森のかけら | 大五木材


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地図に残す仕事

今日は用事があって実家に戻っていました。少し前までは、こちらもダムの水がカラカラに干上がり大変な事になっていましたが、さすがにこの雨で満面の水をたたえています。むしろ場所によっては危険水域に近いほどです。中山や内子あたりでも小さな幅の川が、猛き狂った濁流がゴウゴウと流れ今にも溢れだしてしまいそうでした。山口や九州でも甚大な被害が出ているようですが、さすがにこれほど降るとこちらも心配になります。途中、山肌が崩落している所もありました。斜面の木々が文字通り根こそぎ崩れ落ちていました。

20090726 鹿野川ダム11

真下に人家とかはなかったようですが、このあたりはダム建設の関係で、切り立った崖の下に家が建っているような地形なので、大雨が続くと本当に心配になります。この崩落現場も、木々の根が浅く見えます。地形や地盤の問題もあるので一概に言えないとは思いますが、こういう崩落が起きると木の保水力、特に針葉樹の事が取り上げられます。広葉樹の方が根は深いと思うのですが、これだけ切り立った斜面ではどんなものでしょうか。木の保水力だけに頼らず、コンクリートなどの崩落防止の土木工事とセットで考えなければならないと思います。

必要のない過剰な道路工事が話題になり、土木工事は『無駄な税金』のようなイメージをもたれがちですが、こういう現場を見ると、こんな状態でもきちんと復旧させていく土木工事の重要性を感じます。見ても分かる通り、まだまだ崩落しそうでたいへん危険の伴う仕事です。どこから手をつけていいのかさえ分かりません。いくら機械化が進もうとも、場合によっては命懸けの仕事となります。山口県の災害現場も被害が甚大でしたが、それでもきっと回復していきます。そういう危険なところで働く人の汗がそれを可能にしていきます。

不況のあおりを受けて土木業界も倒産が相次いでいます。いずれ景気が回復すれば、雨後の筍のように起業する会社はあるかもしれませんが、これからこういう危険な現場で働く仕事を選択する若者がいるのか心配でなりません。メディアは、ばら撒きの公共事業、談合、裏金などばかりを報道し、マイナスのイメージが定着しつつある土木業界ですが、仕事そのものの重要性もきちんと説明し、紹介・報道していく必要もあると思います。誰もが自分の仕事に生きがいや誇りを持っていたいと願っているはずです。公共工事であればなおの事、万人に広く喜ばれ『地図に残る仕事』をするわけですから。

20090726 鹿野川ダム8丁度、その崩落現場の傍で鹿野川ダムが放流をしていました。物凄い勢いで水が滝のように流れ落ちていきます。この間までの水不足が遠い昔の話のようです。白濁した流れが、下流へと長く長く続いました。私達は昔から見慣れた光景ですが、子供たちは初めて見たようでかなり興奮していました。このダムも人間が作ったものです。崩落した山と巨大なダムという対象物の大きな現場に、『スクラップ&ビルド』とは呼ばせない土木工事の気概を見た思いがしました。これから、負のイメージを土木業界全体で自浄し、たくましく復活して欲しいと思います。




この3,4年前前から日本木材青壮年団体連合会の会議などの関係などで、遠方の県外に出張する事が多く、行く先々で家族への土産を買っていました。主に食べ物が多かったのですが、食べれば残りません。振り返ってみると何も残ってないのは寂しく、何か残るものを買おうと思うようになりました。しかしあまり大きな物はかさばるので、タイピンあたりがちょうどいい大きさです。以前にもこのブログで取り上げさせていただきましたが、北海道の『つぼみ工房』の田中輝顕さんの『雀のタイピン』はかなりお気に入りでよく活躍しいてくれています。兎の形の物は、前に岐阜の飛騨高山に行った時に購入しました。もうひとつあったのですが、知らないうちに外れてしまっていました・・・。葉っぱの形に見えるのが、最近購入したものですが、今年の5月に岡山の倉敷に行った時に見つけました。

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岡山県倉敷市内にある苑工房』さんというお店です。結構有名な商品でなないかと思うのですが、初めて見たときは軽い衝撃を受けました。自然の木や葉、実などをそのままの形と色合いを活かしてブローチやペンダント、イヤリング、タイタックなどに加工されています。こういう木で出来たものがあると、買う買わないに関わらずついつい目がいってしまいます。相当悩んで結局これを購入しました・・・結局買ってしまいます。

