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久万高原町へ向かう三坂峠は雪で凍結注意報が出ていたものの、どうしても久万の製材所に材料を取りに行かねばならない事情があったので、意を決してノーマルタイヤで踏破することに!そもそも私はトラックの運転が苦手なので、雪はおろか雨でもあまり走りたくはないのですが、背に腹は代えられません。幸いにもお天道様が顔を出したので、少しでも雪が溶ける昼頃まで待って出発。冬の凍結注意報の出ている坂を、ノーマルタイヤのトラックで走るなんて無謀だと思われるかもしれませんが、
交通量の国道なので、早い段階から除雪作業も行われますし、凍結防止剤なども撒かれるため、余程の大雪でなければ昼頃にはほとんど普通に走れるようになります。ただし道路の端や、ちょっと脇道に入ると除雪が出来ていないのでツルツル。とにかく脇に逸れないように注意しながら坂を登ります。2012年に開通したトンネルのお陰で、冬季の積雪や凍結による大きな事故は随分少なくなったようです。昔は、冬季に1、2台は丸太を積んだトレーラーが道路を塞いだものですが。
松山市内は雪のかけらも見当たらないぐらいの天候でも、三坂峠を登って長いトンネルを抜けると、そこは状況が一変。本当に周囲は白銀の世界!およそ8キロの峠で一気に720m登りますので、冬場は本当に車の窓から見える風景が一変します。運転が下手の事もあって、ノロノロ運転でどうにか製材所に無事到着。製材所の土場には大型車が出入りするため、出入り口周辺はすっかり雪も溶けてしまっていますが、それでも端の方を通るとたちまちハンドルが取られてしまいます。
雪国の方からすれば、たかだかこれぐらいの雪で大袈裟なと呆れられるでしょうが、慣れぬ環境というのは先の見えない恐怖のようなものがあります。何事も「程が分からない(加減が分からない)」というのは厄介なものです。そういう意味では、日本をはじめ北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、アジアなど世界中の木を少なからず自分の手でも触ったり、加工してきたということで、それなりにいろいろな木の「程が(少しだけ)分かった」ということは大きな財産です。
弊社では端材から生まれた商品が多数ありますが、その中でももっとも端材を使っているのが『モザイクボード』です。内外の広葉樹限定で日々せっせとその製作に取り組んでいます。それは売れ続けているから作っているというよりも、端材が発生するからそれを整理する意味もある(なにしろほおっておくと端材が山積みになっていって、結局廃棄なんてことになるので)のと、実際に製作してもらう工場の生産ラインの都合もあるので、ある程度まとめて依頼する必要もあるからです。
モザイクボードの素材を針葉樹に限定しているのは、広葉樹の質感や強度、表情の妙味などの理由もありますが、最大の理由は針葉樹に比べて圧倒的に出番の少ない、『日の当たらないマイナーな広葉樹にスポットライトを与える』ためというもの。これは、人気と実力のあるビッグワン(NO.1)が大嫌いという、私のひねくれ根性に拠るものです。二男だからという事を言い訳にすると全国の二男の方に怒られそうですが、なぜか物心ついた頃から、ひとと同じは嫌だという変わり者。
皆がジャイアンツの黄色い帽子を被る中、ひとり阪神タイガースの帽子を被っていましたし、少年ジャンプよりはマガジンかチャンピオンなどと、何につけても二番手のモノを応援したくなるひがんだ性格だったのです。まあそんな性格が功を奏したのかどうかは分かりませんが、広葉樹に限定したことで、結果的にモザイクボードは複雑で多様な表情が生まれ、かつ適当な表面の硬度も得ることができました。そんなモザイクボードを触っていると、たまに扱うヒノキの積層ボードが逆に新鮮!
針葉樹はどれもこれも軟らかいというわけではなくて、例えば『土佐栂(トサツガ)』に代表される、いわゆる『地栂(国産の栂)』などは乾燥すると、表面は硬く締まり、とりわけ冬目の硬さは目を見張るものがあります。また、カラマツをはじめとするマツ系も結構硬く、逆に広葉樹にも『カランタス』や『セドロ』など軟らかいものもあるので、一概には言えないのですが、相対的には針葉樹の方が軟らかいです。中でもヒノキの軟らかさは突出していて、本当に痛々しいのです。
サンダーなどで仕上げした後、倉庫内で動かしていて、角でもコツンと当てようものなら大きな凹みができて、まさに身も心も凹んでしまうのです。そんなヒノキの積層ボードを大量に使っていただく機会があって、久しぶりに数十枚も動かしたのですが、やっぱりいたわしい~!だからといってモザイクボードをぞんざいに扱っているというわけでは勿論ないのですが・・・。日々、いろいろな国の様々な個性を肌で感じながら仕事が出来るってやっぱり楽しいことなのです~。
それから月日が流れ、間を持て余す(!)ご祈祷の際に何気に見上げた扁額に懐かしい言葉と再会。記憶の言葉と重ねてみると、どうしても「非ず」という言葉に該当する言葉が見当たらず疑問が残りつつも、ご祈祷の後に行われる宴で忘れ去られることになっていました。それがある年、その後に仕事が入っていてお酒を飲まない時があって、いつもの疑問を忘れないまま帰宅して調べて分かったのですが、あれは意図的に漱石が主人公にそのように読ませた解釈だと分かったのです。
つまり友人の妻に手を出すという人の道にも劣る行為を自ら正当化させるために、誠の道というものは天にあるのかもしれないが、それはあくまでも綺麗ごとの理想論で、人を好きになるというのは理屈ではないのだ、ということから「誠の道は天の道なり、人に道に非ず」と読ませたのだという事。好いた惚れたの道は天の神様の理屈では理解できない、俗世間の人の道でござい、とでも言いたかったのでしょう。ただの詭弁であり、あまりにも身勝手な自己弁護でしかなかったのです。
