森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。

20120726 1暑い夏を乗り切るスタミナ食として根強い人気を誇る「うなぎ」ですが、日本国内で取れる稚魚のシラスウナギの数が激減しているうえに、世界的にも不漁でうなぎの値段が高騰しているようです。個人的には、うなぎが好きで好きでたまらないというわけではありませんが、人並みに土用丑の日のいただく程度。昨年よりも2、3割り以上も高くなるとかで「うなぎが食べれなくなる~!」と大騒ぎをしているようですが、何か皆で一斉に行動しなければ不安になる日本人の悪い癖。躍らせてこその商売と言えるのかもしれませんが・・・。

 

20120726 2その「うなぎ」に関する報道も多く、先日何気にテレビを観ていたら、日本の某商社がアフリカ産のウナギを輸入するという取り組みを紹介していました。日頃我々が口にするうなぎがどういう種類のものかすら知らない無知な私ですが、とても興味深く観れたのは、彼らの行き先がアフリカのマダガスカルであるという事。マダガスカルの国についても詳しい知識は持ち合わせていないのですが、かの『バオバブ』の木が生育する場所だという認識。そうか、そんな所からウナギがやってくるのか・・・

 

20120726 3番組では、片道数日もかけて日本からマダガスカルのウナギ養殖工場までウナギを追いかける商社マンの姿に同行していました。そこまで行ってみなければ、果たしてそれがいかなるモノか分からないという世界。まだ見ぬ物との出会いは、木材業界とて同じようなものかもしれませんが、決定的な違いはそれが「生もの」であるという事。輸送中に死んでしまう事も多いとか。それを考えると、木がいかに「生きている素材」とはいえ、ホンモノの生ものに比べると取り扱いの難しさは雲泥の差。

 

20120726 4ウナギの養殖工場で出会ったのは「オオウナギ」!それでは蒲焼にならないと、更に蒲焼に適したウナギを探して遂には念願のウナギに出会うのですが、味は日本のそれと大差ないという事。私は味よりも気になったのが、その種類。例えば『ウナギ目ウナギ科ウナギ属』といったように細かく分類されると、何だか「かけらとの共通項」が見えてきて興味津々。釣るのも触るのも苦手な魚ですが、そんなところからでも好奇心の芽は育ちます。食い気よりもシズル感よりも、うなぎあれこれ・かけら感・・・。




20120725 1「日々ご注文があって毎日のように売れている!」というわけではないのですが、ちょっと油断していると『欠品』が発生してしまうのが【のかけら】の怖いところ・・・いや、奥深さ?それぞれのかけらを膨大に在庫してるわけではないので、「人気の高い売れ筋かけら」は、みるみるうちにストック・バスケットの底が見えてきます。だったらあらかじめ大量に加工しておけばと思われるでしょうが、端材ベースのためそういうわけにもいかず。その都度慌てて加工する事になります。本日もかけらの整理作業。

 

20120725 2画像はまだオイルを塗っていない状態ですので、色合いも地味でメリハリがありません。どれがどの木だか識別も難しいのがこの段階。この後、検品してオイルを塗るのですが、そうなると濡れ色になってそれぞれの木の個性が際立ってきます。左の画像の手前の黄色っぽく見えるのはPNG産の『マラスmalas』ですが、この木も塗装すると鮮やかな黄褐色に変身します。これで6種類の木材が混じっていますが、一度に加工するのはせいぜい10~15種類。それ以上になると識別が難しくなります。

 

20120725 3よく「240種類もあって、どれがどの木か分からなくなりませんか?」と尋ねられますが、塗装もしていない生地のかけらをいちどきに240個並べて、神経衰弱のように樹種を識別するわけではありません。なるべく色合いや特徴の違う木を10~15種選んで加工しています。今回は、ウエスタン・レッドシーダー(米杉)、ナナカマド、マラスブラック・ウォールナットイエローバーチ、シポの6種です。この中で1番人気はブラック・ウォールナット。これで何度目の加工でしょうか、よく見かける「かけら」です。

 

20120725 4そのブラック・ウォールナットと米杉以外は決してメジャーな木ではありません。特に流通量の少ないような木の場合は、それぞれ専門工場で45X 45㎜の角材を挽いてもらって、倉庫で乾燥させながら保管しています。かけらストックが減ると、倉庫の棚から取り出され出番を迎えるわけですが、この「マラス」も「シポ」も久しぶりに日の目を見ました。そういうかけらにもっと光をあてる目的で『5かけら』シリーズも考えましたが、そこにも絡みにくいがゆえにマイナーな木なのかも。後日、塗装後の姿をご披露します。




