森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。

20121021 1愛媛大学の『大学ショップえみか』で販売していただいている『森のしるし・愛媛大学バージョン』ですが、『陸前高田のしるし』ともに順調に販売していただいております。決して一度に大量に売れるわけではありませんが、学生達の陸前高田でのボランティア活動を知った方々からもありがたい支援が続いており、ありがたい限りです。本日もご注文をいただき、袋詰め作業に精を出しています。左端が『陸前高田のしるし』、その右隣がマスコットキャラクターの『えみか』、右端が『愛媛大学の学章』です。

 

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東日本大震災の大津波にも耐えた岩手県陸前高田の「奇跡の1本松」をモニュメントとして残すため、伐採し、特殊な防腐処理保存をする事になったのは先月の事。死にかけた松を人工的に残すことに賛否はあったようですが、1本の松の生命力は多くの人に勇気を与えたことと思います。一方その陰で、倒壊した7万本もの松についてはあまり省みられる事が少ないように思います。こういう小さなモノであればまだまだ利用価値はあります。今日もせっせとスタンプを押し続けるのです。

 

20121021 3それら商品を納品に行ったのですが、その時にキャンパスを車で通過する時いつも気になっていたあるモノをしっかり撮影してきました。運転しているとさすがに写真は撮れないのでいつも悔しい思いで臍(ほぞ)を噛んでいたのが、こちらの『ガードレールを食べるプラタナス』。樹勢の盛んなプラタナスを街路樹として植えた時によく見られる光景で、愛大前でも数本のプラタナスがガードレールを食べています。その噛み付き具合にはそれぞれ個性がありますが、こちらはかなり空腹だったと見えて豪快な食いっぷり!

 

20121021 4このまま成長が進むと、すっかりガードレールを体内に取り込んケロッとしているものもいます。プラタナスは、痩せた土地や湿地でもよく成長し、公害にも強く刈り込みにも耐える(この季節、よく丸裸に剪定された痛々しいプラタナスを見かけますが)事から、銀杏と並ぶ街路樹の代表格です。愛媛大学の正門通りに植えられているのは、その花言葉が『天才』である事にも関係があったりするのでしょうか?かつて古代ギリシャで哲学者たちが、枝振りのいいこの木の木陰で哲学を説いた事がその由来だとか。




20121020 1ひと口に『(はざい』といっても、その形状はさまざまです。端材というのは、家具や造作材を木取りした残りの材料の事で、決して『廃材』ではありません。取材を受けたりすると、よく端材と廃材を混同して使われることがあります。「廃材を使われるんですよね~」・・・『廃材』とは、辞書によると「使えないもの、役に立たないもの、不用なものとして廃棄された材木、材料の事とあります。「役に立たずに破棄されたモノからものづくりをさえるなんて凄いですね~」・・・・複雑な心境ですが、そういう現実。

 

20121020 2一度何かに作られたのだけれど、寿命がきたり不用になったり使い物にならなくなって棄てられた廃材を再利用している・・・という方が物語が膨らむのかもしれませんが、実際はそうではありません。廃棄され処分場に棄てられるものを拾ってきたものづくりをしていると思われるのは心外です・・・まあ、そう思われても仕方ありませんが。あくまで、長さや幅をカットした時に発生した『端材』が主原料なのですが、廃材も端材も同じようにしか見えない方にはいくら説明しても真意は伝わりません。

 

20121020 3もともと万人に分かってもらおうと思ってなどいませんので、そんなわずかな違いどうでもいいじゃないかと思われる方にはどうでもいい話です。ただ、人が何にこだわり執着するかという根源が分かっていないと、その人の作るモノの意図が届かない事もあるのではないでしょうか。ところで話は冒頭に戻って、その端材の形状ですが、一見バラバラで統一感の無い端材も、『かけら流』に幾つかのカテゴリーに分類できます。それほど大きな商品は作りませんので、まず長さは無視して基準は厚み。

 

20121020 460㎜ぐらい厚みのあるモノは、『森のたまご』と『森のしるし』(意外でしょうが、まず棒状に削ってから薄くカットしていくので)、『円き箱』に。もう少し薄くて50㎜前後は『森のこだま』。45㎜前後は『森のかけら』に加工します。45㎜厚みでも幅の幅の広いものは『丸膳、角膳』。厚み30㎜ぐらいになると、再割して『円い森』。もっと薄いものは『木言葉書』という具合に、微妙な厚みの違いでそれぞれに『出口』が用意されています。商品アイテムが増えた分、一層効率的に端材が使えるようになりました。短くて細い棒状のモノは『ザイクボード』という出口が出来ましたので、骨の髄までしっかりとしゃぶり尽くして味わう事が出来るようになりました。それにしても数年前までは、ゴミ同然だったものがえらい変わりようです。そこに使えない端材はない。使えないアイデアがあるだけだ!

