森のかけら | 大五木材


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とにかく行列に並ぶのが大嫌いで、スーパーで数人のレジに並ぶのすら避けて、列がなくなるまで用も無いのに店内を回るぐらいの私なのですが、二階へと続く廻り階段の下にまで伸びている列に並ぶことを躊躇しなかったのは、この店の内装に興味が湧いたから。並んでじっくりと観察したくなるほどとにかくこの空間に圧倒されたのです。私たちが順番を待っている間にも次から次へと絶え間なくひとが流れ込んで来て、1階にありバームクーヘンの売り場は大混雑。普通ならこの人混みに辟易するところですが、なぜかじっと待てる。

なぜなら待っている間に見える光景がこんなだから。一体なんなのだろう、この店は?!恐らく溢れるほどの店内で、この店の正体を知らないのは私独りだけじゃないのかしらと不安になるほど、入って来る人は皆笑顔でこの空間に驚く様子もなく、当たり前のように行列に吸い込まれていきます。娘たちもしっかり「予習」をしていたみたいで、「そうそう、こういう感じ」とこの空間を確認している感じでしたが、そんな中で私だけがおのぼりさんのようにキョロキョロと挙動不審。「お父さん、恥ずかしいからあまりウロウロしないで」と娘に注意されるします。そんな事をしていたらカフェの列も少しずつ進んで、廻り階段から2階のフロア―へ。斬新奇抜な天井に目を奪われていて気づかなかったのですが、フローリングに立っていると妙な違和感が・・・

なんだか床の雰囲気がやわらかい・・・少し明るくなったことろでよく観察してみると、床に貼られているのは栗ではないですか!しかも乱幅で!よく見れば、2階のフロア―すべてのが『』!しかもそのカフェの柱も枠もテーブルの天板もすべて栗!え~っ、なにっ、この栗づくし!なお、まだこの時点でも誰の設計なのか分からず。もう栗に気づいてからは、バームクーヘンどころではなく、床やら造作やらテーブルをジロジロ。普通に座って食べてるけど、あなたらこれ全部栗って知ってるの?凄い事なんやで~と要らぬお世話(←知らんかったのきっと私だけ、汗)

とにかくここはバームクーヘンが美味しいからという事で、娘たちに促され私も皆と同じバームクーヘンのセットを注文。料理が運ばれてくる間もいろいろなところが気になるのですが、さすがにお客さんの方にカメラを向けるわけにもいかず、何気なく窓の方を見ていたら、そこには更に広大な敷地があって池のようなものが見えるではありませんか!何なに、一体どういうこと、これも全部この店のモノなの?!そこでようやく携帯で『ラ・コリーナ近江八幡』を検索。そこでようやく(私だけが知らなかった)驚愕の事実を知ることになるのです。続く・・・




つかの間の父のささやかな愉しみ『城巡り』の次は、本来のメインイベントである娘たちが選んだ店。その日の朝、天女の衣掛柳の次に寄った『クラブ・ハリエ』のグループ店らしくて、なんでまたわざわざ滋賀まで来て同じ系列の店に行かなくてもと内心思っていたのですが、すぐにその考えが間違っていた事を思い知らされます。テーマパークのそれかと見まがうほどのとてつもなく広い駐車場のその奥に佇む、宮崎アニメに出てきそうなほっこりした巨大な建築物。『ラ・コリーナ近江八幡』、オシャレには縁遠い私にだってこの店がトンデモナイということぐらいは分かります。

『ラ コリーナ近江八幡』(以下、ラ コリーナ)は、和菓子の『たねや』、洋菓子の『CLUB HARIE(クラブ ハリエ)』を展開するたねやグループさんが、自然豊かな近江八幡の地で2015年の11月にオープンさせたフラッグシップ店。地方の隠れた美味しいお菓子屋さんぐらいにしかイメージしていなかった私としては仰天!敷地面積はなんと35,000坪(115.652㎡)!!店名の『 ラ・コリーナ』とは、イタリア語で「」という意味だそうですが、安土城を観てきた後だけにまさに芝生の城、いや宮殿かと見まがえました。

娘たちはよく知っていたようですが、私は恥ずかしながら一切の予備知識が無かったので、見るモノすべてが新鮮というか強烈でただただ圧倒されっぱなし。こんな夢みたいな事、本当にやってしまうひとがいるんや~。凄い、凄い、面白い、面白すぎる!安土城では400数十年前に信長が築いた無双の城に魅了され、もうこの旅は私にとって十分な収穫があったと満足していましたが、まさかその数10分後にそれを超える衝撃を受ける事になろうとは想像もしていませんでした。ここに現代の信長を見た思い!滋賀、恐るべし!