20120724 1昭和の名横綱・照国物語、いよいよ佳境・・・そんな照国が、父の急死や兄の出征など家族の悲運を乗り越えるため、あえて相撲取りの道に進んだ。自分が堪え忍び、母と弟たちを窮地から救おうとしたのだ。息子を不憫に思う母は猛反対したが、照国は泣いて故郷を後にした。だが優しすぎる照国は駆け出しの頃、相撲が弱く、「力士としてやっていくのは無理だ」と親方に破門された。両国橋で途方に暮れて泣いていた照国に手を差し伸べ、家族のように温かく育ててくれたのが、同郷のった

 

20120724 2故郷の母は照国を祈り、わが身に井戸水を浴びる過酷な「願掛け」を行った。「万蔵を救ってけれ。おらの寿命を縮めてもいいから」と寒中でも体に水をかぶった。照国が大病を患って危篤になった時も、母は一心不乱に看病し息子を救った。だが苦労しすぎた母は若くして逝った。照国は「あばぁ。あばぁ」と、亡き母を叫びながら泣いて相撲を取った。病気やケガに苦しみながらも、母を支えに必死に踏ん張り、連続優勝を果たした。照国は故郷の母や家族を支えに、必死に人生を駆け抜けたのだった。照国は語っている。「故郷にいた時が一番の幸せだった」と。貧しくても家族睦まじく、百姓しながら暮らした少年の日が忘れられなかったという…秋田魁新報「秋田が生んだ横綱照国物語」より抜粋。今まで知らなかった横綱照国の物語、読んでいて思わず目頭が熱くなりました。

 

 

20120723 3作者のは、双葉山の好敵手として、照国にもっと光を当てたいものだと結ばれていました。改めて『横綱照国』の人となりを知って身の引き締まる思いです。作者・簗瀬さんは、敵手として一時代を築いた照国にももっと光が当たってしかるべきだと仰っていますが、またいつの日かこの『照国』の四股名を受け継ぐような関取が現れれば、その契機になるのかもしれないと楽しみにしています。出来れば秋田県出身の強い力士とかが受け継いでくれれば理想ですが。

 

20120724 4

その強さを表すエピソードをひとつ、昭和15年照国大関の頃、本場所を観戦した作家・太宰治がその強さを評し「上品の人柄のようであります。本当に怒って取り組んだら、誰にも負けないだろうと思いました。」と述べているほど。元来争いを好まないお人柄だったようで、後年日本相撲協会の理事長に推挙され、選挙で1票差まで詰めるものの自ら辞退されるなど、温厚で誠実な人柄は誰からも愛されたということです。作者・簗瀬均さんが腕をふるわれた横綱・照国物語は、多くの方に感動を与えました。

 

20120724 5その資料や写真も数多く送っていただき、拝見させていただきましたが、地元・湯沢の生んだひとりの英雄譚にとどまらず、昭和の大相撲や地元の暮らしや風俗などの歴史書、記録としても大変素晴らしいものだと感銘を受けました。残念ながら今のところ紙媒体として出版の予定は無いという事です。秋田にとどまらず全国の多くの大相撲ファンにも是非読んでいただきたい物語です。横綱照国物語を読み返すにつれ、不遜にもその名を戴いた我が身が恥ずかしくなるばかり。国を照らすような立派な人になれと名付けてくれた親の期待はあまりに高すぎるものの、灯照隅 万灯照国神で横綱の名を汚さぬように精進せねばと思うばかりです。せめてけら王国』を照らす王にはなろうと決意を新たにした次第!両親亡き今、自分の名前のルーツを探す旅は永遠に続いていくのかもしれません。簗瀬さん、嬉しいご縁をありがとうございます。 何度も繰り返し読ませていただきます。

 




20120723 1私の名前がごくありふれた名前であれば、ここまで自分の名前のルーツに固執する事も無かったでしょう。今までの人生で「照国」の名を持つ方と直接お会いした事はありませんが、面識はないものの木材業界で「照国」の名を持つ社長が全国に少なくとも2、3人はいらっしゃるようです。いつの日にかお会いしたいものですが・・・。では、簗瀬均さんが1年間にわたり、秋田魁新報に掲載された『秋田の生んだ横綱 照國物語』を、作者の簗瀬さんのご了解をいただいたうえでご紹介。

 