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スノキのタイタックです。葉や実が酸っぱいので「酢の木」といいます。何故こういうメジャーではない木を選んだかというと、数年前に愛媛大学の『樹木博士養成講座』に初参加した時に、山で教えていただき葉っぱを吸わせていただきました。確かに酸っぱかったです。小さな木なので用材としては無理ですが、その時の体験があったのでこれを選びました。ちなみに【スノキ】は、ツツジ科の落葉低木ですがm生花として食べる事も出来ます。葉を塩で揉んで漬物にして食べる事が多いそうですが、私はまだ食べた事がありません。相当酸っぱそう・・・!

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他にもたくさんの種類があります。見て下さい、この鮮やかさ!着色はしていません、特殊な技術で天然の色をそのまま固定化させているということです。【パドック】など、鮮やかな色を持つ木が、経年変化で退色していくのが悔しかった者としては、天然の色をとどめられるという事は驚異です!お話を聞くと、未来永劫色止めできるわけではなく、やはり時間の経過とともに緩やかに退色が進むようですが、かなり時間を遅く出来るようです。全く変化がないというのでは味気ないので、少しホッとしました。それにしても素晴らしい技術です!

確か2,000~3,500円ぐらいだったと思います。種類によって値段は違っていました。一度にたくさん買うのはコレクター道に反するので、少しずつ買い集めていこうと思います。小さく精密なものには何故だが強く惹かれます。そこに作り手の思いが凝縮されるからでしょう。木の仕事をする人は、小さな物でもいいから『木の物』を身に付けると、それだけで結構意識も変わると思います。とりあえず、だまされたと思って・・・。




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今日からは恒例の、『久万郷のサニーマート物産展』です。今回も弊社は『久万郷+(プラス』の立場で参加させていただきます。7月23~26日までの4日間です。久万郷の野菜や食品がメインですが、木工品も色を添えさせていただいています。そもそも生鮮食料品などを買いに来られるお客さんが中心ですから、高額な家具などを購入されるお客さんはいません。棚のスペースも限られているので、販売アイテムも必然的に絞られます。このイベントに参加させていただくようになって、いろんな事を学びました。

 

銘木』とか『無垢材』とう金看板を捨て、木の好きな人が集まるイベントで大層に木を売るとうアドバンテージも捨て、特別木が好きでも何でもない人に『木の物』を売るという難しさを身を持って感じました。これは想像以上に大変で、説明すらまともに聞いていただけません。そりゃあ勿論でしょう、そんなに木に興味があるわけでもないのに、変な講釈など聞きたくもありません。今までの営業トークも空回りです!改めて『物を売る事』の難しさに突き当たりました。

回を重ねるごとに少しずつ智恵がつき、こういうイベントでの商品のチョイスや展示や説明の仕方も分かってきました。もともと、久万郷には竹森君(竹森ガーデン)二宮吾郎ちゃん(二宮醸造田村隆悟君(田村ファーム&フォレスト)など食料品を製造しているメンバーがいるので、久万郷の方はきっちり展示や販売出来ていました。木工品が足を引っ張っていたようです。彼らと一緒に販売をする事で、きめ細かい食料品の販売方法を知る事が出来たのは大きな収穫です。生活必需品である食料と、愛玩品としての色合いが強い木工品を同じ物指しで比較しても仕方ありませんが、自分の作ったものを喜んで買っていただくという点では何も変わりません。確かに、廉価な野菜の中にあって木工品は1つ売れれば大きいですが、多くの方に木の魅力を広めるという意味では、その使命を果たせていません。毎回このイベント向けの商品を考えるようになりました。【夢のかけら】もそこが製品化の原点でもあります。     

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 ただし、あまりお金もかけたくなかったので、在庫にある物で工夫して【夏休みの子どもの木工セット】を作ってみました。セットの内容は、300Ⅹ36Ⅹ12バルサム〔米モミ〕の薄い板X50本ラミンという南洋材の直径24の丸棒X7本が入っているだけです。極限までコストを下げるため、磨き直しもしていません。バルサムはプレナーで削ったままだし、中にはフィンガージョイントで加工したものや小割れ、小傷も含まれています。ラミンの丸棒も梱包の封から出してそのままなので、多少日焼けしたり変色しているのもあります。長さも大体です。しかも、解説書も作品見本も作り方も封入していません。いいんです、商品名は【自分で考える木工セット】にしました。作り手に優しくないセットではありません、多感な子どもから自分で何かを考える『喜び』を奪ってはいけません!レールに乗らない奔放な木工セット、15セット作ってみました。お値段は破格の¥500です!果たして売れるでしょうか?