この建物、空間、しつらえを見て独り心が激しく高揚していたのですが、娘たちの目的は建物よりもその中身にあるようで、さっさと店内へ。正面入口にはたっぷりと木が使われていたのですが、まだこの時点ではこの建物が誰の設計で、どういうコンセプトで建てられているのかに気がついていませんでした(本当にお恥ずかしい・・・)。娘たちに促されるように店内に入ると、中には長蛇のお客さんの列。こ、こ、これは・・・とんでもない店だという事が次第に身をもって分かって来たのです。「さあ、お父さんカフェの列に並ぶよ」、「えッ!?(こんなに仰山人並んでいますけど)」。明日に続く・・・




当時安土に滞在していた巡察師ヴァリニャーノが九州へ戻ろうとすると信長は予定を延ばさせます。そして金欄盆会の日に、いつもの年とはまったく逆で城下の家臣たちの家々では灯りを焚かせずに、天守にだけ色とりどりの美しい提灯を飾りつけ、闇夜の中に天主を浮かび上がらせました。そして仲間たちと驚いてこの火の祭典を眺めていたヴァリニャーノのところに信長がやって来て、「どうだ、祭りは面白かったか」と訊いたのだそうです。そういう意味からも信長が派手な演出で人を驚かせるのが好きなエンターティナ―の要素もありました。

そんな立派で独創的な天主であるにも関わらず、400数十年にわたり一度も復元されたことがありません。安土城跡は国指定特別史跡に指定されているため、さまざまな条件を満たさなければ復元することが出来ないのです。国指定の特別史跡に復元をするには、当時の工法で再現しなければならないらしいのですが、現在の建築基準法ではこれだけの高さの高層建築物が建てられません。また図面も消失しているので、規格外の城は分からない部分が多くて、復元のための高いハードルとなっているようです。そう考えれば城づくりは建築技術継承の大切な場であったとも言えます。

城主は威厳を示し、棟梁は技術を示す。特に安土城はそれまでの戦うための城から、見せるための豪華絢爛な城にしたことからも、世を平定して争いの無い泰平の世を作りたいと願っていたのかもしれません。もしあのまま本能寺の変が起きることなく、信長が天下統一を果たしていたら?誰もが一度は考える「もしも」ですが、もしかしたら奇想天外な木造高層建築物も出来ていたかもしれません。城そのものは復元困難ですが、麓の『安土城天主 信長の館』には、復元された金色の天主が展示されていたのですが、残念ながらここで私の持ち時間はタイムアップ。金色の天主は次の楽しみにします。

こうして不意に訪れた私の安土城探索はこれにて終わるのですが、これだけブログでページ数を使ったにも関わらず、実際の所要時間は1時間足らず。本当は、最初に車で間違って辿り着いた二王門の方にまで行って、摠見寺や三重塔も観たかったのですがこれも次回の楽しみに取っておきます。降りる頃にはすっかり雨も上がっていたので、石段を軽快に駆け下りたのですがその様子はYouTubeにアップしています。わずかな滞在時間でしたが私的にはこれだけでも十分に滋賀に来ただけの値打ちがあったのですが、娘たちが選んだ次の場所では第六天魔王の威光もかすむほどの衝撃を受ける事になるとは




さあ、いよいよ安土城の天主へ!安土城に限り、天守を「天主」と表わすのは有名な話ですが、これには諸説あって、私が好きなのは、キススト教を庇護した信長らしく、当時のキリスト教の神である「デウス」を「天の主=天主」と称していたことから、ラテン語の「デウス」が訛って天主となったというもの。他にも、歴史上唯一天主閣で生活をしていた主の住まいであることから天主閣と名づけたという説もあるようですが、自らが天をも越える存在を目指した信長らしい話だと思います。さあ、念願の天主跡に到着!

築城からわずかに6年で焼失してしまった信長の夢の跡には、今はただ人の背丈ほどに積まれた石垣と、その中にかつてこの上に城があったことを忍ばせる礎石が並ぶばかり。一緒に登城していたひとも全員追い抜いたので、私たちが辿り着いた時は誰もいなく、ひっそりと静まり返っていました。さすがには天主には何かあるのではと思っていたのですが、古くて破れた案内板がぽつんとあるばかり。周辺の木々も生い茂り、ここが第六天魔王として恐れ崇められた主の城であったとは・・・複雑な思いが込み上げてきます。

天主に辿り着くまでに結構な高さを登って来たのですが、石段の周囲には大きな木が居並び下の景色がよく見えていませんでした。それが、天主の石垣の上からは下界が一望!まさしく絶景の眺め。現在は安土城がある安土山の周辺で干拓が進みすっかり埋め立てられて田園が広がっていますが、信長が安土城を築いた当時は、山の東側や西側の北半分は湖だったそうで、まさしく琵琶湖のほとりにそそりたつ名城だったことでしょう。今から400数十年前にここで、天下布武を願った男と今同じ場所に立っている。観ていた景色は違えども、ここに間違いなく第六天魔王が生きていたのだ

天主に来て実感できますが、まさにここは安土山という山をまるまるひとつの城にしたという感じで天然の要塞のよう。木々に守られた城のようでもあります。許されるものならずっとこの場で余韻に浸っていたかったのですが、さすがに私には信長公のような力はなく、名残を惜しみながらほどなくこの場を離れる事にしました。安土城については残っている絵図が極端に少なく、まだ謎も多いようですが、調べれば調べるほどに当時からすれば安土城がいかに規格外の城だったかが分かるとか。地下1階、地上6階の6階建てで、その高さはおよそ35m。5階は八角形の形をしていて、外側の柱は赤色、内側の柱は金色・・・

