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「龍源寺間歩」を抜けるとそこは雲ひとつ無い青空。日の光を浴びて仕事の出来る稼業に感謝するのと、労働の尊さに頭が下がるばかり。観光として入ることの出来る坑道は安全が担保された部分のみで、本来の坑道の危険さや闇の部分は立入禁止の奥深くにあり、それは我々の甘っちょろい感傷を打ち砕くものでしょう。林業でも毎年多くの方が命を亡くされていますが、この鉱山でも多くの尊い命が失われた事と思います。日々の安心安全が労働の基本、ありがたい時代に生を受けております。感謝。
さて坑道を出ると一軒のお店がありました。大鋸に『銀工芸製作所』の文字が!以前来た時は、間歩までの往復と民家のある大森代官所跡界隈で買い物をしたのですが、坑道付近でひっそりと一軒だけ佇むわけあり風な(?)工房、入らずにはおられません。栗が坑道を支えたように、当時の木組みは木材が主材料でしたから、当然鋸も活躍したのでしょう。鉱山に関わらず、かつては多くの産業を影から支えたのが、それぞれの業種に適材適所に配された木材だったと思われます。
中に入ると、そこには芳ばしい香りが!「香り袋」の製造元『香り本舗・中村』さんというお店で、地元の『クロモジ』の木を使った香り袋を製造・販売されていました。辛く暗いイメージの鉱山作業に香袋が不釣合いのように思えたのですが、その過酷な労働なればこそこの芳香がひと時の安らぎとなり、鉱山労働者の心を癒したのだとか。しかし本来は、空気の薄い坑内で酸欠にならないための気付けとしての効果の方が強かったのかもしれません。鼻を近づけるとクロモジの芳香が漂ってきます。
『クロモジ』も早々に【森のかけら】240種リストから断念した木です。径の小さな潅木で、とても『かけら』が取れるサイズのものは入手できません。クロモジは、クスノキ科クスノキ属の落葉広葉樹ですが、ラウノビン・ステロールという精油成分を含んでいて、それが気付けや香り袋に使われる芳香を生み出します。クロモジとひと口に言ってもその仲間は多く、『ケクロモジ』、『ウスゲクロモジ』、『シロモジ』、『アオモジ』などがあります。名前の由来は樹皮の色や葉の絹毛の状態に由来しています。
閉所恐怖症とまではいきませんが狭いところは決して得意ではありませんので、これぐらいの距離が私にはちょうど「楽しめる」距離です。以前観た映画「サンクタム」のように、身を屈めギリギリ通れるかどうかのような狭くて暗いスペースを進む勇気は持ち合わせていません。こんな所でもしも眼鏡にハプニングでもあったら大変な事になってしまいます!眼鏡が割れたりして、こんな所にひとり取り残されて夜が更けて獣たちが目覚めたら・・・!なんて考えると狭い洞窟探検は生きた心地がしません・・・。 |
今は坑内にも「文化の光」が輝いていますが、当時はさぞ薄暗く、換気もままならない中でも息苦しい作業であったんだと思います。自然石の壁面に残るのゴツゴツしたノミの跡がある旧坑道と、コンクリートで整然と作られた無機質な新坑道のコントラストがあまりに対照的で、私には急勾配で出口へといざなう新坑道はどうみても、「エイリアンVSプレデター」の南極に掘られた地下通路にしか見えませんでした!このままここから一気に飛び出す貨車はどこにあるのか~? |
そんな妄想に逃避したいほどに、ここでの作業の過酷さがひしひしと伝わってくるのです。出口付近には、当時の様子を物語る絵巻が展示されていましたが、それによると、坑道の入口を「四つ留」と呼び、丸太を組んで落石を避けていたそうです。ここでは直径900mmの『栗の丸太』を組んでいたとか!900mmの栗の丸太、さぞ強靭で多くの人の命を託された事でしょう。栗は枕木にも使われるほど粘りと強度のある木ですが、いつもその活躍の舞台は黒子役。こういう木が華やかな鉱山文化の屋台骨を支えていたのでしょう。お疲れ様でした。 |