それが分かってからDVDでこの映画を観直すと、まあ相当に自己陶酔した軟弱で刹那的な主人公の不倫正当化映画であった事に気づかされました。若い頃は、ところどころに意味ありげにインサートされる謎のカットの映像イメージや、松田優作、小林薫、中村嘉葎雄、風間杜夫、草笛光子、笠智衆などの芸達者な役者の演技合戦、そして奇跡的な美しさを放っていた藤谷美和子の美貌などに目を奪われて、よく分かっていませんでした。なにより不倫がどれほど獣の道であるかなども理解できず・・・
気ままな生活を送る主人公・代助たちの事を、『高等遊民』と呼んでいたことから、そんな生き方に憧れを抱くほどに子供でもありました。それ以来、誠の道というものは天の道であって人の道ではないという言葉にどう正当性を持たせて、神社に飾られるほどに奥深いものであるのか、理屈だてるのに長らく時間を費やしました。そので自分なりに考えた結論は、人殺しや諍いの絶えない人の世に誠は無く、誠の道は天にしかない。ゆえに天を目指せと理解せていたので、まんざら間違いでもなかったかと。
先日、地元で新年恒例のご祈祷という行事がありました。町内にある阿沼美神社に集まって、地区ごとに分かれてお祓いを受けるもので、毎年1月の第三に日曜日に開催される神事なのですが、これをしないと新しい年を迎えた気分がしないほどに、私もすっかりここ平田町の人間になりました。この地に住むようになってからもう30年近くになりますので、この神事もすっかり新年の風物詩として体に染みついてきました。このご祈祷の話もブログを始めてから毎年書いている気がしますが。
毎年このご祈祷の際にここに座ると、目に入るのが阿沼美神社の名前が縦書きに彫られた扁額の上に、横書きで『誠天道誠思人道』の言葉が書かれた扁額。が飾ってあり、いつもその言葉を見ては思い出す映画があります。『中庸』という古典に書かれた言葉で、原文は「誠者天之道也。誠之者、人之道也」。「誠は天の道なり。之れを誠にするは人の道なり」と訳されています。この言葉を見ると必ず思い出す映画があります。森田芳光監督、夏目漱石原作、松田優作主演の『それから』。
その映画の中で、松田優作演じる主人公・ 長井代助が、兄に金の無心に訪れた際に壁に飾ってあったこの言葉を呟くシーンがあります。30歳にもなりながら職にもつかず自由気ままな生活を送る代助が、その言葉を目で追いぼそっとつぶやきます。「誠の道は天の道なり、人に道に非ず」。漱石の原作にもあるのですが、これでは本来の意味とは真逆の解釈となります。本来の意味は、誠とは嘘偽りのない真心、つまり天の道である。その天の道を素直に受け入れて誠にするのが人の道だというもの。
それを、敢えて逆説的に主人公に語らせたのは、この物語が友人の妻に惚れて略奪するという「格調高い不倫小説」だからです。初めてこの映画を観たのは大学生の頃で、この『中庸』の言葉の意味も、後に文化とまで言われる不倫の「高尚さ」すら理解できませんでした。この言葉の意味を気にするようになったのは、実はご祈祷に参加するようになってから。当時言葉の意味はよく理解できずとも、優作の口から発せられる言葉が耳に心地よく、意味深な言葉だけは記憶していました。
さて、砥部焼の新しいカタチにも積極的に挑戦されている森陶房さんの新居に納めさせていただいたのは、地元・愛媛の山から出材された『オニグルミ』を使ったダイニングテーブル。久万高原町産のオニグルミは、板に製材したあと2年ほど天然乾燥させたもので、クルミの美しい艶と光沢を保っています。もともとクルミは中軽軟な部類に入る木で、乾燥もしやすいのですが、人工乾燥機に入れるとどうしても艶っ気が無くなってしまい、パサパサした感じに仕上がってしまいます。
それでもオイルを塗れば、オイルが浸透して濡れ色になって赤身に瑞々しさは戻るものの、やはり天然乾燥の艶ややかさを知ってしまうと、人工乾燥させてその艶を失うのはモッタイナイ。それで、じっくり乾燥させてみたのですが、なにぶん時間がかかるのと、乾燥工程で割れやらねじれ、暴れなども発生し、どれぐらいの量がどれぐらいの期間で準備できるのかが読みにくく、まだまだ試行錯誤の途中です。もっともっと素材を集めておけばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、
愛媛の山から出材される広葉樹って案外少ないのと、出てきたものがすべて家具材や建築に使えるというわけではありません。堅さや素性の問題でそもそも家具などに向かない、向きにくいという木もあります(例えばクヌギとか)。また、使える木でもサイズや搬出コスト、製剤コスト等の問題で断念しなければならない事も多々あります。趣味でしているわけではないので、道楽のように目的もなく好きなだけ集めてみても仕方ありません。先の出口がきちんと描ける事がなにより大切。
クルミについては、その色合いや触感、また言葉のイメージなどから、ご提案すれば賛同していただくケースが多くて、本当はもっともっと集めておきたいのですが、倉庫のスペース等の問題もあって、今は少なくなってきています。鬼という言葉から察するには拍子抜けするくらい、繊細で柔らかく、頬ずりしたくなるぐらい滑らかなクルミですので、テーブルとしてお使いいただくにはそれなりのご配慮をしていただければ末永くお愉しみいただけると思います。ちなみにクルミの木言葉は『知性』。
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