 




20121019 1森のかけら36・100】をはじめとする『森のかけら関連商品』や『ちょこっと端材』などのおよそ9割は、インターネットからのご注文になっていますが、地元松山の方はわざわざご来店いただく方も沢山いらっしゃいます。市内のかなり北部に会社が位置しているので、車の無い方にとってはバスだけが唯一の公共機関となります。最寄のバス停からは徒歩3、4分の距離なのですが、いつも車で移動している身には、バスの待ち時間ももどかしいのでは気兼ねしてしまいます。

 

20121019 2足元の不自由なお年寄りの方がわざわざタクシーなどでご来店いただく事もあって、なんとも恐縮で心苦しくなります。ネットで見ても、木の質感や肌触りなどは実際に見てみたいもの、その気持ちはよく分かります。新居浜市や西条市、あるいは宇和島市などにお住まいの方から、現品が見えるところは近くにありませんか?とお問い合わせもいただくのですが、残念ながら今のところ、松山市外では常時在庫を置いて商品を販売していただいているお店はありません。

 

20121019 3市内にしても、ロープウェイ街の『えひめイズム』さんが閉店してからは、常設で本格的に商品を展示販売していただいているショップはただひとつ。以前にも何度かご紹介させていただきましたが、市内三番町4丁目4-1にある愛媛県森林組合連合会の1階にある『えひめの森林物語』さんです。こちらは、愛媛県が県産材の需要拡大に繋げようという趣旨で開いたアンテナショップで、木を使ったいろいろな商品が多数展示販売されています。一方通行が多い場所なので、初めて行かれる方は少し戸惑われるかもしれませんのでご注意。

 

20121019 4えひめの森林物語』さんのショップ店内では、【森のかけら36・100】、『森の5かけら』、『木言葉書』、『円き箱』などを展示・販売していただいていますが、近日『森のしるし』、『森のこだま』、『森のたまご』などの新商品もお持ちする予定です。市内中心部にありますので、弊社まではあまりに遠いという方は是非こちらにどうぞ。弊社の商品以外にも、『木遊舎』さんや『ユリイカ』さんなど県内で木のもの作りをされている皆さんの商品を一堂に見れます。

 

20121019 5こちらでは『森の5かけら』や『木言葉書』がよく売れているようですが、私の怠慢で『森の5かけら』の個別の紹介がすっかり遅れています。それでは折角興味を持ってご購入いただいた方に対する背信行為・・・。襟を正してこまめに商品説明を更新していきます(つもりです)。『木言葉書』については、もっとシンプルに『御礼』に使えうバージョンを作って欲しいとの要望も沢山お受けするのですが、木言葉と材質とシュチエーションの組み合わせがなかなか・・・いえ、もっと頭をひねってみます!

 




20121018 1この2日間、森についての厳しい現実に触れましたが、一方で森は潤沢なめぐみも与えてくれます。建築・家具資材としての『』としてもさることながら、我々の口に入る『食料』としても、人類とは永いお付き合いです。ちょうど実りの秋を迎えようとする森からは、そのめぐみの断片があちこちに。相続した山は杉・桧林ですが、そこに行くまでの山々にはクヌギナラ、クリなどの広葉樹が自生していて、道路のあちこちにタイヤで踏みつぶされた残骸が・・・。うう、モッタイナイ・・・。

 

20121018 2初めて自分の山に行ったのですが、そこに辿りつく道中もかなり狭小かつ複雑で、あまりの細道ゆえGPSも機能を果たせず。私、相当の方向音痴でして、何度来た道でも迷ってしまうぐらいなのに、初めて山道などとなるとさっぱり。いくら地図とGPSがあるとはいえ、独りで来たのは無謀だったかと思ってウロウロしていると、たまたま通りかかった親切な地元の方が近くまで案内していただきました。人の優しさが心に染みます。目指す山はこの流れの先。ここを越えて行かねばなりません!