20120723 2・・・大相撲が年2場所の時代、史上最年少の23歳4カ月で横綱になったのが、秋田県湯沢市秋ノ宮出身の照国万蔵だ。入幕後、わずか3年。7場所で横綱になった。しかも69連勝を達成した無敵の横綱双葉山と5回対戦し、3勝2敗。全盛期の双葉山が、同じ相手に3敗したのは照国だけだ。地方巡業でも双葉山は照国に敗れた。照国は全盛期の双葉山に一歩も引かず、堂々と打ち負かした。生まれも育ちも秋田の若武者が、天下一の双葉山を土俵中央に転がしたのだ。照国の活躍に地元は大いに湧いた。

 
20120723 3照国の体は柔軟で、テンポよく動き、取り口もリズミカル。餅のような色白の肌が、相撲を取るたびに桜色に染まった。その様子は「桜色の音楽」と形容された。観衆は照国に酔いしれた。まさに「絵になる相撲」だ。人気の点では双葉山をしのぐほどで、誰もが愛する時代のヒーローだった。「相撲の天才」とも呼ばれた。土俵に腹がつくほどの低い立ち合いから相手を攻めた。低く攻められた相手ははたくが、照国は前に落ちない。子どもの頃、蚕の餌になる桑の葉っぱを朝夕、山に採りに行った苦労が強靱な足腰を育んだのだ。

 

21020723 4前さばきがうまく、差せば重心の低い吊りや寄りをした。自分よりはるかに長身の相手が高々と宙に浮いた。横綱在位、満10年。幕内通算成績271勝91敗。関取勝率74・2%は歴代7位。三役になってからの勝率は双葉山の86・7%に次ぐ81・3%で歴代2位。強い横綱だ。だが照国は、もともと勝負師ではなかった。争いを好まず、内気で温厚な人柄。力士になるのを嫌い、時間があれば勉強したり、読書するおとなしい少年だった。明日第三話に続く・・・。




20120722 1大相撲名古屋場所で、大関・日馬富士が横綱・白鵬との29年ぶりに実現した千秋楽での全勝同士の一番を寄り切りで制して、3回目にして初の全勝優勝を決めました。かつて「安馬」の四股名で土俵に上がっていましたが、2008年大関に昇進した際に、50数年ぶりに「照国」の四股名復活かと騒がれた事もありましたが、結局「日馬富士(はるまふじ」になりました。その伝統ある四股名「照国」こそが私の名前のルーツであるという話は以前ブログで語らせていただいたとおりです。

 

20120722 2数年前に「玉春日と照国、夢の競演」というタイトルでブログを書かいた事があります。郷土・西予市野村町の英雄・玉春日関(現方男波親方)が来社された時の事に触れた内容だったのですが、私の名前が昔の横綱・照国にちなんだものであることから、「玉春日と照国、夢の競演」と冠させていただきました。その後も何回か名前のルーツについては触れてきましたが、先日HPのサイトを通じて、大変貴重でありがたい情報をいただきました。

 

3819その長文のコメントの主は当初、「照国ファン」とだけ名乗られていて、さぞかしご熱心な昔の大相撲ファン、照国ファンの方だと思っていたのですが、後に秋田県湯沢市で小学校の教員をされながら、地元にちなんだ歴史や人物について新聞などに寄稿されていらっしゃる簗瀬 均(やなせ ひとし)さんというお方と分かりました。幾つか本も出版されていて、地元秋田県湯沢に並々ならぬ愛情をお持ちのご様子。秋田魁新報の日曜版に1年間にわたり、『秋田の生んだ横綱 照國物語』というタイトルで、湯沢市秋ノ宮で生まれた照國の伝記を執筆されていました。簗瀬さんの許可もいただきましたので、 折角の貴重なエピソードをこの場を借りてご紹介させていただきます。お若い方には馴染みの無い名前だと思いますが、横綱・照国とは1919年秋田県生まれの、「桃色の音楽」とも称された第38代横綱です。

 

20120722 41977年に58歳の若さで急性心筋梗塞によって惜しまれつつお亡くなりになられました。当然のことながら、私は現役時代の横綱の姿を生で見たことはありませんし、その姿も後年になって資料や古い画像で拝見したのみ。自分の名前のルーツの方への興味はありましたので、文献は読み漁りました。現在、長男の方が東京・両国でちゃんこ鍋屋さんを営まれています。では、そういう基礎知識を踏まえた上でお寄せいただいたコメントをご覧下さい。口上が長くなりましたが、本文は明日ご紹介。




オンラインショップ お問い合わせ

Archive

Calendar

2012年7月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
Scroll Up