材木屋らしく専門的な言葉で表現すればいいのかもしれませんが、私が安土城に惹かれたのは、ある人物記した言葉によって。誰しもの頭の中に妄想の名城の姿を思い浮かばせてくれます。イエズス会の巡察師ヴァリニャーノが消失する前年に天主を訪問した時の記録。大好きなので長くなりますが引用します。「石垣のほかに、多くの美しい豪華な邸宅を内部に有していた。それらにはいずれも金が施されており、人力をもってしてはこれ以上到達し得ないほど清潔で見事な出来栄えを示していた。そして(城の)真中には、彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我等ヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。

(中略)この天守は、他のすべての邸宅と同様に、我らがヨーロッパで知る限りのもっとも堅牢で華美な瓦で掩われている。(中略)屋根にはしごく気品のある技巧を凝らした形をした雄大な怪人面が置かれている。このようにそれら全体が堂々たる豪華で完璧な建造物となっているのである。これらの建物は、相当な高台にあったが、建物自体の高さのゆえに、雲を突くかのように何里も離れたところから望見できた。それらはすべて木材でできてはいるものの、内からも外からもそのようには見えず、むしろ頑丈で堅固な岩石と石灰でつくられているかのようである。」(『フロイス日本史』の第3巻)続く・・・

 




ちなみに弥助が運んだ信長の首にはこういう話も残っています。それが『信長のデスマスク』!オカルト好きには有名な話で今までに何度もテレビでも取材されています。デスマスクの所有者は信長直系43代目の子孫の方。当家に伝わる巻物には、弥助が信長公の首を南蛮寺に持って行きそこで前田玄以に私、岐阜の崇福寺でデスマスク作り、代々受け継げというもの。当時日本ではデスマスクを作る習慣も無かったのですが、海外ではそういう風習があると弥助が説得して作ったのだという話。まあ話としては辻褄が合ってはいて非常に興味深い話です。そのデスマスクがこちら。

 

また信長公の言葉として有名なものに、「是非に及ばず」があります。この言葉は信長の家臣・太田牛一が本能寺から逃げ出した女性に訊いて『信長公記(しんちょうこうき』に書き残したもので信憑性が高いとされています。この言葉の解釈について、「仕方がない」と現代語的に訳しているケースが多いのですが、『本能寺に変427年目の真実』の作者であり、明智光秀の子孫・明智憲三郎氏によると、光秀の謀反ならば仕方ないという諦観の境地ではなく、「なに、光秀の謀叛らしいと?! それが是か非か、本当かどうか、論ずる必要はない!それよりも即刻戦え!」という意味であり、そうでなければ側近の森乱丸に「是非に及ばずと、上意候(命令した)。」と言ったという言葉が繋がらないと解説されています。ちなみに弥助の話、ハリウッドで映画化されるとか・・・どういう風に描かれるか楽しみです。

ところで、このあたりにくると少し周辺が開けていて、数か所で木が伐採され転がされていました。いずれもかなり目の込んだ良材ですが、この後の行方が気になる。これって『安土城跡産出』という事で間違いないと思いますが、普通に木材市場とかに並ぶのかしら?こういうところの木って、もう普通に目が詰まっているとか、節が多いとか少ない、虫が食ってるかどうか、通直かどうかなんて基準で考えてはいかないレベルの木だと思うのだけど、恐らくそういう物差しで考える材木屋って少ないんでしょうね。信長ゆかりのキャッスルウッド(城の木)ってそれだけで十分に価値があって、欲しい人もいるはず。

銘木という価値判断とは別の基準で木を評価すれば、従来とは違う木のファンも増やせるのではないかと考えていて、こういう意味でのトレーサビリティにはこだわっていきたいのです。そんな事を言うと、具体的にどうすればいい?(安土城の木で何を作ればいいの?)って言う人もいますが、そんな木のもの屋としての生命線をただで教えるわけがないッ!人に訊くという発想自体が論外。ことごとく既成概念を打ち破って新たな価値観を生み出してきた第六天魔王もお怒りじゃ!地元の松山城の木でキャッスルウッドが出来たらなんて考えていたりしたけどここはすべてが別次元。安土城は今も宝の山!!

戦国武士とかにあやかってその家紋で『森のしるし』という商品も作ってきました。その第一弾は、戦国武将の中でも特に有名な10人、織田信長(織田瓜)、真田幸村(六文銭)、豊臣秀吉(五三桐)、伊達政宗(仙台笹)、徳川家康(徳川葵)、加藤清正(桔梗)、上杉謙信(上杉笹)、柴田勝家(二つ雁金)、武田信玄(武田菱)、前田利家(加賀梅鉢)そのほとんどがこの安土城と関係していて、もしもこの台木を安土城の台木で作れたとしたら・・・。灯台下暗しで近すぎるとその価値が見えにくくなるのかもしれませんが、安土城の木というだけで手に入れたくなる城マニアは世界中に大勢いるはず!いかん、安土城の木、欲しくなってきた・・・




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