出雲・松江の研修旅行、最後の地は世界遺産『石見銀山』です。石見銀山には悲しい思い出があります。世界遺産に登録直後、家族旅行で行ったのですが、生憎の雨。それでも折角ここまで来たのだからと、まだ小さかった子どもたちをなだめて歩いて坑道のある龍時源寺間歩を目指しました。しかし幼い子どもたちははじめから気乗りしてなく「疲れた~」、「しんどい~」を連呼。そこに一層激しさを増した雨が叩きつけ、傘はほとんど役に立たず、坑道に着いた頃には全員ビショビショ・・・
更に世界遺産登録直後とあって、その雨にも関わらず坑道の前には長蛇の列。しかもその先にわずかに見える坑道の暗闇は、幼い子どもたちにとっては地獄へ引きずり込まれる悪魔の入り口にしか見えません!「怖い」、「嫌だ~!」泣きじゃくる子ども、足元までずぶ濡れで冷える体、あとどれくらい待てばいいのか見当もつかない人の群れ・・・世界遺産、なんぞや?!ぐずる子どもたちとともに踵を返し、坑道に入ることも無く、雨に濡れ人混みに酔うだけの悲しい体験でした。
あれから幾数年、あの時の借りを返す時が来たのだと勇んでいたのですが、到着した時に観光バスは我々の1台のみ。観光客もわずか数人。まあ平日の午前中ですから、いかに世界遺産といえどもこんなものなんでしょう。新しいものにはみんなが飛びつき、すぐに冷めてしまう表層文化の現われでしょうか。混雑の苦手な私には絶好のコンディション!電気自転車を借りて颯爽と坑道を目指します。小さい頃に通った道が短く狭く感じるが如く(?)あっという間に坑道に到着。
かの時は、まだかまだかと雨に打たれ、代わる代わる子どもを背負い、「我に艱難辛苦を与えたまえ~」と月に祈った山中鹿之助のような心境でこの道のりを歩いたものでしたが・・・。満開の桜の花びら舞い散る中、まるで映画の一場面のように爽やかなサクラロードでした。さあ、選抜された我々4名の勇者、(電気自転車が4台しか残ってなかったので早い者順)がこれから坑道に足を踏み入れるのです!かの時、人混みに垣間見えた坑道はもっと巨大に見えたんですが、実際はかなり狭く立ち上がれば頭を打つぐらい・・・蛇が出るかヘビが出るか!続きは明日~
出雲、松江に来てもう10日目(あくまでブログ内紀行ですが)。まだあと1週間以上は写真もネタもあるのですが、さすがに地元の話題も相当にたまっておりますので、この紀行もあと2、3日で(まだ?!)幕を閉じさせていただきます。旅行者の目で見るからだけでなく、私の関心とシンクロしているとはいえ、翻って我が松山は歴史ロマンを観光客にどこまでPR出来ているのか不安になります。出雲~松江の観光地を巡ると、観光で生きていこうという気概のようなものがひしひしと伝わってくるのです。
先人たちが築き上げた悠久の歴史がいつの時代から「商品化」され、暮らしや文化そのものに利権が発生し各地で観光産業が生まれてきました。その中であまりに過度な囲い込みが起こると、地域の文化というよりは治外法権的なゾーンになってしまい、地元のコンセンサスが取りづらい状況に陥ってしまうのではないかと心配します。誰もが気楽に自慢したい「おらが町の財産」に制限がかかる。そのあたりのバランス感覚はだんだん麻痺してしまいがち・・・。
地元の地域資源も「商品」である以上仕方が無い事かもしれませんが、あまりに商業化が進み独占・寡占化が進むと地域資源というよりも、ある特定個人・企業のためのものになってしまい、地元の人間が物申すことも憚(はばか)れたり、無関心化が進みはしないかと。それを利用するにあたってそれ相応の費用が支払われてるケースや優遇措置が与えられてるケースなどさまざまでしょうが、あまりに強い結界はむしろマイナス要因になるのではないかと思います。
外から見るのと内にいるのでは見方も感じ方も実情も全然違うのでしょうが、出雲に来るといつもどの観光地・施設に行っても、「商品化」された出雲の神様への慎ましい畏敬の念が垣間見えます。私が勝手にそう思っているのかもしれませんが、「おらが町の財産」に皆さんが誇りと信念を持っていらっしゃるように感じます。それは長い伝統や地域の教育がなせる業かもしれませんが、大勢の人が絶え間なく集まるところにはそれだけの理由があります。
