築に大きなケヤキは欠かせないので、恐らく最終的にはそういう出口に利用されるのだと思います。いずれにしても弊社には縁の無いサイズであり手の届かない金額。昔まだ父親が健在で米ヒバの丸太を扱っていたことがあったのですが、その時だいぶ痛い目に遭ったので軽いトラウマがあったものの、丸太にはまってしまいそうでヤバい!




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