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更に昨日のお話の関連ですが、『Blue Marble』さんのレセプションにて、デザイナーの佐野勝久さんと二人でお気持ちだけですが藤山オーナーにお祝いを贈らせていただきました。【円い森】のコースター版です!当日まで藤山さんにも内緒でこっそり作っていました。デザイン、レイアウトなどは佐野さんに考えてもらい、辻総合電機の辻さんに慌しくレーザー印字していただき、植物性油を塗って仕上ました。私はてっきりお店のロゴマークは、デザイナーさんが描かれた物とばっかり思っていたら、藤山さんの作だとか、素晴らしい!植物のようにも何かの抽象画のようにも見えますが、実はこれ、分かる人には分かるデザインでした!見方によって色々なものにも見えててくる意味深なメッセージ性のある素敵なデザインです。『Blue Marble』のコーヒー並みの味わい深さです!何のデザインか興味のある方は是非お店で訊いて下さい!

20090721 円い森・ブルーマーブル21

 

 

 

 

 

 

 

20090723 ハリエンジュ画像が小さいので分かるにくいかもしれませんが、ロゴマークの下には店名の『Blue Marble』、上には『Locust tree』とレーザーで彫ってあります。『Locust tree』、ローカストツリーとは【針槐/ハリエンジュ】の英語名です。つまりこのコースターは【ハリエンジュ】の木で作られているのです。ハリエンジュの木は、もともと北米原産で明治の7年頃に日本に輸入されました。マメ科ハリエンジュ属に分類されますが、枝にはエンジュの木のような鋭い棘がついている事から、【針槐/ハリエンジュ】と呼ばれるようになりました。現地では、材の色から『ブラックローカスト』とも呼ばれています。

20090721 円い森・ブルーマーブル23この木は、非常に別名や呼称が多い木で、戸惑いを覚えますが、他にも【ニセアカシア】とも言います。これは後に輸入された『アカシア』と区別するためにつけられたようです。それにしても『ニセ』というのは、厳しい表現だと思います。植物とかの命名は、その特徴を明確にさせるために容赦ないのが多いです・・・。ちなみに歌謡曲などに謳われる『アカシア』のほとんどは、このニセアカシアのようです。また『アカシア』という言葉を日本語だと思っている方も多いのですが、実はこれはれっきとした学名で『Acacia』と表記します。

20090723 ハリエンジュ2高さは15~25mにもなる落葉樹で、初夏になると香りのいい白い花を咲かせます。蜂の蜜源とも言われています。 ただ樹形に凹凸があるので、整った形の材が取りにくいので建築材に利用される事はほとんどありません。ただし材そのものは、北米産材の中でも最高の耐久性を誇り、枕木などに使われています。

 

この木は別の場所で、われわれにとっても馴染みの深い木になっています。『街路樹』として。美しい花を咲かす事、病気にも強く、環境の劣悪なところでも強い生命力をみせることから、全国各地で街路樹や公園樹として盛んに植えられています。しかし、街路樹として大量の二酸化炭素を溜め込み頑張ってくれたハリエンジュの最後は、伐採後産業廃棄物として処理されます。汚い空気を浄化し、美しい花で目を楽しませてくれたハリエンジュに対して、あまりに過酷な仕打ちです。前術したように、取扱いにも苦労するほど重硬で、しかも建築材に不向きでありことから、伐採後は厄介者あつかいされてしまうのですが、それを何かに使えないものかと取り組んだのがこの【円い森】です。すべての生き物に、無駄はなく生まれてきた理由があります。街路樹として大貢献してくれたハリエンジュに、次はもっと華やかな舞台を与えてやりたい。そんな思いでハリエンジュにも【円い森】に加わってもらいました。今回そのハリエンジュに華やかな舞台がめぐって来ました!