沢山面白い地域資源があるはずの愛媛県、いつも言われるように「何でもあるけど何も無い」。それぞれが点在していて線になりにくい事が県民性の現われだとも言われます。地元にいれば、それはしれで居心地が悪いわけでもないのですが、外に出て有名観光地を巡ればおのずと危機感が募ってきます。観光企業だけが地域の観光地を支えているわけではありません。何らかの形で松山にある面白いものに少しでも関わらせていただき、一緒に旗を振らせていただきたいと思うのです。
なかなか出雲から帰って来れません・・・まあ、私のさじ加減ひとつなのですが。いつも出雲に来ると大紀行のようになるのですが、実際には1泊2日の旅です。にも関わらずまだ行程の初日が終わっただけ・・・。私の興味をそそるネタが満載ですのでついつい長くなってしまいます。何度来ても心地よい、波長の合う場所ってあると思います。私の場合、それが出雲でしょうか。早朝ホテルの前の桜を愛でながら散策していると、またしても私の波長にピッタリ合うものが現れました!
艶やかな桜を背に、8つの頭を持つヤマタノオロチに対峙するのは小さな『スサノオノミコト』ではありませんか!高さ300mmあるなしの小さなオブジェなのですが、こういうのは大好物です。近くの看板を覗き込むと、玉造り温泉の『神話の情景オブジェ』という事で、温泉街の川沿いに8つもあるとか。しかも製作者は、あの平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」を制作された籔内 佐斗司(やぶうち さとし)さん!これはすべてを巡り目に焼きつけなければなりますまい!
玉造温泉といえば、奈良時代初期に開かれ、大国主命とともに国造りをした少彦名命が発見、神代の頃からあったという言い伝えがある日本でも最古の歴史をもつ温泉。歴史の古さを競う道後温泉のある街に住む者としてしっかり観察せねばなりますまいっ!朝風呂の体にまだ少し冷たい風を受け湯冷めしそうになりながらも、①番に立ち戻ってオブジェ巡りスタート。オロチを酔わせて眠らせるための酒壷を小脇に抱えて、片手に剣を持って口を真一文字に結んで毅然と立つ姿のなんと頼もしく勇ましいことよ!
そしてまたヤマタノオロチノ憎々しく恐ろしいことよ。その一方で、全国各地でゆるキャラが大ブレイク中ですが、こちらはそのゆるキャラとは一線を画す毅然としたデザイン。各作品にはそれぞれこのような解説がつけられています。このオブジェ、昨年の春に完成したばかりという事で、落書きのひとつもなく綺麗に管理されていて、その姿も桜の美しさとマッチしていました。観光地の落書きや悪戯などを見ると、同じ日本人として本当に腹立たしく悲しくなります。
さて、上の解説文はこちらの作品のもの。『恋山(したいやま)神話』とありました。物語は、美しいタマヒメノミコトを好きになったワニが、 タマヒメノミコトに会うため川を遡ってきたが、 タマヒメノミコトは岩で川を塞いでしまう。 ワニは進めず、岩を隔ててただただ恋しい思いを募らせ、やがて舌を震わせながら帰って行ったという伝説。 ワニが恋したことから、その地を恋山と呼んだり、 鬼の舌震と呼ぶようになったとか・・・。オブジェの鮫の目から大粒の涙がポロポロと溢れております。なんとロマンチックな!
数多くの神話がモチーフとなっていますが、この話などはここで初めて知りました。鮫が恋したから『恋山(したいやま)』、鮫が涙で震えたから『鬼の舌震』なんて・・・かの時代どれだけ素晴らしいシナリオライター、コピーライターがいたのでしょうか。月日を重ね口伝があまたの脚色を加えて一層ロマンチックになったのでしょうが、恐るべき日本神話!きちんと読み込めば、現代のものづくりに生かせるヒントが沢山眠っていそうです。それにしてもこのキャラクターグッズあれば絶対全部揃えるんですが・・・欲しいなあ・・・。
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