 

20121018 3こういう障壁があると、小さな密林探検隊の気分。この辺りは水も綺麗で、近くではアマゴの養殖もされていました。折角ですので、お昼は『川のめぐみ』アマゴの塩焼きをいただきました。思わず日本酒を頼みたくなる味わい。よく『森が海を作る』といいますが、。その源流たる川の源流に近づくと、森と川が混然一体になっていて、川の流れは母なる森の中に溶け込んでいる事が実感できます。そういう意味では、このアマゴも『森のめぐみ』です。キッチリと頭から丸かぶりで、程好い苦味とめぐみをしかと受け止めました。

20121018 4麓では『クヌギ』の原木に種菌を植え付けた椎茸のホダ木が、整然と互い違いに並べて立て掛けられています。かつては原木椎茸が主流でしたが、最近では「菌床栽培」も多くなってきました。私にとっては子供の頃から見慣れた光景ですが、原木椎茸のの場合、最低でも2年ぐらい経たないと収穫は出来ません。また、あまり大きな原木だとホダ木としては不適だそうで森との契約履行も楽ではありません。紅葉にはまだ少し早いものの、頬を打つ風に確実に山頂からその気配が降りてきているのを感じました。




20121017 1昨日に続いて山に行った時の話ですが、父と生前中に山に入っていればどこからどこまでをいつ頃伐採したとか、この谷や岩が境界だとか教えてもらえたのかもしれませんが、晩年は体調を崩し山歩きなどとても出来ない状況でした。今でも悔やまれるのは、父親が元気なうちに山の事をもっと訊いておくんだったという事。地図と携帯のGPSを頼りに山に入りましたが、山中だとGPSもかなり誤差があるので地図に記された目印の岩やら谷を頼りに山中を行ったり来たり。

 

20121017 2山林地図は、一応境界はあるものの町の地図のように明確な道路や標識があるわけではなく、木に表札がついているわけでもありません。しっかり手入れのしてある山なら別ですが、放置された日本の山の姿はこのようなものです。狭くて壊れかけながらも作業道のようなものの残骸が残っているだけましな方です。その道すらなければ、どこがどこだか見当すらつきません。かなり心寂しかったのは、道に迷う不安からだけではありません。山の入口付近にこんな標識が・・・イノシイ、ニホンザル、出るのか!?

 

20121017 3更にこの前日、DVDで『ザ・ダイバー』という映画を観ていたのも不安を煽る一因でした。この映画は、アメリカ海軍で初めてアフリカ系黒人として「マスターダイバー」の称号を得た実在の潜水士(カール・ブラシア)の激動の人生を描いた物語です。舞台は、第二次世界大戦終結後の1940年代末期の海軍で、登場する潜水服も前時代的な重装備のヘルメット型なのですが、その装備だけでも100㎏近くもあり、空気を送るホースも心もとなく、潜水場面では息苦しくなるような閉塞感が・・・!

 

20121017 4激しい黒人差別の中で、鬼教官(ロバート・デ・ニーロ)の厳しいしごきにも耐え、マスターダイバーとなるのはキューバ〔アカデミー助演賞〕グッディング・ジュニア、大好きな映画です。水泳は苦手でろくに潜水も出来ませんが、海洋モノも大好きでよく観るのですが、漆黒の海の底でただひたすらに孤独に耐える主人公の姿が脳裏に刻み付けられていて、海の底と山の中と舞台こそ違えど、広い場所にたった独りという孤独感は相通じるものがあり、一層不安を掻き立てたのかもしれません。

 

20121017 5こういう時、最後に役に立つのは人間の本能。嗅覚や聴覚。遠くで聞こえる小川のせせらぎ、足元の落ち葉の揺れる音、木々を渡る風音、天飛ぶ鳥の鳴き声、人が入らなくなった森から聞こえてくるのは自然界の鼓動ばかり。老木が枯れ倒れ、草木の茂った作業道、放置された森も、人間の物差しを越えた数百年、数千年という時間を経れば、原始の森の姿を取り戻していくのでしょうか。ここにもかつて人の手に頼らない太古の森があり、鳥や小動物や闊歩していたのでしょうか。およそ文明の音の聞こえない山中に独りで永くいると不意に寂寥(せきりょう)感に襲われ、そんな事を考えたりします。このシチェーションが原始の本能を覚醒させるのでしょうか。いろいろな属性が剥がれ落ち、モノの考え方がシンプルになっていく気がします。風が止むと森は再び静寂を取り戻し、静謐に包まれていくのです。




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