20090721 円い森・ブルーマーブル14しかもこのハリエンジュの木言葉は『友情』『親睦』です。レセプションで話をすると、全然知らなかった人たちが誰かを介して知り合いだったり、実は友達だったり・・・。何者かが導くかのように多くの仲間が集い交流を深め合いました。まさにこの『友情』と『親睦』は、お店の標榜するものズバリではないでしょうか。もうこれしかないという思いで、ハリエンジュを贈らせていただきました。思っていた以上にオーナーにも喜んでいただきホッとしました。街路樹として我々を見下ろしていたハリエンジュは、今度は素敵なカフェのテーブルの上から仲間の姿を見上げるのでしょうか。第二の人生は、前面ガラス貼りの『陽のあたる場所』で活躍して下さい!




★今日のかけら・#028 【秋田杉/アキタスギ】 スギスギ属・針樹・日本産(秋田産)

秋田杉

 

 

 

 

 

 

 

20090721 ビールと今日は、カウンターとテーブルに使っていただいた【秋田杉】についてもう少し詳しく。オスモカラーで着色した後、蜜蝋ワックスを塗っているので撥水性もありますが、いずれこの店を訪れた方の手垢や冷たいビールの輪ジミ、小傷などもついていきます。しかしそれもこれも、秋田杉の肌触りの前に恐るに足らず!オーナーも同じ感覚をお持ちでたいへんありがたいです!

少し長くなりますが、秋田杉の歴史を紐解いてみたいと思います。まだ交通網が未整備で、大量物流が難しかった時代には、どの産地でもそうでしょうが、木材もその地域の材が主役でした。オラが山の木、里山の木、を使った家作りが当たり前のように行われていました。その後道路が整備され大量物流が可能になると、木は遠くまで運ばれていくようになりました。高齢な美林は、城造りには欠かせないものとして、豪将達が競い合って立派な材を集めるようになりました。 

秋田杉を取り巻く環境は、関が原の合戦以以前と以降でガラリと変わってくるようです。それまでは豊富な森林資源の有効な利用がなされず、ほとんど手付かずの状況だったようです。関が原の合戦の際に、徳川軍側に協力しなかったということで、常陸の佐竹義宣が秋田への国替えを命ぜられます。江戸との結びつきの強かった佐竹義宣は、地元の豊富な秋田杉の開発に着手する事になります。江戸城の改築などには、秋田杉が大量に使われたようです。またもともと財政が豊かではなかった秋田藩にとって、秋田杉は絶好の財源確保となったようです。目がビッシリ詰まって通直で香りの良い秋田杉は、全国各地で人気を集めます。また歴史的な江戸の大火では、復興の名のもと大量の秋田杉が江戸に送られ、秋田杉は隆盛を極めます。しかし、樹齢100年を越すような高齢木ですから、一度伐採してしまうと次の伐採までには100年を要するわけです。あまりの無計画な乱伐が重なり、藩の財政は疲弊します。

20090721 秋田杉秋田藩九代目藩主佐竹義和は「いま杉の苗を植えても茂木になるまでには少なくとも四、五十年後。急場の救いにはならぬ。しかし目先のことにのみとらわれていては、当藩百年の大計は成らぬ。余の代に役立たずともいつか”国の宝”となるときがくる。」と森林整備に本格的に取り組みます。秋田杉を取り巻く環境は厳しさを増す一方で、その都度林業に理解ある男達が現れ窮地を救ってはいくのですが、明治の廃藩置県を境に秋田杉は『藩有林』から『国有林』への道を歩むようになるのです。その後計画的な植樹も行われてはいきますが、伐採量は年々減少の一途を辿っていきます。更に太平洋戦争時には、軍需用材の需要が高まりから乱伐されます。その後明治の時代に、製材の工業化が進み秋田杉は最盛期を迎える事になります。しかしバブル崩壊以後の長引く不景気で、秋田杉などの高級材は敬遠されるようになり、また再び苦境に立たされています。

 

20090717 ブルーマーブル 時代時代に登場した森の救世主によって、秋田杉は守られ引き継がれていくのですが、果たして平成の世にも救世主は現れるのでしょうか。『物語性』や『神秘性』などの逸話が、木材の魅力であった時代から、全てを数値化され比較される今の時代に、『天然秋田杉』は生きにくいのかもしれません。しかし、この肌触りの滑らかさ、緻密な木目の上品さは数字では計れないものばかりです。その魅力は体感せねば分からないかもしれません。是非、『Blue Marble』さんのテーブルで体感していただきたいと思います。秋田杉】、この美しきものを決して過去形で語る存在にしてはいけないと思います。




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